(荒部 好)

『ディアギレフ・バレエ年代記 1909ー1929』

セルゲイ・グリゴリエフ 著
薄井憲二 監訳、森瑠衣子 ほか訳

著者のセルゲイ・グリゴリエフは、1883年生まれ。マリインスキー劇場で踊り、スタッフとして働いていたが、ミハイル・フォーキンの紹介によりディアギレフのバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)に参加。舞台監督として、1929年にディアギレフが亡くなってバレエ・リュスが解散するまで務めた。バレエ・リュスの創設から解散まで務めたのは、ディアギレフ当人以外では唯一の人物である。

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19世紀から20世紀初頭、フランスなどではロマンティック・バレエの人気も凋落していたが、唯一、ロシアの宮廷ではマリウス・プティパが完成した絢爛たるクラシック・バレエが花開いていた。それは既に頂点に達していたのだろう、マリインスキー劇場の周辺では、次第にバレエ革新の気運が高まりつつあった。
この時に登場した、希代の怪物プロデューサー、ディアギレフは、パリでバレエ・リュスの上演に大成功を収めた。そしてロシアのバレエはたちまち、世界中の関心を集める。さらにバレエ・リュスは、音楽、美術、文学などの当代一流の芸術家たちをも巻き込む旋風となり、フォーキン、ニジンスキー、カルサヴィナ、マシーンなどのスーパースターを生み、ファッションや風俗にも大きな影響を与える。
ここに、世界で初めて、バレエを上演するツアー・カンパニー、バレエ・リュスが生まれた。
しかし世界初であるから、資金集めの問題、ダンサーの教育と管理、衣裳と装置の移動、そして(世界を驚かし続けるための)新作のアイディア、台本、音楽、振付、美術などの制作、集客のための宣伝、劇場の確保・・・・と思いつくだけでも難問山積である。これに加えて最大の問題は、ディアギレフ自身の一部アーティストへの偏愛だった。(今日からみれば、この偏愛があったからこそバレエ・リュスは存続できたとも言えるのだが)
これらの難問を一身に受けて、セルゲイ・グリゴリエフはバレエ・リュス公演の本番の舞台の全責任を負った舞台監督として20年間働いた。もちろん、たびたびというかほとんどの公演で、筆舌に尽くし難い難問と苦闘した。その錯綜する現場の20年間の辛酸の声が、この一冊には時代を追って詳しく綴られている。
バレエ・リュスの舞台、ディアギレフの芸術と人間の評価は、この一冊を読んでからにすべきである。

『ディアギレフ・バレエ年代記 1909ー1929』
セルゲイ・グリゴリエフ 著
薄井憲二 監訳、森瑠衣子 ほか訳
平凡社 刊 2,800円(税別)