荒部 好

『藤田嗣治 作品をひらく 旅・手仕事・日本』

林洋子 著

 現在、上野の森の美術館でレオナール・フジタ展が開催されている。藤田嗣治は、良く知られているように1913年に、パリに渡りエコール・ド・パリの画家として成功した。折から”狂乱の20年代”と呼ばれたパリでは、おかっぱ頭に鼈甲の丸眼鏡という独特のスタイルで、社交界のアイドル的な存在となった。その後、日本に帰国した時代もあったが、結局、フランスに帰化し、キリスト教に改宗してレオナール・フジタとして生涯を終えた。

 この『藤田嗣治 作品をひらく』は、じつに丹念に藤田の業績を追い、絵画以外の仕事も疎かにすることなく研究を進めている大部である。特に絵画作品そのものだけでなく、カンヴァスや画材、下地、支持体などの材料を分析し、藤田芸術の解明を進めたり、有名な「乳白色」の意味、あるいは画面に描かれた布地模様などを詳細に分析し、様々な意義を見いだしている多彩な観察眼には驚いた。その博覧強記ぶりと切れ味鋭い追求力には、門外漢はただただ頭を下げるのみである。

 藤田嗣治の甥は、日本のバレエ研究の魁けとなった蘆原英了であり、劇作家の小山内薫は従兄にあたることもあってか、藤田はしばしば舞台へ関わりを持っている。
 藤田はパリに渡ってから、アメリカで美術を学んできた画家、川島理一郎と知り合い、ギリシャのダンスに熱中する。これは、イサドラ・ダンカンの兄のレイモンドの影響によるもので、パリ郊外のダンカンのコロニーに住み、古代ギリシャ風の生活をおくった。この頃の様子を川島理一郎が綴った絵日記が、宇都宮の栃木県立美術館に所蔵されている。
 特に有名なのは、終戦後間もない1946年に東京バレエ団によって『白鳥の湖』全幕の初演が試みられたとき、蘆原英了などとの関係から美術を担当したことだろう。
 その他に、ディアギレフのバレエ・リュスのライバルといわれた、バレエ・スウェドワの『奇妙なトーナメント(LE TOURNOI SINGULIER)』(1924年12月19日初演)の美術を創っている。これはこのカンパニーのメインダンサーで振付家だったジャン・ボルランのバレエで、リンクスのゴルフコースが舞台となっている超モダンな作品だったらしい。藤田の美しいカラーデザイン画が残されている。
 著者によると、1951年に上演されたミラノ・スカラ座のプッチーニのオペラ『蝶々夫人』の衣裳・装置も藤田が手掛けた。ここでは、着物風の衣裳の染めにもこだわり、自身も様々に工夫を凝らしていた、と推測されるそうだ。

 藤田嗣治はその人生を見ても、パリの20年代との関わり、アメリカや中南米への旅、パリで世界的成功を収めた画家に対する日本人の見方などなど、たいへん興味深いものがある。没後40年を記して行われているレオナール・フジタ展や、本書などを参照して、藤田嗣治という芸術家の一端に触れてみてはいかがだろうか。



   
『藤田嗣治 作品をひらく 旅・手仕事・日本』
林洋子 著
名古屋大学出版会
5,460円
(本体価格5,200円)