(荒部 好)

『近代日本の身体表象』----演じる身体・競う身体

瀬戸邦弘・杉山千鶴 編

森話社の叢書・文化学の越境20として『近代日本の身体表象』が敢行された。これは近代化の中で、日本人の身体が新しい価値観に直面して、どのように変化したか、あるいはしなかったか、を「演じる身体」と「競う身体」とに分けて論じた文章を集成した一冊である。
題材は様々におよんでいるが、第1部の「演じる・見せる・・・民俗芸能編」でとりあげられているのは、「武州世直し一揆」=渡部圭一「女相撲」=1階千絵「浅草の女王・河合澄子」=杉山千鶴「沖縄の歌と踊り<南洋浜千鳥>」波照間永子「三匹獅子舞」=弓削田綾乃tなっている。
また、第2部の「競う・創られる・・・体育・スポーツ編」では、「否定される身体」(明治になってから条例で禁止された行為)=松波稔「伝来初期の日本のテニス」=後藤光将「1930年代における体操の国民的普及」=佐々木浩雄「円谷幸吉の選択」=岡部裕介「大学応援団」=瀬戸邦弘、となっている。

1312book.jpg

私などはもちろん門外漢なので、記憶の中から消えかけていたものも多く、なるほどそうした視点から、近代と身体の問題にアプローチすることができるのか、と感心した。とりわけ自分の分野といささか関わりのある河合澄子以外は、題材を示されたこと自体が新鮮だった。
河合澄子については、1920年代に浅草オペラの全盛期を招いた彼女の活動から浅草を離れて、舞踊家となったり映画女優や映画のアトラクションで活躍したりしながら、浅草に復帰して浅草レビューを彩り、カジノフォーリーにも参加する。その過程で川端康成やマスコミの言葉によってキャラクターが形成されていく。一方、時代もエロ・グロ・ナンセンスがもてはやされ、風俗が爛熟していった。そこに「浅草の女王・河合澄子」という身体の軌跡が浮かび上がってくる様子が巧みに描かれている。
また、「否定される身体/近代化される身体」の章では、明治期にできた条例によって江戸時代以来の生活習慣で、西洋の視点から見ると不快だと思われる習俗が軽犯罪として取り締まられた。そこでは春画などを売ること、身体に彫り物をする者、男女混浴ほかさまざまの禁止令が発布された。筆者はこの条例から、「ナンパ」という歩行などにも言及し、近代学校制度の導入により、次第に農民的な身体が否定されて軍隊式の身体が形成されていった、と指摘している。
ところで、1922年、アンナ・パヴロワの一座が来日し日本全国を巡業したが、その際、東京でこそ帝国ホテルに宿泊したが、地方公演ではホテルと呼べるような施設がなくて困った。中でも彼女たちが最も困惑したのは、風呂場に男女の区別がなかったことだ、という。
たまさか、こんなところでも西洋の身体と日本の身体が出会っていたのである。

『近代日本の身体表象』----演じる身体・競う身体
瀬戸邦弘・杉山千鶴 編
森話社刊
定価本体2500円+税