映画『ポリーナ、私を踊る』の共同監督、ヴァレリー・ミュラー&アンジュラン・プレルジョカージュに聞く
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----『ポリーナ、私を踊る』をとても印象深くみせていただきました。原発のあるロシアの地方都市、明るい太陽の南仏のエクサンプロヴァンス、現代的な混沌の中のアントワープ、それぞれの都市で映像が活き活きと呼吸しているような、素敵な映画でした。多くの人が指摘していると思いますが、少女が幻想するトナカイの死のシーンがとりわけ美しく心打たれました。ポリーナの身体に脈打っている大きな意味での自然が象徴的に極めて美しく描かれていると思いました。
『ポリーナ、私を踊る』はどのようにして映画になりましたか。
ヴァレリー 『ポリーナ、私を踊る』は、まず、プロデューサーのディディエ・クレステが原作のフランスの漫画『ポリーナ』(バスティアン・ヴィヴェス作、邦訳、原正人、小学館集英社プロダクション刊 )の映画化を思いつきました。そしてダンサーが主役ですので、プロデューサーが脚色をアンジュランに依頼しました。一方、私はTVでアンジュランのダンスをテーマにしたドキュメンタリーを撮っていたので、ダンスを題材とした映像に非常に関心を持っていました。次はフィクションでダンスを撮りたい、と思っていたのです。そこでじゃあ一緒に『ポリーナ』を映画にしよう、ということになったわけです。
もともと原作漫画『ポリーナ』の中には、アンジュラン振付の『白雪姫』を引用したコマがありましたし、そうした経緯によって私たちが監督を共同担当することになったのです。
ヴァレリー・ミュラー (C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
----アンジュランさんもバレエからダンスを始められた、とお聞きしました。特に最近は、バレエとコンテンポラリー・ダンスとを対立した関係として捉えることが多いと思います。しかし『ポリーナ、私を踊る』では、バレエとコンテンポラリーが対立ではなく成長の物語として描かれていて、たいへん共感しました。あなたの経験が生かされているのでしょうか。
アンジュラン その通りです。よく言われることに古典は厳格で辛いものでモダンダンスは自由だ、という思い込みがあります。それは真実ではない。古典の厳格なテクニックというのは、実は自由につながります。その厳格なテクニックがあるからこそ、パフォーマーは自分を超えて自由になることができます。コンテンポラリー・ダンスも本当に自己解放するためには厳格さが必要ですが、それを理解しない人がコンテンポラリー・ダンスは自由だ、と言っていますがそれは本当ではありません。この映画の最後に出てくるポリーナの創ったデュオで、それは証明されています。このデュオでは、古典が基礎にある上でのコンテンポラリー・ダンスに、ポリーナのクリエイティヴィティが加えられたダンスが見られます。この最後のデュオは、私が振付けているのですが、映画の中ではポリーナが振付けたという設定ですから、100パーセント私自身の作品ではなくて、ポリーナだったらどういう風に創るのか、と想像を巡らせて創ったのがあのパ・ド・ドゥです。
アンジュラン・プレルジョカージュ (C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
----映画の中に登場するポリーナの3人の舞踊教師の人物像が、それぞれ説得力がありました。中でもボジンスキーはバレエの教師ですが、ポリーナに最も大切なことを教えている、と思いました。アンジュランさんにとって、最も影響を受けたボジンスキーに当たるような先生は誰でしょうか。
アンジュラン キャリン・ヴァイナー(Waehner)です。ドイツのダンサー、振付家で、マリー・ヴィグマンの生徒でした。ピナ・バウシュがその最後の作家であるドイツ表現主義の系譜に属しています。もちろん、マース・カニングハムも私の師です。私のコンテンポラリー・ダンスを養成したものは、一方がキャリン・ヴァイナーで、もう一方がマース・カニングハムです。ドイツ表現主義の内面的表現はヴァイナーから、抽象芸術やコンセプチュアル・アートはカニングハムから影響を受けました。
----ヴァレリーさんの2014年の監督作品『LE MONDE DE FRED』はスポーツ記者を主人公にしたコミカルなタッチの映画、とお聞きしました。今回ダンスを題材として長編映画を監督されてどのような感想をお持ちですか。
ヴァレリー 『LE MONDE DE FRED』の場合は、今までの映画制作の方法とは少し異なったものでした。映画館で公開しましたが、ある意味実験的なプロダクションでした。『ポリーナ、私を踊る』に至るまで、そうした映画やダンスのドキュメンタリーも作っていました。そうした中で、ダンスをどのように映像に撮るか、ということを自分自身がリサーチしていたところがあると思います。その意味では、今回の長篇が自分には集大成となりました。ダンスを、身体表現をどのように映像化するのか、ということが現れたものとなっています。私はもちろん、アンジュランを通じてダンスと出会ったのですが、普段もよく見ていますし、友人にダンサーもいます。芸術表現として力強いものだと思っていますので、私の興味の中心にある芸術の形式です。
アナスタシア・シェフツォワ、ニールス・シュナイダー (C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
----最近の映画は、CGを使いバーチャルとか言って、現実の存在をあまり尊重せずに制作される傾向が多いと思います。その点『ポリーナ、私を踊る』は、代役を使わずにすべて現実の存在で物語を作り上げていて、非常に感心しました。しかもモティーフがダンスです。これは、以前に『ル・パルク』など舞台の映像製作に関わられてきた経験から生まれた考え方でしょうか。
ヴァレリー そうです。このプロジェクトはアンジュランとともに「代役は絶対使わない」ということは決めていました。踊る身体と演技している顔を一人の人間が表現する、合成は行わない、と決めていてました。その方が一つのキャラクターの人間性が明確に現れるからです。
ですから最初は、出演者を全部ダンサー、演技ができるダンサーにしようと思っていましたが考えを改めて、踊れる俳優も使おう、ということにしました。俳優が演技のノウハウを持ち込む、ダンサーが踊りのノウハウを持ち込む、そこで出会いがあり交流がある、それがいいと思ってこの方法を採用しました。でもそのためにキャスティングには本当にたいへんな時間がかかりました。
----ジュリエット・ビノシュのダンス教師は素晴らしかったです。
アンジュラン 彼女はとても良い仕事をしていました。
----『ポリーナ、私を踊る』をフェニミズムの観点から見る人もいますが、女性の振付家はピナ・バウシュ、ケースマイケル、サッシャ・ヴァルツ、マギー・マランなど大いに活躍している人が多くいます。こうした観点に当てはめて解釈すると『ポリーナ、私を踊る』のヴィヴィッドな素晴らしさは十分には語れないと思いますが、いかがですか。
アンジュラン そうです、つまり、この映画は現実に近いのです。脚本を書く上でドラマツルギー的に現実に即したものにしたい、としてヴァレリーが書きました。あなたが最初に言ったように、3箇所の場所(ロシア、南仏のエクサンプロヴァンス、ベルギーのアントワープ)の設定にしても、ダンサーにとっては大いにあり得る軌跡を選んでいます。バレエを習っていた一人の少女がロシアを出て、振付家と出会って自分も振付家になりたい、と思う、というのは地理的な状況から見ても現実に即したものなのです。
アレクセイ・グシュコフ (C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
----アンジュランさんのカンパニーでは日本人のダンサーが何人か参加していました。新国立劇場でも作品を上演されました。日本のダンスについてどのような感想をお持ちですか。
アンジュラン 一つ深い文脈として舞踏があると思います。これはダンスの世界では新発見だと思いますし、多くの影響を与えました。また、勅使川原三郎もフランスでは名声が高いです。舞踏の集団として山海塾も知っています。ダムタイプもビデオとか実験的なことをしていて、身体の動きなども非常に面白かったです。と言いますのも、これらの日本のダンスは、コンテンポラリー・ダンスの動きとしてとても重要なものです。ですから私は『ポリーナ、私を踊る』の作中の一つの場所を東京に設定してもよかったのではないか、と思っています。
私のカンパニーには3人の日本人がいます。もうカンパニーを始めてから30年にもなりますが、今、思い返してみるといつも私のカンパニーには日本人ダンサーがいました。
----日本の伝統的舞踊についてはどのような関心をお持ちですか。
アンジュラン 私は、能を勉強するために1年間日本に滞在しましたが、その時にいろいろと伝統的なものを見ました。私は、能の1曲をマスターしましたので、今でもしっかり踊れます。それから文楽のファンですし、日本舞踊も習いました。そして女形のダンスも習いましたが、すべてとても興味深かったです。こうした伝統の力があるところが、日本の本当の良いところだと思います。また同時に、モダンなクリエイティヴィティがあるということが、実に素晴らしいですね。
ジェレミー・べランガール (C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
----他の国のトラディショナル・ダンスにも興味をお持ちですか。
アンジュラン ベラ・バルトーク、あるいはグスタフ・マーラーもそうですが、ストラヴィンスキーもそうですね。彼らは地方に行って、その土地に伝わっている音楽や歌などをノートしていたわけです。ストラヴィンスキーは、サンクトペテルブルクで列車に乗った時、酔っ払いが歌っている歌をその場でメモしておいて『結婚』の中に採り込んだ、と聞いたことがあります。私もそうした民族学者的なところがあって、いろいろとインスピレーションを受けています。身体に関係したことには、すべて興味があります。ダンスもそうだし、彫刻も絵画もすべてです。 例えば、この部族はどうやって死者を埋葬するのだろうとか、そういう身体に関する儀式についてはすべて興味があります。人間の儀式は、神とのコミュニケーションをするために行います。いろいろな儀式を作りますが、それはみんな身体に関わるものです。
----次の映画はどんなものを考えられていますか。
ヴァレリー また、共同監督をしたいと思っています。長編で身体をテーマにしたもので振付もあるもの・・・。女性が男性として振る舞う、という映画を構想しています。ダンスそのものを扱うわけではないのですが、男性のふりをする女性ということで、身体ということがテーマとなりそうです。
----シルヴィ・ギエムが男装した・・・・。
アンジュラン 『シュヴァリエ・デオン』ですね。
----最後に一つお聞きしたいのですが、パリ・オペラ座のディレクターのバンジャマン・ミルピエが任期の途中で交代しましたが、アンジュランさんもオペラ座には作品を提供されていました。どのように思われていますか。
アンジュラン バンジャマンのことはよく知っています。私がニューヨーク・シティ・バレエに振付けた時に、彼はまだコール・ド・バレエにいる若いダンサーでした。私が主要な役に抜擢しました。とても仲が良いです。私がエールフランスのCMを『ル・パルク』のパ・ド・ドゥを使って作った時、ミルピエと私のカンパニーのダンサーが踊りました。その後、しばらく経ってからオペラ座の芸術監督に就任しました。けれどもオペラ座の芸術監督という仕事は、フルタイムに働かないととてもできないことです。でもバンジャマンは頭の中では、やっぱり、クリエーションの仕事をしたい、クリエーターであり続けたいと願いっているのだと思います。彼自身も「そこのバランスが見つけられなかった」と言っています。結局彼は、クリエーションの方に戻った、ということだと思います。
----お忙しい限られた時間でしたが、非常に興味深いお話を聞かせていただきました、ありがとうございました。『ポリーナ、私を踊る』に日本公開の成功、新しい映画の制作を大いに期待しております。
ニールス・シュナイダー
(C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
ジュリエット・ビノシュ
(C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
シェフツォワ、べランガール
(C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
(C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
(C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
(C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
(C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
(C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
1710polina_4268.jpg (C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
1710polina_4268.jpg (C) Carole Bethuel - Everybody on Deck
『ポリーナ、私を踊る』
10月 28日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、 ヒューマントラストシネマ渋谷 ほか全国ロードショー
配給:ポニーキャニオン
©2016 Everybody on Deck - TF1 Droits Audiovisuels - UCG Images - France 2 Cinema
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