(荒部 好)

『カラダという書物』

笠井叡 著
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笠井叡はモダンダンスとバレエを習っていたが、18歳の時に(1963年)大野一雄と土方巽に出会い、大きな衝撃を受け、「この二人は常に私のカラダの東西の両極に聳え立って」いるという。その後ドイツに渡り、シュタイナーの人智学、オイリュトミーを学んだ。現在、日本国内および世界の各都市で公演活動を行っている。
『カラダという書物』は、笠井が十数年前から構想して今年6月に刊行された。ここには「カラダ」に関するじつに啓示に富んだ考察が集成されている。

まず笠井は、社会生活をおくっている人間は主体だが、カラダは客体であって、家族や社会や国家に属しているだけでなく、自然にも宇宙にも、死体としては死後の世界とも繋がっていると説く。そこから「宇宙の感覚器官」としてのカラダという認識が導かれてくる。
そして、18歳で大野一雄に出会い、3年間ほとんどマンツーマンのレッスンを受けたが、その時の体験は、<一言でいえば「カラダの内部に入る」ということ>だったと言う。
さらに笠井は、カラダを誕生から「宇宙身体」「地球身体」「民族身体」といった有り様に分けて論じる。とくに民族身体と声については、「鰓(えら)呼吸するカラダ」というタイトルの章が設けられて、誕生から「母語による身体形成」に関するエネルギーの流れが詳細に論じられている。

また、ダンサーとは、子犬に追いかけれても逃げだすくらい弱虫でも傲岸で命知らずのヤクザのように振る舞ったり、明日の飯代もないのに金持ち面をしていたり、名もない家柄の生まれでも貴族の出であるかのようにみせたりするもの。虚偽で塗り固められた偽物の自然さを宿命としており、舞台上の「最もほんとうらしい嘘」と「最も嘘らしいほんとう」が、虚実皮膜の境界を行ったり来たりしているものだとする。しかしまた笠井は、じつは人間は、現実よりも、自分の思い込みでしか生きられない存在だともいう。
そして、「ウルトラマン」になりきった一人の子供が、高いところから空中を「飛ぶ」つもりで飛び降りて亡くなった、という事件を例をあげて論を進めている。こうしたダンサーの身体、さらにはダンサーと作品についての考察は、豊富なキャリアを持つ笠井の思考回路を垣間見ることができる。
すべてのページに作者の詩的エネルギーが迸り、独創的かつ実体的なカラダへのアプローチが非常に興味深い一冊である。

『カラダという書物』
笠井叡 著
書肆山田 刊
定価=本体2,800円+税