コール・ド・バレエ(仏/corp de ballet )

大ざっぱに言ってしまえば、群舞のダンサーたちのこと。コール・ドと大概略称される。プリンシパルについては、誰それが良かった♪と名指しで語られるが、コール・ド・バレエに関しては「コール・ドが云々...」と、マスとして見なされる。バレエダンサーの世界は厳格に階級で区分され、ピラミッドの頂点からプリンシパル、ソリスト、そして底辺のコール・ド・バレエの順に人数も多くなっていく。
彼らを「ソリストの引き立て役、その他大勢でしょ」と軽視することなかれ。決して板の上で、身分が低いわけではありません。確かに、役柄的には物語の筋にちょっと彩りを添えるものにすぎないかもしれませんが、質の良いコール・ドがなければ、バレエ作品は成り立たないのです。『白鳥の湖』第2幕の白鳥たち、『バヤデール』影の王国、『ジゼル』のウィリーたち、『くるみ割り人形』の雪のワルツ、花のワルツ、etc...。まさに「細部に神は宿る」。呼吸もポジションの正確さも、音楽性も、ひとつひとつ丁寧に合わさった動きの美しさは、観るものに印象を強く与えるものですよね。

このコーナーで何度か出てきたバランシン話をここでも。私は、彼が作った作品のコール・ドに何度も泣かされたことがあります。感動で胸が一杯になってしまうんですね~。バランシンのコール・ドは「中心をなくす」というコンセプトのもと、舞台上で「壁の花」に回ることがありません。結果、ソリストと動き(アンシェヌマン)の密度の差がなく、ダンサーの階級制度はあいまいなものとなります。プティパのコール・ドは、静止することで隊形の美的バランスを見せた「平面的きれい」。それと比較し、バランシン作品のノンストップなコール・ドは「三次元なきれいを産む」と私は思っています。ハーモニーの縦糸、リズムの横糸とで織り成された動きに、隊形が見せる美しさが加わって、立体的な美しさがあると思いませんか。『シンフォニー・イン・C』だとか、『ジュエルズ』のダイヤモンドだとか、いつも経験することは、「舞台の端でとっても良い表情で踊っている女性を目で追うか、中央で踊るソリストを見るか。それより、全体を観なくっちゃ。あぁ、忙しい!」美しさを一瞬でも留めておけないバランシンの作品を観る楽しみは苦しみでもあったりします。

 

[解説]
文葉

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