L’OPERA DE PARIS パリ・オペラ座公演から
3月はパリ・オペラ座での催しが満載だった。ガルニエ宮では1〜31日にローラン・プティ振付『失われた時を求めて』がオペラ座で初演され、6〜12日は学校公演、23〜30日は歌舞伎(市川団十郎の一座)のオペラ座デビュー公演。バスティーユ劇場では2月27日〜4月1日にヌレエフ再振付『ドン・キホーテ』が上演された。
R0LAND PETIT : PROUST OU LES INTEMITTENCES DU COEUR
ローラン・プティ:『失われた時を求めて』
13枚の“絵画”で描いたプルーストの心象風景
プティがマルセイユ国立バレエ団に振付けた作品で、1974年にモンテカルロで初演された。日本語の作品名は、小説家マルセル・プルーストが1908年ごろから1922年にかけて書いた長編の代表作『失われた時を求めて』にちなんでつけられているが、フランス語のオリジナルタイトルの意味は『プルーストと心の断片』。感性に導かれて振付けるプティは、作品の筋を追うよりも、むしろ登場人物と時代背景に光をあてた心象風景をオムニバスにつなぎあわせたといえる。
2幕構成。第1幕は「プルースト風楽園の絵」、第2幕は「プルースト風地獄の絵」と名づけられ、前者にはノスタルジックで淡いベル・エポックが美しく描かれるのに対して、後者ではリアリティに富んだホモセクシャル、第一次大戦前後のスノビズムなどを題材に、強烈なコントラストで対峙させる。全13場面をプティ自身が「タブロー(キャンバスの絵)」と呼び、シンプルな舞台装置に照明や衣装、音楽を絶妙に合わせてゆくことで、抒情詩のようでありながら一貫性をもたせることにも成功している。
主な登場人物と、私が観た3月13日と26日の配役は以下のとおり。
・ アルベルティーヌ:プルーストの小説では孤児で、主人公が恋をする相手。
エレオノーラ・アバニヤート(13日) イザベル・シャラヴォラ(26日)
・ 若きプルースト:小説では自分自身のことか?
エルヴェ・モロー(13日) マニュエル・ルグリ(26日)
・ モレル:小説ではヴァイオリニスト。プティの作品では、肉感的な同性愛者。
ステファン・ブイヨン(13日、26日)
・ シャルリュス男爵:小説では、社交界の人気者。同性愛者。
マニュエル・ルグリ(13日) シモン・ヴァラストロ(26日)
・ サン・ルー:小説では、ゲルマンと公爵夫人(元はヴェルデュラン夫人)の甥。同性愛者
マチュー・ガニオ(13日) エルヴェ・モロー(26日)
第1幕の幕があくと、舞台(絵画1)はヴェルデュラン夫人(両日ともステファニー・ロンベルグ)が主催するブルジョワのサロンでの演奏会。舞台には、プルースト、イスに座った無表情のゲルマント男爵の姿も見られる。先に最後の場面を話してしまうと、ヴェルデュラン夫人がゲルマント男爵の夫人として再登場するが、サロンの客人たちはすっかり老け込み、時代も殺伐と描かれる。つまり、冒頭と結末に場面設定上の整合性をもたせることで、プティはプルーストの作品の主題「現実は記憶の中に作られる」を印象づけたのだろう。
絵画2は、フランクの「ヴァイオリン・ソナタ」に振付けた初々しいパ・ド・ドゥだ。男性は両日ともクリストフ・デュケーヌで、女性は13日がローラ・エケ、26日がマチルド・フロスティだった。昨年末のオペラ座内の試験でプルミエ・ダンスールに昇格したデュケーヌは、動きがスマートで洗練されている。エケはしっとりとした大人の女性を、数年前に入団してすでにスジェになったフロスティは、細い身体の線を生かした小気味いい動きを見せる。
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エケ、デュケーヌ |
フロスティ |
絵画3には、小説では主人公が恋心をよせる娘ジルベルトが登場。20世紀初頭のロングドレスを着用し日傘をさした貴婦人たちの光景は、ルノワールの絵画を彷彿とさせる。絵画4は、小説にも登場するユダヤ人の男性スワンと、高級娼婦あがりの妻オデットのパ・ド・ドゥ。サンサーンスの「ハープとオーケストラのためのコンチェルト」の和声に触発され、クラシックの概念を超えたプティ独特のコミカルな振りとステップが、二人の関係にエスプリを漂わせる。
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絵画5は、ドビュッシー「海」に振付けられた「花咲く乙女たち」。音楽のイメージも手伝って、女性ダンサーたちの動きは人魚姫を思わせる。アルベルティーヌ登場。シャラヴォラと比べると、アバニヤートの方が群舞の女性たちに溶け込んで一体化して見える。続く絵画6で、アルベルティーヌは女性アンドレと口付けを交わす。プルーストの小説でも、主人公が恋したアルベルティーヌが同性愛者だったと知って愕然とする場面がある。
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「花咲く乙女たち」
(中央)アバニヤート |
絵画7は、作品の中でもっとも完成度の高いパ・ド・ドゥ。若きプルーストがアルベルティーヌと踊る。モローとアバニヤートの組み合わせでは、それぞれの動きが粒だって見せ場をつくっていたが、ルグリはシャラヴォラにぴったり寄り添ってサポート役に徹している。そんなルグリの腕の中で、シャラヴォラはすっかり身を任せて踊っている。それにしても、モローのアラベスクした脚線、緩急とりまぜたピルエットは、芸術品のように美しい。
アバニヤート、モロー |
ルグリ、シャラヴォラ |
第2幕は、プルースト自身がそうだった同性愛の世界が色濃く描かれ、葛藤や理想が全編に交錯する。絵画8では、ブイヨン扮する肉感的でエネルギッシュな男性モレルに、初老のシャルリュス男爵が惚れてゆく様がコミカルに哀愁を帯びて描かれる。ルグリは淡々と、ミラノ出身のヴァラストロ(スジェ)はメリハリの利いた動きで観客の笑いをとっていた。
絵画9は、娼婦の館で繰り広げられる乱交と男娼の世界。背後からオールヌードを見せたブイヨンの身体はしなやかで逞しく、プルーストの理想の男性像を体現しているかのようだった。絵画10では、シャルリュス男爵が、兵士たちの暴力の餌食になる。この場面では、小柄なルグリが出色の出来。大男たち3人に羽交い絞めされ、逆さにされ、蹴飛ばされる---。無抵抗な老人の哀れさ、時代の残酷さが際立って、見ているのが辛いほどだった。
絵画11は、スクリーンの前で、肌色のレオタードを着用した女性(ペギー・デュルソー)と3人の男性が、光のシルエットの中でめくるめく性の世界を表現する。男と女、男と男が絡み合い、変容してゆく。際どい身体表現もあるが、いやらしさとは無縁だ。身体的にも男女の別がつきにくいダンサーたちが選りすぐられているが、デュルソーの格好よい乳房と見事なまでに甲が出た美脚のポワントがアクセントになっている。性別の組み合わせを超え、純粋に美しい肉体の結合をプティは見せる。同性愛者であることを隠さなければならない時代に生きたプルーストへのオマージュだったのかもしれない。
絵画12は、モレルとサン・ルーという男性二人によるパ・ド・ドゥで、肌色のタイツのみで踊る。ガニオは、端正で孤高の美しさをみせ、モレルとは距離感を感じさせる。一方、モローは、地で演じているのではないかと思うほどモレルと息があい、観客をぐいぐい引き込むような説得力がある。あのモローが、こんなにも肉感的だったのか、と思うほど官能的だ。曲はフォーレの「エレジー」。ソロを弾いたチェロの渾身の演奏で、客席と舞台の間に真空時間が生まれた。
ガニオ、ブイヨン |
ブイヨン、モロー |
最終場面の絵画13は、大きな鏡に男爵夫人(元のヴェルデュラン夫人)が自らの姿を映すというジェスチャーが効果的に使われ、過去の登場人物が再び舞台に現れる。サロンのゲストたちは人間の表情をもたない物質化した人々で、男爵も顔色ひとつ変えない。恐怖政治さえ暗示しているかのような非人間的な振りが続くなかで、観客は残酷な問いを突きつけられる。
ベルエポックは過去の遺産。歴史を経ても人間は何も学ばず、愚かさだけが生き残るのだ、と。
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ガニオ、ブイヨン |
13日の公演は映像カメラが回っていたので、DVD化させることを願いたい。
26日の公演のカーテンコールは、数分間にも及び、ブラボーが鳴り止まなかった。
演奏は、パリ・オペラ座オーケストラ。指揮は、コーエン・ケッセルズ。
DON QUICHOTTE ヌレエフ版『ドン・キホーテ』
デニス・マトヴィエンコがオペラ座デビュー
日本では知名度も高いロシアのマトヴィエンコが3月15日、バスティーユ劇場で公演中の『ドン・キホーテ』のバジル役としてパリ・オペラ座デビューを果たした。金髪に甘いマスク。ロシア仕込みのテクニック---。オペラ座ダンサーとは異色の存在が、舞台でどんな光を放つのか。相手役オレリー・デュポンとの相性は?
マトヴィエンコは1979年、ウクライナ生まれ。10歳から国立キエフ・バレエ学校で学び、キエフ・バレエに入団。現在は同団プリンシパル、ボリショイ劇場バレエのゲスト・プリンシパルも務める傍ら、新国立劇場には2000年3月に『ドン・キホーテ』で初登場して以来、毎シーズン客演している。昨年8月にはボリショイ劇場ロンドン公演、今年に入ってからもミラノ・スカラ座ガラ出演、ワシントンDC公演と、国際的に活躍の場が広がっている。
ヌレエフ版の『ドン・キホーテ』は、マリウス・プティパの原典版をもとに
1981年、パリ・オペラ座のために改訂振付けられた。この日の上演回数は、実に172回を数える人気作品。ゴヤの絵画を彷彿とさせる色彩の衣装や背景が、見せ場の多い舞台に華やかさを添えてくれる。全体については次号でまた触れる予定だが、今回はマトヴィエンコを中心に書いてみたい。
マトヴィエンコ |
第1幕、バルセロナの広場。マトヴィエンコの登場とともに拍手が沸き起こった。が、緊張しているのか、少々身体が重い。跳躍は、日本で見たときの方が高く、切れ味もよかった。ふだんオペラ座の男性ダンサーたちのダークヘアと端正な身のこなしを見ているせいか、マトヴィエンコの金髪、少年っぽい表情は全体の中で浮いてしまう。さらに言えば、演技力に問題があるのか、ヌレエフ版に慣れていないのかわからないが、バジルのコミカルな演技が自分のものになっていない。観客の反応も“悪くない”といった拍手にとどまっていた。
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一方、キトリを演じたデュポンは、しっとりとした大人の女っぽさを全身に湛えて登場。カスタネットを手に踊るヴァリエーションで、細かいつま先の動きを駆使したパを披露しながらも、技術に終始しない余裕がある。女優のような華やかさをオーラとして放つデュポンの踊りをみていると、テクニックはどうでもいい、なんて思ってしまう。余計なことだが、プログラムに載っているデュポンの顔写真は、表情も暗く、実物より遥かに老けてみえる。少女のような目の輝き、セクシーな口元・・・は、舞台でしか見られないデュポンの魅力だ。
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デュポン |
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バルセロナの少女たちを踊った群舞の中に、ミテキ・クドー(スジェ)の姿をみつけた。それも後列の端で踊っている。子育てとバレエの両立を楽しむミテキは「私は目立つのが嫌いだから、これで十分」などというが、現役時代にもう一花咲かせてほしいところ。
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アレッシオ・カルボン (ジプシーおとこ) |
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第3幕、キトリとバジルの結婚式。ポワントで数秒間アラベスクを維持したり、バジルが片手でキトリを持ち上げて静止のポーズを見せたり---二人によって踊られる美しいアダージョが、この作品の大きな見せ場だ。どれだけリハーサルや打ち合わせの時間があったのか知らないが、この日の出来栄えに限っていえば、リフトが不安定で、練習不足の感が否めなかった。
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マトヴィエンコ、デュポン |
ただ、救われたのはコーダ。なかでもピルエットでは、本来のマトヴィエンコの姿に戻った。エネルギッシュさと、いつまでも回り続けるのではないかという余韻を残してくれる。連続する華麗なピルエットには、天下一品と唸らせるものがあった。課題は残したものの、終わりよければすべて良し。今後のマトヴィエンコの成長に期待したいところだ。
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