(荒部 好)

『20世紀ダンス史』

ナンシー・レイノルズ/マルコム・マコーミック 著
松澤慶信 監 訳

20世紀のダンスの歴史を網羅的にたどる大部の一冊が刊行された。総ページ数968ページA5版上製本全一冊、という持ち上げるのも重々しい一冊だ。

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ダンスは元来、上演されれば舞台の上で消えてしまう芸術。オペラは録音されてその一部が残される。しかし、ダンスは近年のように映像媒体が普及する以前は、静止画像しか残らなかった。そのため、世界のダンスの歴史を鳥瞰し記述することは非常に難しかった。そしてダンスは、最も大きな言い方をすれば、ヨーロッパとロシアとアメリカで時間のずれを伴いながら、相互に影響しあって並行的に発展したきた。今日では、各国で映像媒体(映像と実際の舞台が異なることは論をまたないが)も含めたアーカイヴが出来、蒐集に努力している最中だ。つまり、20世紀の初頭からバレエ・リュスの展開により、急発展してきたダンスの歴史をたどるためには、批評やプログラムといった一次資料に頼らざるを得ない。
そのような状況の中でこの『20世紀ダンス史』という本は、大きな特徴を持っている。
原書が刊行されたのが21世紀の端緒、2003年であること、アメリカの研究者によって書かれたものであること、その二つが大きな特徴であろう。著者のナンシー・レイノルズは、ニュ−ヨーク・シティ・バレエ団の元ダンサーであり、バランシン財団のリサーチ・ディレクター。マルコム・マコーミックも元ダンサーであり、カリフォルニア大学の舞踊学科で教えており、ともダンス史家と紹介されている。。
さらに言えば、ニュ−ヨークにはパブリック・ライブラリーというジェローム・ロビンズのコレクションなどを基とする、恐らく世界一の膨大なダンス資料館がある。現実のダンスの舞台の時空から遥かに離れていても、自由に閲覧できる様々のダンスに関する資料は手近にある、ということである。
本書は、かなり念入りに上演された当時の批評などを援用して研究し叙述されている。とりわけ、ヨーロッパのダンスをアメリカから見る、という視点は新鮮で興味深い。そしてやはり、「アメリカ・バレエの円熟」「モダン・ダンス」「分裂と転移(モダン・ダンスの再解釈)」「境界を越えて(ポストモダニズム)」といった部分は、詳しくダンスの潮流の流れが分かり易く説得力があり、とてもおもしろかった。しかし、「バレエの繁栄」という章ではヌレエフ、マカロワ、バリシニコフといった亡命ダンサーの活動を大きく扱っているが、彼らの育った旧ソ連のバレエについては論がいささか薄いのではないか。たとえば、プリセツカヤは亡命せずに旧ソ連で『カルメン組曲』『アンア・カレーニナ』『小犬をつれた奥さん』といった優れた作品を創ったが、そうした面は全く触れられず、わずかに旧ソ連のバレリーナとしての記述があるのみだ。日本でもその傾向は強いが、当時は「鉄のカーテン」によって情報が遮断されていたこともあり、旧ソ連のバレエは閑却されている。
しかしまた、「アメリカにおけるミュージカル劇場」や「映画のなかのダンス」といった章が設けられているのも、この書のもうひとつの特徴になっている。今日まで、こうした視点からきちんとまとめて論ぜられることは少なかったが、現在でも映像によってアプローチすることが可能なパートがしっかりとまとめられている点は大いに喜ばしい。この2章だけでも充分に一読の価値がある。
20世紀ダンス史、というガジュマルの大樹のように複雑に繁茂する命題を、21世紀が始まったばかりの時点で纏め上げた筆者の力量には感服する。そしてなにより、確乎としたアメリカの視点が非常に新鮮であり、今までの日本の舞踊論に欠けていたことから、たいへん興味深く読み進むことができた。
時はまさに秋の夜長、実質のある一冊を読了するのには絶好の季節である。

『20世紀ダンス史』
ナンシー・レイノルズ/マルコム・マコーミック 著<br />
松澤慶信 監 訳
慶應義塾大学出版会
定価(本体12,000円+税)