今回は世界から、日本から、芸術に関する話題について触れたいと思います。

ベルリンの街には3つのオペラハウスがあり、財政的に継続していくのは大変厳しいですが、それでも芸術に対しての予算は日本とかなりの差があります。
日本の文化予算は国と地方自治体を合わせて、約3000億円(建設費を除いて)。ドイツは1兆3000億円です。人口比は日独で3対2なので、一人当たりの文化予算は7倍位になります。

ダンスのグループもベルリン国立バレエ団をはじめ、小さな団体が多数ありプロジェクトごとに劇場やギャラリーが支援をしていたり、また宝くじの団体が補助金出していたりと大変恵まれています。
私がベルリン国立バレエ団に在籍していた際の最後の3年間位は、様々なコラボレーションパフォーマンスをしてきました。それは街中で行ったパフォーマンス、駅中で行われたミュージックフェスティバル、建物全体を使った実験的なもの、飛込み台のある底深いプールの底で行った画家とのコラボレーションなど、日本では想像出来ないようなパフォーマンスもありました。

ベルリン、ピエール ブーレーツ劇場 ©Emi Hariyama(すべて)

ベルリン、ピエール ブーレーツ劇場
©Emi Hariyama(すべて)

ベルリンでは、かなり前から同じように街の中で様々なパフォーマンスが繰り広げられています。ベルリンには、自由にパフォーマンスできる空間がたくさんあり、街の中の建物や、国の所有地、様々な劇場空間がステージと化しています。
以前は日本では、公共施設や町の中で自由にパフォーマンスをしたり、自由にパフォーマンスする事はまだ難しいかと思っていました。
それが、11月末に日本の兵庫県の新長田で下町芸術祭を見に行き、かなり状況が変わっている事を実感しました。
地域をあげて街ごとが芸術祭の会場になり、空き家や現在使われなくなった保育所の建物を展示場にして、街に住む一般の方々が作ったユニークな作品等を魅力一杯見せていました。ライブパフォーマンスも行なわれたり、震災後の町興しを兼ねて再建設された街で行なわれた非常に面白いイベントでした。

グルジア

グルジア

マリンスキー劇場

マリンスキー劇場

先月少し触れたロシアでは、国の予算や国民の理解が、芸術、特にバレエに対しては莫大なものがあり、伝統を守ったクラッシックバレエが今でも受け継がれていますが、最近モダンアートのパフォーマンスも時々見かけるようになりました。
ロシアやヨーロッパでは、観客を呼ぶためにと言うよりも、演出家が見せたいもの、街や国が行いたいプロジェクトなどには予算を組んで、新しいものでも実験的に作品を作り、初演を行うチャンスがあります。
国の予算があると、観客の客足を第一に考えるのではなく、珍しくあまり知られない作品でも、上演したい作品を作り観客に見せることができると言う点で本当に恵まれていると思います。
私が、ロシア(当時はまだペレストロイカ前で旧ソビエト連邦時代)に旅立ったのは1990年、初めてアメリカのバレエ団に渡ったのが1998年、ベルリンに移り住んだのは2004年、今2017年が幕を閉じようとしていますが、初めて海外に行った27年間の間に、バレエ界も目まぐるしく変化しています。

ボリショイ

ボリショイ

芸術監督が変わるとバレエ団自体が変わってしまう事が多々ありますが、まさにそれが世界規模で行われていると思います。
私が最初にロシアに行った1990年当時は、マリインスキー劇場とボリショイ劇場間ではダンサーが移籍したりゲスト出演する事は不可能でした。それが今では、ダンサーも自由に場所を選ぶことができるようになり、お互いにゲストとして出演することも可能になりました。
また、ロシア、ヨーロッパ間の芸術監督の移動にも目を見張るものがあります。様々な理由からバレエ団創設の歴史とは関係のない芸術監督が就任する場合も多々あります。
マハール・ワジーエフは元マリンスキー劇場の芸術監督、ミラノオペラ座を経て今はボリショイバレエ団の芸術監督。
イーゴリ・ゼレンスキーは、スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場から今は、ミュンヘンオペラ劇場へ。
ゼレンスキーが去ったスタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場には、フランスからローラン ・イレールが芸術監督に就任しました。
現在、ナチョ・ドゥアトはベルリン国立バレエ団の芸術監督としての最後のシーズンを迎えていますが、ベルリンに来る前はロシアのミハイロフスキー劇場の劇場監督、ロシア以前はスペイン国立バレエ団の芸術監督でした。
少し例に挙げるだけでも、以前では考えられなかったロシア国内での移籍どころが、国を越えてヨーロッパやロシアでも移籍しています。

ボリショイ

ボリショイ

ボリショイ

ボリショイ

先ほど、創立した芸術監督とはあまり関わりがなかった方が後任として任命されるケースを挙げましたが、逆に後から受け継ぐバレエ団に長く関わったダンサーやバレエマスターの方が芸術監督の座を引き継ぎ、バレエ団の作品や方向性を伝えていくバレエ団も多くあります。
先日まで日本に来日していたモーリス・ベジャール・バレエ団はベジャールの元で活躍していたジル・ロマンが後を継いでいます。
シュツットガルト・バレエ団もリード・アンダーソンが芸術監督を退任し、元ダンサーとして踊っていたタマシュ・ディートリッヒが最近芸術監に就任しました。
ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団などもその特色を継続しています。

アスタナ、カザフスタンオペラ劇場

アスタナ、カザフスタンオペラ劇場

アメリカの5大バレエ団と言われる大きなバレエ団の1つ、ABT(アメリカン・バレエシアター)は、安定してケビン・マッケンジーが指揮をとっています。
同じく、ニューヨーク・シティ・バレエ団、ボストン・バレエ団、サンフランシスコ・バレエ団、ヒューストン・バレエ団、等も安定して現在芸術監督を務めている方々が長期間就任しています。

半世紀ほど前からは、才能ある振り付け家が自身のバレエ団を創立し、現在でもずっと継続して素晴らしい活動を続けているバレエ団も有ります。
少し例に挙げると、
振付家ジョージ・バランシン=ニューヨークシティバレエ団、振付家ジョン・ノイマイヤー=ハンブルグバレエ団、振付家モーリス・ベジャール=モーリス・ベジャール・バレエ団、振付家ジョン・クランコ=シュツットガルト・バレエ団などこ、れは一握りの例ですが、その当時から芸術の必要性と、作品の素晴らしさなどを理解したスポンサーや、バレエ団の為に予算を組んだ国などの力あってこそ今まで続いています。
今でも、才能ある振付家は多くいますが、芸術に対する予算は世界的にも縮小されていく傾向にあり、以前には可能だった様に大きなバレエ団に成長させ継続させていくのは難しい環境になって来ていると思います。
「白鳥の湖」が今でも世界各地で上演されているように、素晴らしい作品は100年後、200年後も受け継がれて行きます。
伝統あるずっと引き継がれて行く作品と、現在の波に乗った新しい作品の両方が切磋琢磨しながら、今後、より一層バレエ界を面白いものにしていってほしいと思います。
日本もダンサーが職業として誇りを持ちながら踊ることができ、芸術団体が各都道府県にできるような状況に置かれる日が来る事を願います。

アスタナ、カザフスタンオペラ劇場

アスタナ、カザフスタンオペラ劇場

クロアチア国立劇場

クロアチア国立劇場

インタビュー & コラム

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針山 愛美 Emi Hariyama

13 歳でワガノワ・バレエ学校に短期留学、16歳でボリショイ・バレエ学校に3年間留学した後、モスクワ音楽劇場バレエ(ロシア)、エッセン・バレエ(ドイ ツ)、インターナショナルバレエ、サンノゼバレエ、ボストン・バレエ団(アメリカ)、と世界各地のバレエ団に入団し海外で活躍を続ける。
2004年8月からはベルリン国立バレエ団の一員に。

1996年:全日本バレエコンクールシニアの部第2位、パリ国際コンクール銀メダル(金メダル無し)
1997年:モスクワ国際バレエコンクール特別賞
2002年:毎日放送「情熱大陸」出演 、[エスティ ローダー ディファイニング ビューティ アワード]受賞
Emi International Arts
針山愛美のバレエワールド

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