関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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酒井はなと山本隆之が踊った石井潤の『カルメン』

『カルメン』
 新国立劇場バレエ団が2005年3月に初演した、石井潤振付の『カルメン』を再演した。
 ビゼーの著名なオペラに基づいて創られたバレエ『カルメン』は、ローラン・プティやアルベルト・アロンソが振付けた舞台が良く知られていて、各国のバレエ団のレパートリーとなっている。プティはオペラの音楽を選択して使用しているが、アロンソはシェチェドリンが構成した「カルメン組曲」によって振付けている。1992年にマッツ・エクがクルベリー・バレエ団に振付けた『カルメン』も同様にシェチェドリンの曲を使っている。

 石井潤版の『カルメン』は、フォテーン、ヌレエフなどの公演で音楽監督を勤めたロビン・パーカーが、オペラ『カルメン』の曲やビゼーの他の作品(『アルルの女』や『真珠採り』)の曲を選んで、全2幕の舞台に構成している。
 朝倉摂の装置は、可動式の三本の三角形の立柱を中心として幾何学的な形を変化させて、ドラマティックな状況と登場人物の心理を浮かび上がらせようとした、モダンなもの。三角形がこのドラマの人間関係を象徴しているのであろう。

 物語は、一度一緒に入ったらどちらかが生きて出る事が出来ない闘牛場に踏み込んだような、カルメンとドン・ホセの激しい宿命的な恋を描く。第1幕のクライマックスは、カルメンと上官を刺し殺したホセが荒々しく愛し合うシーン。酒井はなが太腿も露に熱演した。第2幕では、エスカミーリオとホセの決闘の後、運命の悲劇を告げるダンスがたっぷりと踊られる。
 振付は、大胆だが優れたフォーメーションを随所に使い、テーブルや椅子を使った凄絶な官能シーンが見事な、力強いダンスで描かれていて関心した。山本も全身を込めてホセの人生の軌跡を踊って力量を見せた。
 ただドラマの構成としては、2幕の山の中のキャンプに、ミカエラやエスカミーリオが登場するのはちょっと唐突な気がした。またホセの幻想とカルメンの幻想がそれぞれ描かれる点などには、少々説明的な印象も受けた。
(2008年3月27日、新国立劇場 中劇場)

ファビアン・プリオヴィユ&バレエ ノアの二つの作品

 瀬山紀子が主宰する群馬県高崎市のNPO法人Ballet Noahが、さいたま芸術劇場 小ホールで、ファビアン・プリオヴィユ振付の『EDDIE』と『Les Avions papier(紙ひこうき)』を出張公演した。
 プリオヴィユはフランス生まれだが、ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスで踊った後、ピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団に入団。06年に退団し、その後は振付家として活動しつつ、ジョゼ・ナジの『ASOBU』などにも出演している。

『EDDIE』
 『EDDIE(エディー)』は、プリオヴィユ自身がダンサーとして体験した故障と復帰を素材にしたソロ。
 上手のスポットがあたっている一脚の椅子に、プリオヴィユが座る。不協和音が混じったオルガンの曲が流れ、ペットボトルからコップで水を飲み、手を挙げたり、身体を傾けたりして、また水を飲む。繰り返すうちに、突然、コップを放り出してバッタリと倒れ、床でもがき苦闘する・・・・。
 そして怪我したダンサーの心の動転や焦燥感、回復への希求などを表すダンス。さらに故障した部位----椎間板、半月板、足首の関節、靭帯、肘などをクローズアップしたダンスを見せる。
 ダンサー自身が経験したフィジカルな故障と精神的苦しみ自体を踊る。そこにダンスを踊るということの意味を追究する、というユニークな試みだった。
 最後に照明を落とした暗い舞台で、故障した部位に蛍光塗料を塗ったサポーターを着けて、スピードのある鋭い踊りをみせたシーンは感動的だった。

『Les Avions papier』
 『Les Avions papier(紙ひこうき)』は、今の女子高校生の心の有り様をヴィヴィッドに描いた作品。かつてフォーサイスが来日公演で、制服の集団が踊る<スクールガール・ダンス>を上演したことがあった。フォーサイス作品は、集団と個人の関係を象徴的に造型した舞台だったが、プリオヴィユの振付作品は、非常に具体的に女子高校生の実際を取材してダンスにしていて、<スクールガール・タンツテアター>とでも呼びたい舞台だった。

 ピナ・バウシュのヴッパタール舞踊団のダンサー、瀬山亜津咲がアシスタントを務めているが、フランス人の演出家がよくぞここまで日本の女子高校生の実態を把握しているな、と驚嘆するほどのリアリティを感じさせた。
 「私は学校が大嫌いだった」というナレーションからダンスは始まり、舞台のフロアに学校で禁止されている規則を延々とチョークで書き続けたり、制服を腰に結んだ紐でズルズル引きずって歩いたり、ただひたすら化粧だけを続けていたりなど、少々ベタな表現とも観られかねない演出もあったが、若いフレッシュなダンサーたちがじつに活き活きと踊って観客の心を掴んだ。

 数人のダンサーが一連の動きをしている時、隅に孤立して別の表現をしている一人のダンサーがいる、という構図が多かった。意識や感覚は共通しているのだが、何故か集団に参加できない心の構造を覗かせ、いわば、青春の実存に迫ろうと試みている。群舞は、倒れて立ち上がってまた倒れたり、座ったまま踊ったり、倒立したり、といったどちらかというとネガティヴな動きが多く、集団自体の心の屈折をも映し出していた。
 最近のコンテンポラリー・ダンスの中では、鋭い明確なテーマを追究する実力を持った作品だった。次回作にも期待したい。
(2008年4月16日、彩の国さいたま芸術劇場 小ホール)

 

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