西脇美絵子 text by Mieko Nishiwaki
突然の訃報

7月21日朝、仕事に向かう途中の駅のホームで、携帯電話が鳴った。
「大変です!ガデスガ亡くなったよ」新聞記者の知り合いから連絡を受けたという友人からの知らせだった。
「えっ!まさか!!」反射的にその言葉をはね返したものの、「ついにきてしまった」という思いがこみあげてきた。そう、随分前から、かなり体調が悪いということは、業界では誰もがしっていることだった。でも、まさかこんなに早く逝ってしまうなんて。
その日の夕刊、新聞各紙が伝えたところによると、亡くなったのは20日。享年67歳。


不世出のフラメンコダンサー

 アントニオ・ガデス――、フラメンコ史上最高のアーティスト。20世紀を代表する舞踊家.。アンダルシアの一民俗芸能であるところの“フラメンコ”を芸術にまで高めた振付家・演出家だ。

私が初めてガデスを知ったのは、――同じ世代のフラメンコファンの多くがそうであったように――カルロス・サウラ監督の映画「カルメン」だ。
「カルメン」を上演するガデス舞踊団という設定で、ドキュメントタッチで描かれた作品。映画としても楽しめたが、なんといっても衝撃的だったのが、フラメンコダンサー、アントニオ・ガデスのバイレだった。

見るものに瞬きする間も与えないほどのスピード感、切れ味。それは私にとって、フラメンコ初体験でもあったのだが、一瞬たりとも目が離せない、釘付け状態。彼が踊り終わるたびにため息が出た。「神技とは、こういうものか」と、彼の踊りを見て、私は“神技”というものを生まれて初めて実感した。

そして映画が上演された翌年(だったと思う)、忘れもしない、高島屋の冠で、ガデス舞踊団の来日公演が行われた。もう、20年あまり前のことだが、2万円という当時としては破格のチケットを、ビンボー学生の私が、何の躊躇もなく買った。
生で見たガデスは、さらに素晴らしかった。

「アンダルシアの嵐」

両手を広げ、そこにたっているだけで、全ての観客を魅了した。ガデスの、あの上半身をなんと表現したらいいのだろう。厚い胸がかちわられたように前にせりだし、そこから広げられた腕は、劇場という宇宙を100パーセント支配していた。
 その時、自分がまさかフラメンコの世界で仕事をするようになるとは、夢にも思っていなかったが、まさしくあれは、私のフラメンコ原風景だった。


創作フラメンコの傑作「カルメン」と「血の婚礼」


 ダンサーとしてのガデスの実力は、今もって他の追随をゆるさないほどのものだ。
だがガデスのすごさは、そのことにとどまらない。いやむしろ、フラメンコの歴史の中で彼が築き作り上げたものは、振付家・演出家、舞台創作家としての仕事だ。
スペイン舞踊ではなく狭義の意味でのフラメンコが劇場で上演されるようになったのは、わずここ50年あまりのことだ。


「カルメン」

「血と婚礼」
フラメンコの劇場化は、一世代前のグラン・アントニが果たした仕事だが、そこで行われていたのは、ほとんどショースタイルのもの。本格的な創作フラメンコが作られるようになったのは、ガデスの時代から。

創作フラメンコに取り組んだ振付家は、ラファエル・アギラール、ルイ・シージョ、マリオ・マジャらがあげられるが、やはりここでもガデスの仕事はずば抜けていた。
本来、フラメンコは、物語を語るための踊りではない。もっといえば、劇場芸術という枠組に、おさまりにくい独特の表現様式とパワーがフラメンコにある。

一方、劇場芸術は、フラメンコのパワーだけで成立するものではない。構成・振付は言うに及ばず、舞台装置、照明、音響といったあらゆる要素が組み合わさり凝結したアートの結晶なのだ。その全てを統括し「美」を作りだすことができなければ、作品は完結しないのである。さらに、表現するべき哲学、文学性、そういったものが作品の核となる。

ガデスは、そのすべてを備えていた人だった。そして神経質なほどの完璧主義が、あの極めて完成度の高い、豊かな美と感動の世界を作り上げたのだ。
「血の婚礼」を超える作品を、いまだ知らない。「カルメン」を超えるヒット作は、まだ生まれていない。ガデスがこれらの作品を作ったのは、もう、30年も前のことなのに。


ガデスが牽引したフラメンコの現代

 私は、90年代、パセオ・フラメンコという雑誌の編集長していたのだが、パセオ創刊時からの発行人K氏は、なにかの折に口癖のように言っていた。
「ガデスの『カルメン』のヒットがなかったら、パセオはとっくに潰れていただろうなぁ」

 そう、映画「カルメン」でフラメンコを知り、ファンになったのは、私ばかりではない。
フラメンコのファンを飛躍的に急増させたのだ。今の日本のフラメンコの隆盛を支えているのは、フラメンコ舞踊のファンだが、フラメンコといえば「ギター」だったものを、「舞踊」に変えた契機も、この映画といっていいだろう。

「カルメン」

 もし、アントニオ・ガデスという才能が登場しなかったなら、フラメンコを取り巻く状況は、今とはずいぶんちがったものになっていたはずだ。

ガデスが死んだ――。ガデスがいなくなって改めて、彼の存在の大きさに、今感じ入っている。彼の訃報は、自分でもびっくりするくらい、こたえた。きっと、フラメンコに関わっている多くの人が、今そんな思いを抱えているに違いない。

 度々来日を果たし、親日家としても知られれているガデス。
 日本食が好きで、中でも寿司がお気に入りで、ただ一度だけ一緒に寿司を食べたときは、マグロばっかり食べていた。
 気難しい芸術家、というイメージの強い彼だったが、私が接したガデスは、インタビューの時も、公演打上げパーティでも、いつもにこやかで、サービス精神旺盛だった。
 たとえ踊れなくとも、生きてさえ入れば素晴らしい作品を作れる人であっただけに、あまりにも早い死が、憎らしい。

 彼の最期の作品となった「フエンテオベフーナ」の完成後、「最期にもう一作、『ドンキホーテ』を創りたい」と言っていたガデス。その構想は十年以上も、すでに暖められていたという。だが、それを私たちは永遠に観ることはできない。

 

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