バランシン版『白鳥の湖』で美しい踊りを見せた:ニューヨーク・シティ・バレエ プリンシパル、テレサ・ライクレンにインタビュー

ニューヨークの舞台から約10年離れていた私が、久しぶりにニューヨーク・シティ・バレエの舞台を見た時に、バランシンの「ウィンナー・ワルツ」を使った作品で際立ったダンサーがいた。テクニックに走りやすい昨今のバレエの舞台で、わずかな手の動きにも豊かな情緒があり、動きに表情があって、これは誰だろうと思った。そして今年に入って同カンパニーの冬の公演を見た時、やはりバランシンの『白鳥の湖』があった。たまたまオデットを代役で踊ったのがこの人だった。一際、背が高いことがかえって大きなインパクトとなり、情緒豊かで美しい、見事なオデットであった。この人、テレサ・ライクレンに今回はお話を伺った。

三崎:どのように踊りを始めましたか。

バランシン版『白鳥の湖』で美しい踊りを見せた ニューヨーク・シティ・バレエ プリンシパル、テレサ・ライクレンにインタビュー

ライクレン:実は覚えていません。まだ3歳でしたから。おそらく、私の母が私にダンサーになって欲しかったんだと思います。両親が八百屋さんの近くにある地元(バージニア州クリフトン)のムーブメント・スタジオに連れて行ったんです。最初にクリエーティブ・ムーブメントから始めて、ジャズ、タップなどすべてのダンスを習ったと思います。

三崎:ご家族でダンスに関わるお仕事の方はいらっしゃいますか。

ライクレン:いません。

三崎:なぜ、踊り続けたいと思いましたか。

ライクレン:成長していく時に、一番好きだったからです。毎日、ダンスクラスに行きたくて、宿題を済ませていたようなものです。仲がいい友だちはみんなバレエスクールから一緒だった子たちでした。高校1年の時も、ジムのクラスを済ませたら、余分にバレエのクラスを取っていました。いつもダンススタジオにいたかったのです。サッカーや、他のこともしましたが、ダンスが一番私が好きなことでした。

バランシン版『白鳥の湖』で美しい踊りを見せた ニューヨーク・シティ・バレエ プリンシパル、テレサ・ライクレンにインタビュー

三崎:それからSAB(School of American Ballet、ニューヨーク・シティ・バレエの養成校)に移ったわけですが、何歳の時でしたか。

ライクレン:15歳の時でした。1999年にSABのサマーコースを取りました。そして翌年フルタイムの生徒として受け入れられたのです。それからカンパニーにアプレンティス(見習い)として1年入りました。

三崎:SABでの生活はどのようなものでしたか。

ライクレン:(地方から来ている生徒は)全員、ジュリアード音楽院と同じビルの中にある寮に入ります。ジュリアードの生徒は大学生なので、それより若いということもあって、私たちはSABに割り当てられたいくつかのフロアの寮に入っていました。毎朝、起きたら簡単に朝ご飯を食べて、学校に行きました。午前中に二つ教科を取って、SABに帰ってきてテクニッククラスを取ります。急いでランチを持って学校へ戻って、もう二つ教科のクラスを取ります。そしてまた帰ってきて、ヴァリエーションかポアントのクラスを取りました。

三崎:学校はどこでしたか。

ライクレン:私はプロフェッショナル・チルドレンズ・スクール(Professional Children's School)という私立の学校へ行きました。SABから6ブロックくらいの所にあって、歩いて通えました。ですから、一日中走り回ってましたね。

三崎:カンパニーに入ってからは、どんな生活ですか。

バランシン版『白鳥の湖』で美しい踊りを見せた ニューヨーク・シティ・バレエ プリンシパル、テレサ・ライクレンにインタビュー

ライクレン:基本的にどんなレパートリーか、で決まります。ですから、様々ですね。朝の10時半から11時半か12時までウォームアップのためのテクニッククラスを受けます。それから最高6時間、リハーサルがあります。そして公演があります。でも、私たちの一日は何をリハーサルしているかで決まりますね。今日は私は何もありません。でも他の日はその日の夜の公演のリハーサルがあります。

三崎:公演がない時は、週に5日のスケジュールですか。

ライクレン:通常、週6日です。時には5日の週もありますが、稀ですね。

三崎:ということは、クラスを受けてリハーサルをした時点で既に8時間ですよね。それから公演に出る。公演が始まる時点で結構疲れていませんか。もう、エネルギーを使い果たしているんじゃありませんか。

ライクレン:そうですね。まあ、それをどうやってマネージするか、ということなんです。私は舞台に出なければならない時は、できるだけ眠るようにしています。年を経るにつれて、日中どれだけやるかを自分で操作するようになりますね。もっとプッシュしてやるか、ちょっと手加減するか、という風に。

三崎:それで、カンパニーにはもう何年になりますか。

ライクレン:16年です。

三崎:16年ですか、それは結構長いですね。プロの生活で一番大変なことは何でしたか。

ライクレン:そうですね。常に自分のモチベーションをキープすることかな。そして、前向きな考え方をすることですね。「この人はこんな役をやっているのに、なんで私はできないんだろう」みたいな考え方に囚われないようにするとか。

三崎:そういう問題が起こった時には具体的にどう対処しますか。

ライクレン:私はモチベーションを維持するのは結構得意なんです。毎日クラスも取ります。そして、バレエの他のものに目を向けるようにしています。気持ちを100パーセント、バレエに向けるのじゃなくて。そういう風にした方がうまくいくことが分かりました。ダンス以外のものを見に行ったり、本を読んだり、友だちに会ったり、旅行したりとかしている方が、いつもやる気を保てますね。

三崎:それは興味深いですね。例えばすごく落ち込んでしまったりとか、何かを乗り越えるために、特に自分を奮い立たせなければならなかったとか、そういう経験はありましたか?

バランシン版『白鳥の湖』で美しい踊りを見せた ニューヨーク・シティ・バレエ プリンシパル、テレサ・ライクレンにインタビュー

ライクレン:実は、キャリアのある時点で、踊りを止めようか、踊りから離れようか、と迷ったことがありました。私がソリストの時でしたが、あまり役が回ってこなかったのですね。私の後から来た人たちが素晴らしい役をもらって、私を追い越している様な気がして。そして、本当にこれが自分がやりたいことか、真剣に自問自答するようになりました。そして、自分の頭の中で決心して、両親に話したんです。「もう止めよう。やっていても楽しくない」と思っていました。それで、自分の経済状態やその他を整理するために、あと1年続けようと思ったのです。そう考えたことで、ある意味自分の気持ちの持ち方が変わったんですね。「これが私の最後の年だから、とにかく楽しもう」と思いました。それで、舞台の上で楽しむようになったのです。すると、私の踊りが良くなったのか、役がどんどん回ってくるようになりました。そしてまた、この仕事が大好きになって。

三崎:なるほど。他のカンパニーに行くことなどは考えませんでしたか。

ライクレン:もちろん、他のカンパニーにも目を向けました。でも、私はこのカンパニーが本当に好きなんです。ここのレパートリーも好きだし。私が望んでいたことは、とにかくたくさん踊ることだったのです。毎晩、踊りたい。忙しくして、気分が高揚していたかったのです。他のカンパニーはここほど踊りませんから、このカンパニーが私には居心地が良いのです。結局、ここが私が居たいところなのです。

三崎:さて、プロのダンサーとして、ダイエットには気を付けていますか。

ライクレン:特にないですね。自分の身体が自分の仕事にはとても大事だと分かっていますから、できるだけヘルシーな食生活にするようにはしています。けれども、自分の身体に耳を傾けるようにしています。もし、身体が何かを欲しいと言っていたら、多分それなりの理由があることだと思うのです。ですから、もし、ハンバーガーが食べたいと思ったら、ハンバーガーを食べに行きます。普段はフルーツと野菜をたくさん食べるようにしていますが、基本的に何でも食べます。

三崎:それはむしろ、とても健康的に聞こえます。ところで、舞台で大きな失敗をしたことはありますか?

ライクレン:ええ、もちろん、もちろん! 何度も本番で転びましたし、振りを忘れてしまったこともあります。

三崎:真っ白になっちゃっうんですか。

ライクレン:ええ、起こるんですよ。

三崎:そんな時はどうするのですか、即興するとか。

ライクレン:とにかく集中して戻るようにするしかないですね。みんな同じ経験を持っていると思います。プロのダンサーとして、お客さんにそれが見えないようにします。

三崎:これまで、トレーニングの時期を含めてこの職業に20年以上関わってこられたわけですが、バレエから何を学んだと思いますか。

ライクレン:まず、信念とガッツですね。この職業では自分の仕事の成果が随分後になるまで分からないことがあります。例えば、若いダンサーたちがクラスをさぼっていて、本番で何かできないことがあったりします。毎日の積み上げというのはとても大事です。そういうことって、人生すべてに言えることなんですよね。

三崎:ニューヨーク・シティ・バレエのビデオで、ご自分の身長のことについて話して居られましたが、背が高すぎることで問題があったことはあるんですか。

ライクレン:若い、見習いの時は仕事がもらえるか心配でしたね。私は特別背が高いのを知ってましたので。特にコール・ドの時は、どのバレエにも私を入れるわけにはいかなかったと思います。しかし(今は)、背が高くてリフトができる男性がいる限り、問題ではありません。

三崎:もし、職業にバレエを選ばなかったとしたら、何になってましたか。

Photo Eri Misaki

Reichlen at the Interview Photo Eri Misaki

ライクレン:私は昔から生物学や科学にとても興味があったのです。だから、そういう道で何かしていたと思います。そういう世界に凄く憧れているのです。だから、そんな世界、科学者になっていたような気がします。

三崎:それは面白いですね。なにかそんな風に思うようになったきっかけとかはあったのですか。

ライクレン:いえ、ただ小さい時からそういうことに惹かれていました。ウイルスや病気に関する科学に憧れて。何故かは分かりません。とにかく面白い分野でした。

三崎:将来、どんな踊りを踊りたいですか。

ライクレン:もっと新しい振付家と仕事を始めたいですね。それから、もっとバランシンも踊りたいです。『ストラヴィンスキー・バイオリン・コンチェルト』とか。ロビンズの作品も。これまで踊りたい踊りはかなりたくさん踊ってきました。けれども、新しいことをどんどん学んでいきたいです。

三崎:もし、ステージを去ると決めた時は、コーチや教えをするのですか。

ライクレン:分かりません。あまり考えたことがありませんね。夏に少し教えたことがあるのですが、だんだん楽しくなってきています。(教える時は)教師の声というのを自分で見つけないといけないのですよね。これは勉強しないといけないことで、私も始めようとしているところです。ちゃんとしたプロの教師になるには、大きなハードルを越えないといけないような気持がします。でも、多分教えるでしょうね。今は分かりません。

三崎:今日はどうもありがとうございました。これからもたくさんの作品の中で踊りを拝見したいと思います。

インタビュー&コラム/インタビュー

[インタビュー]
三崎 恵理

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