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関口 紘一 
[2016.01.29]

新国立劇場バレエ団の2016-17シーズン・ラインアップについて

新国立劇場バレエ団が2016 - 2017シーズンに向けて、ラインアップを発表した。大原永子芸術監督となってから3シーズン目に入る。ラインアップは以下のようだ。
『ロミオとジュリエット』(マクミラン)、『シンデレラ』(アシュトン)、「ヴァレンタイン・バレエ」(『テーマとヴァリエーション』『ドン・キホーテ』パ・ド・ドゥ『白鳥の湖』黒鳥のパ・ド・ドゥ 深川秀夫振付『ソワレ・ド・バレエ』『タランテラ』『トロイ・ゲーム』)、『コッペリア』(プティ)『眠れる森の美女』(イーグリング)、『ジゼル』(セルゲイエフ)

1601nnt01.jpg 大原永子 舞踊芸術監督

ラインアップを一見して誰しもが気が付くと思われるが、2016-17シーズンのプログラムにはバレエの新制作の舞台がない。
2010/11『ペンギン・カフェ』『火の鳥』、2011/12『パゴダの王子』、2012/13『シルヴィア』『コンチェルト・バロッコ』『イン・ジ・アッパー・ルーム』、2013/14『アポロ』『暗闇から解き放たれて』『大フーガ』『シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメンツ』『ファスター』、2014/15『眠れる森の美女』『トロイ・ゲーム』、2015/16『ホフマン物語』その後の予定では『フォリア』『Men Y Men』と、今シーズンこれから上演するものも含めて、新国立劇場バレエ団は新制作作品を創ってきたのだが、2016/17シーズンは、深川秀夫振付の『ソワレ・ド・バレエ』が予定されているだけである。
予算の関係、オペラや演劇などの他ジャンルとの関連で予算が形成されるのだろうから、毎シーズン新制作を創る訳にはいかないのかも知れない。
ヨーロッパなどの劇場は、それぞれの劇場に総監督がいて、その劇場独自の芸術的観点から舞踊やオペラのバランスを整えて予算を組んでいる。現在のパリ・オペラ座ではリーバマン総監督がミルピエをバレエの芸術監督に起用し、パリ・オペラ座バレエ団の芸術的方向性を打ち出している。新国立劇場にはそういうオペラハウスの総監督に当たる役割の人がいるのだろうか。いささか不分明である。

ビントリー芸術監督時代には、『アラジン』や『パゴダの王子』の全幕バレエの新作が創られ、ニジンスカやバランシンの素晴らしい作品がレパートリーに加わった。大原永子芸術監督のこれまでのシーズンは、ピーター・ダレルの『ホフマン物語』やウェイン・イーグリングの『眠れる森の美女』などがあった。しかし、今シーズンは特に目玉となるべき新制作の演目が見当たらない。やはりこれでは、清新さに欠ける、あるいは創造的意欲の弱いラインアップと言われても仕方がないのではないか。

「バレエはヨーロッパで生まれた芸術。ヨーロッパの人たちは生活の中から身体で表現する習性があり、ダンサーの表現力など日本人はそうした点が未だ未開発。今は、そこから始めているところ」といった意見もあった。確かに日本人の踊るバレエについて、そうした点は50年以上前から指摘されてきた。しかしそうであってもたとえば、吉田都のように外国人の大まかな神経では決して創ることのできない、日本人独特の細やかな表現力を身に着けたダンサーが生まれ、国際的にも大きく評価されている。新国立劇場バレエ団のダンサーで言えば、小野絢子などもそうした繊細な芸術的表現力を身に着けつつあるのではないか、と私は思う。
プログラムの構成にあたって「今はまだそこにいったていないから」という段階論に囚われて、自己規制し過ぎていないだろうか。私はビントリー芸術監督時代のプログラム構成と比較して、そのように感じてしまう。

また、バレエ上演のために最も重要な振付という点では、開場記念公演の石井潤振付『梵鐘の聲』以来、日本人振付家による全幕物のオリジナル作品はない(2015年に惜しい才能を喪っていまった)。また、小品でも2002-03シーズンの金森穣、中島伸欣、島崎徹の「J-バレエ〜ダンス・クレアシオン」以来、オリジナル作品は上演されていないし、この企画も立ち消えとなってしまっている。
日本人振付家による全幕ものでいえば、やはり石井潤の『カルメン』、牧阿佐美『椿姫』『ライモンダ』『ラ・バヤデール』『くるみ割り人形』がある。そのほかの全幕バレエの改訂はほとんど牧阿佐美が行っており、わずか『ラ・シルフィード』のステージングを大原監督が務めているのみだ。それをフォローするかのように、「Dance」公演では、日本人の振付家が活躍している、という訳である。
やはり、ダンサー同様にバレエの振付家も日本人には向いていないのか?
そうとも思えない。たとえば、新国立劇場ではたびたび「Dance」のオリジナル振付を手掛けている中村恩恵が、大阪のバレエ団に振付けた『シンデレラ』全幕、やはり「Dance」公演にしばしば登場する首藤康之が九州のバレエ団に振付けた『くるみ割り人形』と『ドン・キホーテ』の全幕などは、私にはとてもおもしろかった。彼らには旧態依然としたセルゲイエフの60年以上以前の演出をそのままなぞるような消極的な気持ちは毛頭なく、全体とそれぞれのシーンに創造的意欲を見せた演出だった。また、新国立劇場のダンサーである山本隆之はやはり、大阪のバレエ団に『くるみ割り人形』全幕を振付けている。
もちろん、全幕物の新制作を新しい人に任せることは、大きなリスクがあるかもしれない。しかし、10年後に新しい振付家たちが輩出するための手を打っているのだろうか。上記のような新国立劇場の現状をみると、とてもそのようには思えない。このままでは、これから10年経っても日本人の新しい振付家が関与する全幕物のバレエ公演の機会はないだろう。私には、現状がそのように見える。

ダンサーのレベルアップをはかり、良い作品を導入していけば、バレエ団のレベルがおのずと上がる、そう考えているのかも知れない。確かにもうひとつ上のステージを目指すこと自体は良いのだが、そこに優れた作品は買えば良い、といった考えがあるのはどうか。目指すところが低すぎないか。バレエといえども、基本的に作品とは権利を買うものではなく、創造するものである。
たとえば、英国ロイヤル・バレエ団の創設者、ニネット・ド・バロワの元からは、アシュトンが生まれやがてマクミランあるいはクランコが育ち、その後を継ぐように、今日ではウィールドンやリアム・スカーレットが台頭しつつある。英国バレエ黎明期の彼らは貧しく、もちろんバレエ創造の歴史もなく条件はたいへん厳しかったが(新作を切手のような舞台で上演していた)、活発で確かな創造的な取り組みがあった。
今は「生まれてまだ17年目の、欧米と較べたら遥かに若いバレエ団」だから、と言っていても、国立バレエ団を名乗る以上、カンパニーとしての創造性がどうだったのか、と問われる時は間違いなくくるだろう。

私たち日本の舞踊に携わる者、とくに舞踊のジャーナリズムや評論に関わる者は、常に、新国立劇場バレエ団をきちんと見ていくという大きな義務がある。
今回のシーズン・ラインアップの記者発表にも多くの舞踊評論家、舞踊ジャーナリスたちが参列し熱心にメモを取ったりしていたが、それで事足りる訳ではなく、そう言う人たちにも大きな責任がある。黙ってやり過ごしていて片付く問題ではないからである。

1601nnt02.jpg 宮田慶子 演劇芸術監督、飯守泰次郎 オペラ芸術監督、大原永子 舞踊芸術監督