荒部 好

『ジェローム・ロビンスが死んだ』

津野海太郎/著
 中学生や高校生だった頃に、胸をときめかしたミュージカル映画『踊る大紐育』の元になった『ファンシー・フリー』の作者、ジョローム・ロビンスの死亡記事をふと見たことから、彼が非米活動委員会で証言し、かつての同志たちを共産党員として名指した、と知る。そこから、著者の調査が始まる。およそ半世紀前のアメリカの出来事を、卓抜した調査能力でインターネットを駆使して解明していく。
 ロビンスは、もちろん『ウエスト・サイド物語』のビッグヒットのほかにも、上記の『ファンシー・フリー』を始め『王様と私』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『ファニー・ガール』といった傑作を振付けている。

 そして、次々と今まで日本のファンには、ほとんど知られていなかった苛酷な事実が明らかになっていく。ハリウッドを襲ったいわゆる「赤狩り」とその恐ろしい傷跡である。
 私は著者よりも少し若い世代だと思うし、ミュージカル映画はあまり積極的に観るほうではなかったが、アメリカ映画は少しは観ている。その程度の体験でも読み進んでいくと、腑に落ちていなかったことが薄皮がはがれるように「もしかしたら、そういうことだったのか」と思えてくる。そのプロセスが非常におもしろく、興奮して寝食を忘れるというくらいに読み耽ってしまった。



 

 まず、最初に思いついたのは、ロビンス振付の『牧神の午後』。鏡を見ながらリハーサルをしている男女のバレエダンサーを描いた作品だが、私はあのお互いにクロスしない視線がなんだか妙に気になっていた。あの鏡を見つめる男性ダンサーの視線は、一緒に居る女性ダンサーに無関心なことを強調し、一心に自分の心の中を覗いているように感じる。私のまったく漠然とした印象に過ぎないのだが、制作年を調べてみたら、1953年に振付けられた作品だった。この年の5月5日午後、35歳のロビンスは、ニュ-ヨーク連邦裁判所で開かれた公聴会で証言し、8人の知人を共産党員として公然と名指しした、そうだ。

 もうひとつ、これもまたまったくの憶測で申し訳ないが、ロビンスはなぜバランシンの後を継承して、ニュ-ヨーク・シティ・バレエ(NYCB)の芸術監督にならなかったのか。ロビンスの両親はユダヤ系のロシアからの移住者だそうだ。ロビンスの才能はバランシンも一目置いていて、大いに認めていた。1949年には副芸術監督としてNYCBに入団したが、58年には自分のカンパニーを創って離れ、69年にまた復帰している。そしてバランシンの死後83年には、ピーター・マーティンスとともに芸術監督に就任するが、90年には辞退している。
 マーティンスも優れた舞踊家には違いないが、やはり、ロビンスの才能は群を抜いている。私ですら、偉大な振付家バランシン亡き後、ロビンスが芸術監督を継承するのが自然であり、そうなればNYCBはさらに発展するに違いない、と思っていたのであるから、当然アメリカでも期待されていたのではないだろうか。しかし、ロビンスの過去の傷が、そうした晴れがましい地位で活躍することを許さなかったのかもしれない。

 モンゴメリー・クリフトと恋人同士であったことにも仰天した。<陽のあたる場所>に上るために、邪魔になった恋人を殺したかもしれない恐怖に怯えながら、<陽のあたる場所>に導いてくれるはずのエリザベス・テイラーの瞳を覗き込むモンティの、なんともいわく言い難い表情は未だに忘れることができない。あの表情の背景には、かくも屈折した心情が脈打っていたとは、いったい私は何に感激していたのだろうか!

 もちろん、著者はロビンスがなぜそのような人生をおくったか、おくらざるを得なかったか、をきちんと書いている。とはいえ、意外でかなりショックを受けた驚異の一冊だった。

『ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り』
津野海太郎/著
平凡社刊
2,940円 (本体価格2,800円)