関 口 紘一 text by Mieko Sasaki
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熊川哲也の『海賊』、K バレエ カンパニー

『海賊』は、バイロンの詩劇に想を得て、マジリエの振付、アダンの音楽で1856年にパリ・オペラ座で全3幕のバレエとして初演された。その後、ジュール・ペローやマリウス・プティパなどが新たに制作している。今日では、プティパ版に基づいて演出・振付けられたヴァージョンが、マリインスキー劇場、レニングラード国立バレエ団、アメリカン・バレエ・シアターなどで上演されている。
 しかし、このバレエはガラ・コンサートやコンクールで人気のあるパ・ド・ドゥ以外は、あまりポピュラーな演目とは言えない。つまり、名前は有名だが、<全幕バレエ『海賊』の世界>というとバレエファンであっても、なにやら壮大な冒険劇らしい、といった程度しか知られていないことが多いのである。
 この『海賊』全幕を熊川哲也が、新たに演出・振付けた。もちろん、21世紀のバレエ・エンターテインメントの大作としての期待を大いに集めた。しかし、残念ながら初演3公演目の札幌で、アクシデントに見舞われ、アリを踊る熊川哲也の勇姿はしばらくお預けとなった。(詳細はトピックス参照)
吉田都(メドーラ)、橋本直樹(アリ)
 そういった事情もあり、私は熊川版の『海賊』は、まずは新星、橋本直樹のアリと吉田都のメドーラで観ることができた。
 熊川版の『海賊』は、原作のバイロンのスピリットを生かし、愛と冒険の物語を背景にロマンティックに生きた男性の崇高な悲劇を描いている。
 ストーリーとしては、女性の奴隷として数奇な運命をたどるメドーラとグルナーラを姉妹に設定したことは、じつに卓越した解釈である。女性の主役を姉妹関係にしたことにより、今までは一般的な悲劇だった女性の世界が、きちんとドラマと関わり観客の視線に方向性を与えた。
 また、ラストシーンでは、アリが首領のコンラッドの身を守るために、自らピストルの標的となって息絶える。これは、アリのロイヤリティの証であり、同時に人間の崇高な精神をドラマティックに浮き彫りにしたものと言えるだろう。
 この作品に関わった作曲家の曲を集成したという音楽は、シンフォニックに美しく起伏に富んでおり、バレエ音楽として印象深かった。
 アリを踊った橋本直樹はモスクワ舞踊アカデミーに学び、モスクワで活躍した後、昨年K バレエに入団した。じつに活気にあふれた踊りで、スピードにのって見事に全幕を踊りきった。もはや「別格!」ともいうべきメドーラを踊った吉田都、落ち着いて安定した存在感をみせたコンラッドのスチュアート・キャシディたちにも支えられ、素晴らしい舞台だった。
 そして何回目かのカーテンコールで熊川が登場し、満場の喝采を浴びた。熊川としては、ダンスを踊っての喝采を望んだだろうが、長い舞台人生にはこうしたこともあり得る。かえって観客がいかに彼に期待しているか、身に沁みて感じられたのではないだろうか。

アレキサンドル・ブーベール 橋本直樹
 また、康村和恵のメドーラ、長田佳世のグルナーラ、アレクサンドル・ブベールのアリ、輪島拓也のコンラッド、宮尾俊太郎のランケデムというキャストでも観ることができた。ブべールは初見だったが、独特の雰囲気を持ったダンサーである。K バレエには優れたソリストが多いのに改めて驚いた。短時日のうちによくこれだけのダンサーたちを揃えたものである。しっかりと公演を観ていないと、新しいダンサーの踊りを感得できない、という不安を感じる。
 熊川をアクシデントで欠いても、直ちにこれだけの舞台ができることに大いに感心させられた。しかしこれもまた熊川の功績である。
(5月23日、26日昼、オーチャードホール)


『聖母マリアの祈り vsprs』アラン・プラテル・バレエ団

 アラン・プラテルはベルギーのフランドル地方の都市、ゲントに育ち、現在もここを本拠地として活動している。ゲントは中世には、パリに次ぐヨーロッパ第2の都市になったくらい繁栄している。ここの聖バーフ大聖堂には、ファン・エイクの有名な祭壇画「神秘の仔羊」があることでも知られる。
 プラテルがモンティヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」を初めて聴いたのはゲントの教会で、16歳の夏だった。おそらくその時、心を引き裂くようなロマ(ジプシー)の音楽との繋がりを考え始めた、と言う。そして「当時、モンテヴェルディの『聖母マリアの夕べの祈り』全曲を口笛で吹くことができた。私にとって、この曲は最も完璧な、信仰のための音楽のひとつである」ともいう。
 プラテルはフランドルのお伽の国のようにのどかで歴史のある街で、美しいカリヨンの響きを聴きながら青春時代を過ごしたのだろう。
 一方、プラテルの創った舞台は凄絶だった。
 モンティヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」を原曲として、少人数のアンサンブルによるライヴ演奏。ジャズと古楽器演奏とロマのヴァイオリン、ソプラノ歌手で構成されている。
 舞台には、白い布で作られた小山があり、その平な部分でアンサンブルが演奏し、頂上に向かってスパイラルな道のようなものがある。この小山には背後から光りがあてられてきれいに輝くこともある。一見するとこの白い小山は、温暖化によって融けつつある氷山のようにも見えるし、なにか人間が生きることによって生み出す、<罪>の集積が示唆されていると思われる。
 まず、舞台に登場したダンサーが大きなパンを取り出し、むさぼるように食べ続ける。もう一人のダンサーがズボンを脱いで踊りだす。踊るといってもほとんど発作的な動きである。客席から次々とダンサーが登場し、意想外の痙攣的、発作的で強烈な動きが繰り広げられる。あるダンサーの動きが別のダンサーに転移したり、偶然のように全体で同じような動きとなることもあるが、バラバラな理不尽な動きであり、一貫するものを見つけることはできない。
 精神医学者のゲフッテン博士が残した患者の映像や、映画監督で民俗学者のJ・ルーシュが製作したアフリカの祭りでトランス状態に陥った人物の映像などに触発されて、個々のダンサーと共に創られた動きだという。
 しかし、音楽は情感豊かに心に沁み入るようなメロディと溌剌とした感覚に溢れていた。音楽とダンサーたちの身体の発作は、全く異界で進行しているようだが、じつは不思議とどこかでシンクロしているように感じられた。
 プラテルは、決して動きを美学的に構成しようとは思わない、と言うが、音楽と動きはフィジカルなヴィジュアルを超えて、美しく感じられた。
 そして、この激しく牽強で発作的な動きが繰り広げられ、感情にうったえかける音楽が奏でられていくうちに、ダンサーたちには次第に、<宗教的な法悦>ともいうべきトランス状態がおとずれたのである。
(5月17日、オーチャードホール)

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