荒部 好

『ベートーヴェン 第九』

 熊川哲也の新作バレエ『ベートーヴェン 第九』は、作曲家ベートーヴェンにも劣らないほどのドラマティックな背景をもって誕生した。
1824年ベートーヴェンが「第九交響曲」をウィーンで初演した際、彼が聴覚障害をきたしていたことは良く知られている。熊川哲也は、バレエダンサーの命にも等しい膝に大ケガを負い、復活を果たすために舞台生命を賭けて『べートーヴェン 第九』を振付け、踊った。おそらく熊川は、聴覚を失った偉大な作曲家の心境を推察したと思われる。
カンパニーの代表であり、唯一の男性プリンシパルダンサーであり、芸術監督であり、振付家だった熊川哲也が舞台に立てなくなった。それはたちまちチケットの売れ行きに影響を与える。もちろん、根本的な対策はたてようがない。できることは、ただ熊川哲也として「自分の信じる最高のバレエを観客に届けるだけ」だと思った、という。しかしも、バレエダンサー熊川哲也抜きで。
そこから始まった苦闘、自問自答、喜びに溢れたと思えば、次の瞬間には奈落に突き落とされるような日々、に密着してこのドキュメンタリーは創られている。
映像の中で熊川はしばしば「ベートーヴェンと勝負」と言っているが、それはもちろん、大いなる障害をかかえながらも「第九交響曲」を作曲、初演した偉大な芸術家と勝負しているという意味である。そして熊川は、「痛みなくして得るものなし」という言葉でこのドキュメンタリーを結んでいる。
するとつまり、熊川哲也の『ベートーヴェン 第九』には、彼の人生最大の危機を乗り越えて得たものが、濃密に詰まっているというになる。たしかに、平穏な人生を送っても偉大な作品を生む作家はいるかもしれない。しかしやはり、ターニングポイントを乗り越えた熊川が創った渾身の舞台には、なにものにも代え難い生命の力が宿っているにはずである。




 

●第九スタッフ&キャスト
<スタッフ>
芸術監督:熊川哲也
演出・振付:熊川哲也
音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン“交響曲第9番 ニ短調op.125”
舞台美術・衣裳:ヨランダ・ソナベンド
照明:足立 恒
<キャスト>
出演:Kバレエ カンパニー
【第1楽章 1st Movement】清水健太
【第2楽章 2nd Movement】荒井祐子/松岡梨絵/東野泰子
【第3楽章 3rd Movement】浅川紫織/宮尾俊太郎
長田佳世/遅沢佑介
樋口ゆり/杜海
【第4楽章 4th Movement】熊川哲也
荒井祐子/清水健太
東野泰子/輪島拓也
宮尾俊太郎/遅沢佑介

指揮:井田勝大
独唱:野田ヒロ子(ソプラノ)/森山京子(メゾ・ソプラノ)/中鉢 聡(テノール)/久保田真澄(バス)
合唱:藤原歌劇団合唱部
演奏:シアターオーケストラトーキョー

●「熊川哲也 ケガからの復活全記録」スタッフ
演出:関 眞也
朗読:油井昌由樹
ナレーション:奈佐健臣

『ベートーヴェン 第九』
「熊川哲也 ケガからの復活全記録」
10,290円
(本体価格9,800円)
2008年8月20日発売

Disc1:熊川哲也 Kバレエ カンパニー「ベートーヴェン 第九」
(2008年3月18日(火)赤坂ACTシアターにて収録)
Disc2:「熊川哲也 ケガからの復活全記録」