(荒部 好)

『ペテルブルグのバレリーナ』マチルダ・クシェシンスカヤの回想録

マチルダ・F・クシェシンスカヤ 著 森瑠依子 訳 関口紘一 監修

マチルダ・クシェシンスカヤはサンクトペテルブルグの郊外に生まれ、1890年に帝室劇場学校(現ワガノワ・バレエ学校)を卒業した。この1890年には、ロシア貴族文化の豪奢な華ともいうべき『眠れる森の美女』が帝室マリインスキー劇場で初演された。そして彼女が後に特別な関係となるニコライ皇太子と、初めて直接言葉を交わしたのもまたこの年だった。
クシェシンスカヤはこうして、ロマノフの宮廷と様々に関わりながら、プティパやイワノフ、チャイコフスキー、さらにアンナ・パヴロワやディアギレフや、ニジンスキー、カルサヴィナ、イサドラ・ダンカンなどと共に、ロシア・バレエの黄金期から世界を席巻したバレエ・リュスの時代を生きた。彼女はこの時代の歴史に加わった当事者の一人である。
クシェシンスカヤはこの回想録の中で、ある時は深い敬意を込めてある時は強烈な怒りを秘めて、彼らをスケッチしているのだが、それがまた人間味に溢れ「さもありなん」と思わせる。優れた描写力と深く鋭い人間観察力によって、同時代の芸術家たちの人物像をじつに巧みに浮かび上がらせているのである。

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1917年にロシア革命が勃発すると、今度は皇帝と近しい女性として非常に危険な立場に追い込まれ、最愛の息子を連れて凄絶な逃避行を余儀なくされる。
決死の思いでパリに難を逃れてからは、同じように激動を生き抜いて亡命してきた祖国のバレエダンサーたちと再会を果たす。そこでバレエスタジオを開いて、フォンテーンやショヴィレなどを教え、人生の第2部の幕を開け、100歳直前まで生きた。
ダンサーとしては筋金入りのプロフェッショナルであり、ロシア人として初めて32回のグラン・フェッテを踊って喝采を浴びると、さらにもう一度32回まわってみせたというエピソードが伝えられている。当時ロシアで全盛を極めたイタリア人バレリーナから、実力で主役の座を奪って、ロシア人バレエファンに快哉を叫ばしたことは良く知られている。小柄で決して絶世の美女ではなかったが、明敏闊達なスピリットの持ち主で、たいへん魅力的な女性だった、と多くの資料が伝えている。
そしてクシェシンスカヤはついに、歴史上2人しか認められていないプリマ・バレリーナ・アッソルータという最高位にまで昇り詰めた。
今日のバレエをより正しく理解するためには、19世紀末から20世紀にかけてロシアから広がったバレエ芸術の大きな潮流を知らなければならないと思われる。クシェシンスカヤは、まさにその時代を生き抜いて、この回想録を残したわけである。巻末に詳細な年表とロマノフを中心とした詳しい系図が付いて、この時代を知る上で参考になる。

『ペテルブルグのバレリーナ』マチルダ・クシェシンスカヤの回想録
マチルダ・F・クシェシンスカヤ 著
森瑠依子 訳
関口紘一 監修
定価3,500円(税別) 平凡社 刊