(荒部 好)

『ジャポニズムのロシア』知られざる日露関係史

ワシリー・モロジャコフ 著
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ヨーロッパの日本趣味、ジャポニズムは、19世紀にパリやロンドンで開催された万国博覧会などから盛んになったが、18世紀に流行した中国趣味、シノワズリーの中にも日本のものが混入していた。1872年にフランスの美術評論家フィリップ・ビュルティが「ジャポニズム」という言葉を使って国際的に知られるようになったそうだ。
フランスの作家ゴンクールや印象派の画家ドガ、ゴッホ、英国の画家ホイスラー、ビアズリーなどが浮世絵に魅せられて、その技法を研究したことはヨーロッパでも日本でも良く知られている。ジャポニズムに関する展覧会などもしばしば開かれて人気を集めている。
しかし、ロシアのジャポニズムについては、大きく論じられたこともなく一般にはあまり知られていないのではないだろうか。

ロシア科学アカデミー東洋学研究所主任研究員、ワシリー・モロジャコフの著した『ジャポニズムのロシア』によると、それはヨーロッパより少し遅れて20世紀の初頭から始まった。ヨーロッパの風潮の影響が大きかったのだが、1904年に始まり勝てるはずだった日露戦争の不本意の結果が、ロシアの人々の日本文化への関心を飛躍的に高めた。
モロジャコフは、ロシアのジャポニズムにとって重要な契機を与えたものとして、ロシア革命前の最大の日本美術収集家キターエフ・コレクションの展示会を挙げる。これはまず、1896年にペテルブルクで翌年にはモスクワの歴史博物館で開催され、多くのロシア人画家が訪れている。その中にはバレエ・リュス初期に重要な役割を果たしたアレクサンドル・ベヌアや、ディアギレフが主宰した雑誌「芸術世界」の同人だったドブジンスキーなどがいる。
そしてキターエフの第3回の日本美術展は日露戦争が終結した1905年9月〜10月にペテルブルグで開催されている。その組織化にかかわったのがニコライ・レーリヒである。
レーリヒはバレエ・リュスの最初期のパリ公演で評判となった『イーゴリ公』の「ポロヴェツ人の踊り」の美術と衣裳を作り、パリにセンセーショナルを巻き起こした『春の祭典』では美術と衣裳の制作のみならず、ストラヴィンスキーとともに台本にも参加している。レーリヒは後に、ニュ−ヨークやインドに渡り各地を放浪した。短期間だが来日もしているが、インドのパンジャブでその生涯を終えている。
レーリヒは自身がかかわった日本美術展に際して、日本美術の高度の象徴性や自然との向き合い方などを様々な解説を印刷物に残している、
私は『春の祭典』の復元版が上演された映像を観てレーリヒの神秘的な光を発する背景画に魅せられた。後日、ロシアを訪れた際には画集を購入することができて大いに喜んだ。また、ヴォストーク1号から地球を見下ろしたソ連の宇宙飛行士、ガガーリンが「地球は青かった」と語って世界的に有名になったが、それはまるで「ニコライ・レーリヒの絵を見るようだ」とも語っていたことを知り、我が意を得た気持ちとなったことを記憶している。

『ジャポニズムのロシア』は、俳句や短歌に深い関心を示して詩作を試みたロシアの詩人たちの研究、ロシア文学と日本人の関わり、仏教、神道、キリスト教の問題、ロシアの新しい日本学についてなど、そのほかにも興味深い話題が展開されている。また、冒頭に掲げられた資料画像がたいへん魅力的なことも付け加えておきたい。

『ジャポニズムのロシア』知られざる日露関係史
ワシリー・モロジャコフ 著
村野克明 訳
藤原書店 刊

本体2,800円+税