解説:文葉

シェネ

(仏/chaies)

 直訳では、連鎖、鎖、チェーン。回転技の一つで、両足を一番ポジションか五番ポジションにして、ポアントやドゥミ・ポアントでくるくるくるっと、素早く連続で回転しながら、直線や円を描くように移動する動作のこと。進行方向に向かって一歩前に出して一回転。また一歩出して一回転…。この動作が繰り返されている訳で、まさにターンがチェーンのように連なってゆきます。

シェネは、乱れることなく、徐々に加速するか同じ速度で滑るように美しく、エレガンスを感じる憧れのターン。観ていて心地よくなる特別なパでした。だからこそ小さい頃は、先生の見本のシェネが気持ちよさそうであればあるほど、気持ちがどんどん萎えてゆく。注意するポイントをしっかり整理しながらイメージトレーニングをし、気合いを入れて挑んでも、空回りしてうまくいかない。不得意分野だったからです。どこに力を入れたらいいのか、逆に、どこを抜いたらいいのか。進もうという意に反して同じ場所で何回転かしてしまう日もあれば、肩に力が入りすぎてまっすぐ進めない日も。先生からの注意は、単純明快で、まっすぐに立つ、バランスはこうする、頭は天井に引っ張られるように足の方からも下へ引っ張られるように、顔を残す、肩と胸を素早く回す、進行方向に足を一歩出す。などなど。どんなにこれらの注意を守ろうとも、あれこれ工夫しても、コレだ!という納得できる改善策に行き着かない。
ところがある日、一瞬にしてモヤモヤが晴れて、身体が軽く、まるで潤滑油がくまなく行き渡った機械のように感じられる日がきました。首の力みを取っただけで理想に近づいたのです。頭部と肩から下が難なく分離されているじゃありませんか。

背骨は、首の骨(頸椎)7、胸の骨12、腰の骨5、仙骨が1、尾骨が1、で構成されています。意識的に首の力を取ると首から下の背骨がすぅっとまっすぐに伸び、気持ちよく全身の力が抜けて結果腕も脚も伸ばしやすくなるのですね。奥歯と顎を力みから解放。その次にのどの裏側から肩の方まで、この短い部位に7つもある頸椎一つ一つを縦に分離するイメージで筋肉を柔らかくしていきました。憧れの長い首になっているじゃありませんか。直立歩行をしている人間ならば誰しも、大なり小なり肩こりがあるもの。ましてや頑張る現代女性ならなおさら、知らぬ間に奥歯をキッと食いしばったままになっていて、顎から首、肩にかけて、常に緊張しっぱなし。
首は、リズムの源であるばかりか、動きの源でもある重要な器官である。サッカーの世界でもこんなことが語られているようです。大切なんですよ、首。美しいネックライン・デコルテは力を入れて作る訳じゃなく、まずは力を抜き、そこからストレッチ、ですね。

ところで、皆さんは「お気に入りシェネ場面」ありますか? シェネに感動した経験は? 私はというと、最近ではいくつかあります。ダーシー・バッセルの『シンデレラ』で見せたシェネのマネージュ。 舞踏会に現れたシンデレラの緊張が伝わってくるような、ダーシーのオーラ全開の舞台に吸い付くシェネで鳥肌ものでした。 お次は、7月の「エトワール・ガラ」、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』コーダにてレティシア・プジョルが豪速「竜巻」シェネで袖に入っていく姿。 いつもチャイコのコーダで感心するところだけど、彼女の鋭さはすごかったです。残念なのは、袖までの長さが足りなかった…。 加速してる途中で姿が消えてしまった。彼女のバリエーション終盤のピケからシェネへ続く「カデンツァ的」連続ターンも音楽に余ることなく、それでいて音に追い立てられることなく観ていて壮快。 バランシンの緻密な動きを的確かつゴージャスに決めて、「エトワール」然とした演技でした。 最後は、9月の「スペインGALA」でタマラ・ロホが踊った『5つのイサドラ・ダンカン風ブラームスのワルツ』の最終曲。さすがは女優と賞され、ロイヤルの先輩スター、リン・シーモアからこの作品を譲り受けたロホ。 花びらをまき散らしながら無心にシェネをしている美しい舞姿に、激しく心を揺さぶられて私は感動の涙が止まりませんでした。 ガラ公演であることを恨み、次の演目が観たくなくなってしまったほどです。 目覚めから夕刻、四季、人生という時の移ろいと喜怒哀楽がシンクロされていて、最後にはそれまでの世俗的な感情も何もかもを解き放ち天上で舞うかのようなイサドラ。 彼女は全宇宙に愛を注ぎ、そして宇宙から踊るエネルギーを吸収する。従属しなくてはならないものは何もない。彼女の踊りに対するピュアリティは永遠に。 使われていたワルツ15番同様、とてもロマンティックな作品でした。