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関口紘一 
[2017.12.31]

薄井憲二氏追悼

去る12月24日未明、日本バレエ界の重鎮、薄井憲二氏が亡くなられた。当日は、氏が住まわれている京都の町家ギャラリーで開催されていた、兵庫県芸術文化センターの薄井憲二バレエ・コレクションの特別展示「バレエの日本趣味ージャポネズリ」の最終日だった。これは氏がよく話題にされていた、日本趣味をバレエで表現したロシアやフランスのバレエの舞台や衣装、ダンサーたちの写真、楽譜、ポスター、ポストカード、などの貴重な品々を展示したもの。アルフォンス・ミュシャが描いたアンティーク・プリントなどもあった。19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパの人たちが、当時の日本をどのように見ていたかが偲ばれて、実に興味深かった。展示品の瀟洒な雰囲気が会場の町家のギャラリーとよくマッチして、とても品の良い展覧会だった。私は12月12日の初日にうかがったが、薄井氏は体調がおもわしくなく、会場にもいらっしゃることができず、残念ながらお目にかかることは叶わなかった。

171224usuiten.jpg 薄井憲二バレエコレクション「バレエと日本趣味」より
「夢」1890年フランス

私がダンスマガジンを創刊した1984年は、未だ今日のような所謂バレエブームは到来しておらず、バレエを題材とした雑誌はほとんど皆無だった。その頃、バレエを本格的に論じることのできる人といえば指折り数えても5本の指が余った。そうした中でダンスマガジンの編集にあたっては、薄井氏からクラシック・バレエの知識もヨーロッパのバレエのジャーナリスティックな話題もほとんど教えていただいた、と言っても過言ではない。実際、シルヴィ・ギエムやウラジーミル・マラーホフ、セルゲィ・ヴィハレフなどの将来を嘱望すべきダンサーたちの情報はほとんど氏からもたらされたし、マシュー・ボーンの『スワン・レイク』にいち早く注目したのも氏であった。ガリーナ・ウラノワやナタリア・マカロワにもインタビューしていただいた。特に、ウラノワが来日し、森下洋子さんに公開レッスンを行う、という「世紀のイベント」の司会を薄井氏が務めたことは深く印象に残っている。
氏はダンサーとしては東勇作に師事し、太平洋戦争の抑留者として旧ソ連に残されてロシア語をマスターした。そして語学力に優れ、古典バレエに深い造詣を持つ舞踊の研究者として世界中を活発に行き来して、博覧強記に磨きをかけた。各国の舞踊家たちとも交遊を深め、多くの国際バレエコンクールの審査員も務めた。薄井憲二バレエ・コレクションは、その広汎な活動結果の集積であって、世界的にもよく知られている。「薄井氏のコレクションに加えて欲しい」と見ず知らずの外国人から収集品を送ってくることもあるという。氏は、決して単なるコレクターとして、蒐集にのみ終始していたわけではないのである。
私は、薄井氏の最後の出版となった『ディアギレフ・バレエ年代記 1909ー1929』(セルゲイ・グリゴリエフ/著、薄井憲二/監訳、平凡社刊)の編集を担当し、そのお仕事ぶりも垣間見せたいただくことができた。その後も色々な企画をご相談させていただいていたが、果たすことが叶わず無念の想いが残る。薄井氏についてはもっとその足跡をしっかりとたどり、研究の成果を継承していかなければならないと思っている。