今年、日本列島を襲う台風はなぜかみんな大型ですね。テレビ画面に映る天気図を見ても、"目"がぱっちりと開いています。沖縄や九州にお住まいの方々はたいへんです。南方憧憬には共感しますが、台風の現実を見ると怖くなります。ただ、あの暴風雨があるから、台風一過の青空の絶景もあるのでしょうけど。
"ニーナ"のグルジア国立バレエ団『ドン・キホーテ』
今月は『ドン・キホーテ』を5回観た。
まずは、ニーナ・アナニアシヴィリが芸術監督を務めるグルジア国立バレエ団の『ドン・キホーテ』。
アナニアシヴィリはグルジアの首都トビリシ出身である。ほかにバレエ界では巨匠バランシンやマリインスキー・バレエ(当時はキーロフ)団の著名な男性ダンサーだったワフタング・チャブキアー二などがグルジアの出身として知られている。現在活躍中のダンサーでは、マリインスキー・バレエ団のイルマ・ニオラーゼとイーゴリ・ゼレンスキー、ボリショイ・バレエ団のニコライ・ツィスカリーゼが、チャブキアーニの名前を冠したトビリシのバレエ学校出身である。
チャブキアーニはグルジアの人々にたいへん愛されている。ニオラーゼやゼレンスキーは帰郷するたびに、チャブキアーニの墓碑に花を手向けているという。チャブキアーニは、1941年から30年以上もトビリシの歌劇場の芸術監督を務め、『ドン・キホーテ』を何回も改訂して上演しており、彼のヴァージョンは05年まで、ここの重要なレパートリーだった。
アナニアシヴィリは、04年にグルジア国立バレエ団の芸術監督に就任した。そして今年4月19日にここの舞台でオデット/オディールを踊り、出産休暇後の舞台復帰を果たしたのである。
アナニアシヴィリは、グルジア国立バレエ団にさまざまの改革を施している。この人気演目『ドン・キホーテ』もボリショイ・バレエ団時代にパートナーを組んでいた、アレクセイ・ファジェーチェフと彼女自身も加わって演出・改訂を行っている。同時に、チャブキアーニの名前もクレジットされていることから、グルジア国立バレエ団で上演されてきたヴァージョンの伝統も継承しているものと思われる。
グルジア版『ドン・キホーテ』は、冒頭に騎士ドン・キホーテとサンチョ・パンサのうらぶれた旅の姿を、ユーモラスにアニメーションで緞帳に映してみせる。コミカルな舞台の幕開けとして、なかなか洒落ているし気が利いている。
まずはゲスト出演のアンヘル・コレーラがバジル、グルジア国立バレエ団のプリンシパルでヴァルナ国際バレエコンクールのゴールドメダリストのラリ・カンデラキがキトリを踊った。ABTのレティシア・ジュリアーニが来日できなくなり、代りに踊ったのだが、カンデラキの踊りが鮮やかだった。溌剌としてステップも軽やか、スペインの太陽とともに暮らすことのすばらしさを讃えたくなる舞台だった。
もちろん、アンヘルのシャープな身のこなしと鋭いピルエット、愛らしい笑顔も観客を胸を時めかせたが、カンデラキの踊りがグルジア国立バレエの名を高めた。
(7月26日、東京文化会館)
注目のアナニアシヴィリの踊りは圧巻だった。
バジルはボリショイ・バレエ団のプリンシパル、アンドレイ・ウヴァーロフだったが、水を得た魚というのだろうか、"ニーナ"には登場しただけで舞台の太陽になってしまう天与の存在感が備わっている。太陽の輝くエネルギーを受けて、ウヴァーロフのステップも一段と冴え、ダイナミックなダンスの空間が浮かび上がり、会場は沸きに沸いた。さらにカーテンコールでは、愛娘のエレーナちゃんも登場して会場の盛り上がりは頂点に。"ニーナ"の踊りに母の愛が加わって、なにも恐れるものはなくなったのである。
街の踊り子ルチア、エスパーダ、メルセデスも素敵なダンスを見せた。優れたダンサーを輩出している国のバレエ団らしく、観客をこころゆくまで堪能させた『ドン・キホーテ』だった。
(7月27日、東京文化会館)
K バレエ カンパニーの熊川版『ドン・キホーテ』
グルジア版『ドン・キホーテ』は、どちらかというと、ストーリーをやや背景へ退け、ダンスを楽しむことを全面に出す大人の成熟した感覚の演出であった。一方、熊川版はストーリーの展開に細心の注意を払って、演出・演技にも大いに工夫を凝らし観客へのアピールを追求するという、若々しさの漲るヴァージョンであった。
キューピットが騎士ドン・キホーテのハートを射抜くプロローグや、キトリとバジルが駆け落ちする際にはバッグやショールを手にするなど、観客に明確な理解を促すアクションを見せる。
駆け落ちした次の幕が開く前に、侘しげな夜の虫の声を聞かせ、仲間と離れた二人の寂しい気持ちを表す。幻想に狂って風車に飛び込むドン・キホーテの追いつめられていく心理を、順を追ってきちんと描く。そしてその際の彼の心理の乱れが、森の妖精たちの中でドルシネア姫とキトリが重なって見えてくることにも繋がっている。
そして最も感心したのは、風車の印象を照明によって大きく変化させ、ドン・キホーテの心に映る現実と幻想の両方の象徴として使っていることである。演出家は、ドン・キホーテの幻想は、森の中で偶然に起った訳ではなく、彼の心の中の現実に起った出来事、として捉えている。卓越した演出のアイディアだと思った。
まず、康村和恵のキトリと、怪我をしてしまった橋本直樹に代わって踊った清水健太のバジルを観ることができた。
康村のキトリはじつに安定した踊りで、迷いの無いすっきりとしたラインを描き、ステップも軽やかだった。清水のバジルは、康村の安定感に支えられた面もあると思うが、張り切って溌剌とした爽やかな踊りだった。"怪我の功名"といっては失礼かもしれないが、K
バレエ カンパニーは次々と優れた男性ダンサーがデビューしており、他のカンパニーが羨むメンバーとなりつつあるのではないだろうか。
ベルリン国立バレエ団エトワールの中村祥子が、ゲスト出演してメルセデスと妖精の女王を踊った。メルセデスではさすがに美しい足捌きをみせ、そこはかとないセクシーな雰囲気を醸して観客を魅了していた。
康村と中村のふたりの長身女性ダンサーの絢爛の踊りが、この『ドン・キホーテ』の舞台をいっそう艶やかなものとしていた。また、エスパーダを踊った宮尾俊太郎も長身を活かした見応えのある踊りだった。
そして今回の熊川版『ドン・キホーテ』の最大の見所は、やはり、サー・アンソニー・ダウエルが、ガマーシュを踊ったことだろう。熊川版では、ガマーシュ、サンチョ・パンサ、ドン・キホーテなどの脇役たちに自在に演技させ、見せ場もこしらえコミカルな楽しさが創られている。
ドン・キホーテはドルシネアを追い求める象徴性のある役だが、ガマーシュとサンチョ・パンサは、人間の中に備わっているどうしようもないひとつの側面を拡大強調して、独特の面白い人物像として造型している。サンチョ・パンサを演じたピエトロ・ペリッチアもノリノリで良かったが、ダウエルのガマーシュには感心させられた。登場した時は、演技のリズムがよくわからずはらはらしたが、シーンを追っていくに従って、じわりと味が出てくる。舞台上に居る時は必ず何か演技をしており、主役のダンスを観ているとダウエルの芝居を見逃してしまう。たびたび、もったいないな、と思わされた。
初演のサイモン・ライスのガマーシュも素敵だったが、サー・アンソニー・ダウエルは、独特の間と細やかに動く指先の演技で<ガマーシュの時間>を巧みに描いて堪能させてくれた。それでもまだ、「サー」の称号に気兼ねしているような気がしないでもない。ダウエルの演技プラン自体はもっと大胆だったのではないか、などと妄想を浮かべてしまった。
(7月19日、新国立劇場 オペラ劇場)
松岡梨絵の初役キトリへの挑戦も観ることができた。バジルは輪島拓也で、メルセデスが長田佳世、エスパーダは杜海(Du
Hai)だった。
初演の際、松岡が踊ったメルセデスに強い印象を受けていたので、彼女のキトリはじつに新鮮に感じられた。溌剌とした踊りとはっきりとした演技で、キトリは近い将来、彼女の当たり役になるのではないだろうか。ただ、コミカルな演技ということでは、バジルの輪島に一歩譲ったかもしれない。意外といっては失礼だが、輪島はコミカルな動きが上手い。状況に応じたバジルの気持ちをオーバーに表現してみせて、観客の笑いを誘っていた。
長田のメルセデスは堂々として大きな踊りで、舞台の隅々にまでリズムを行き渡らせて見事に踊っていた。杜海のエスパーダも踊りは見応えがあったが、演技はもっと思い切ってキザでもいいかもしれない。ガマーシュに対抗するくらいの芝居を期待したい。
(7月21日、新国立劇場 オペラ劇場)
新国立劇場バレエ団の『ドン・キホーテ』
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| スヴェトラーナ・ザハロワ、アンドレイ・ウヴァーロフ |
新国立劇場バレエ団もスヴェトラーナ・ザハロワとアンドレイ・ウヴァーロフというボリショイ・バレエ団の二人のプリンシパル・ダンサーをゲストに招いて、『ドン・キホーテ』を上演した。
周知のように『ドン・キホーテ』は、1869年にモスクワのボリショイ劇場でプティパの振付により初演され人気を博した。さらに1871年にはプティパ自身の改訂により、ペテルブルクでも上演された。以後このバレエは、ゴールスキーなどの改訂を経て、複雑な歴史を辿ることになるが、ボリショイ劇場でもマリインスキー劇場でもレパートリーとして残り、今日まで上演され続けている。
新国立劇場の『ドン・キホーテ』は、アレクセイ・ファジェーチェフがプティパ作品のオリジナリティを尊重しゴールスキー版も含めて、改訂振付を施した舞台である。新国立劇場では、1999年にこのファジェーチェフ版を初演している。たしか初演の際には、ドン・キホーテの愛馬ロシナンテ役の本物の馬が舞台に登場して、話題を集めたと記憶している。
このファジェーチェフ版には、台本としてもプティパの名前がクレジットされているので、おそらく最もオーソドックスなテキストが使用されていると思われる。プロローグ、第1幕と第2幕1場までに、バジルが狂言自殺してキトリとの結婚が認められる。続く第2幕2場と3場で、ドン・キホーテは風車と闘い、気絶して幻想の中の森のシーンでドルシネアと妖精たちに遭遇する。そして第3幕は助けられた侯爵の館で、キトリとバジルの結婚式が行われる、というストーリー展開である。
物語はよく整理されているが、バジル、キトリの恋愛騒動とドン・キホーテの騎士の高邁な理想の追究というふたつの流れから、浮かび上がってくるはずのバレエのテーマはやや弱く感じられる。とにかくめでたしめでたし、であっても限りなく楽しいダンスがあれば、もちろん結構なのであはるが。
ザハロワはキトリをのびのびと踊り、旬のダンサーの美しさを開花させて華やか。少々教科書的な印象が無くはないが、素晴らしい舞台である。
思わず知らず、プリセツカヤやアナニアシヴィリの同じくらいの年齢の時のキトリと比べたらどうだろうか、などと思った。しかし、それはやはり野暮というもの、今、眼前に咲き誇る花の香りを味わうことが古典名作を鑑賞する正しい態度であろう。
ウヴァーロフのバジルも見事であはあるが、ホームのボリショイ劇場で踊る時はもっと鮮烈なのではないか、などというわずかながらも邪推を残す余地もあった。
それにしても新国立劇場のコール・ド・バレエは優秀である。海外のゲストアーティストと踊っても見事に調和し、しかも日本的な雰囲気を醸すことにも成功している。奥田慎也のサンチョ・パンサ、キューピットのさいとう美帆などのソリストも良かった。
(6月28日、新国立劇場 オペラ劇場)
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