関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi
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最近は紅葉が遅れがちで、色付く期間も短くなってきているそうです。自然の中で暮している私たちにとって、季節のうつろいは大切な句点ですから、いたずらに乱れずに流れていてほしいものです。ダンスの舞台の流れは種々様々ですが、やはり美しさを秘めたものであってほしい、そう思います。

新国立劇場バレエ団の新制作『白鳥の湖』の素晴らしい舞台

 新国立劇場バレエ団は、1998年の創設以来、セルゲーエフ版の『白鳥の湖』をおよそ40回にわたって上演してきたが、今回、装いを一新。芸術監督の牧阿佐美が、プティパ、イワノフ版およびセルゲーエフ版を尊重しつつ、改訂振付・演出を行った。
 キャストはオデット/オディールはスヴェトラーナ・ザハロワ、ジークフリード王子にデニス・マトヴィエンコ、ロートバルトに市川透、道化はグリゴリー・バリノフだった。
 新たに、オデット姫がロートバルトに白鳥に変えられるプロローグを加えた全4幕構成である。1、2幕と3、4幕を続けて上演し、休憩は1回だけ、というスタイルはなかなかスマートで、全体の情感がスムーズに流れ、ダンサーにとっても観客にとっても良かったのではないだろうか。

 
 そしてまず、特筆すべきはザハロワのオデット/オディールである。何回も書くけれども完璧なプロポーション。その美しい身体からは生硬さが消え脱力して息づいている。弓のようにしなう足、たゆたう水草のように柔らかいアームス、高々と優雅に舞い上がる脚、どれも絶品である。かつて彼女が登場した頃「アンナ・パヴロワの再来」と書いたことに誤りはなかったと、我ながら少し嬉しくなった。
 マトヴィエンコもザハロワに伍して安定した踊りで良かったが、青春と決別し王として政治に君臨しなければならない、王子の憂愁を鮮やかに浮かび上がらせるまでには至らなかった。これは作品全体との関連もあるのだからやむを得ない。



『白鳥の湖』

『白鳥の湖』
 コール・ド・バレエは、時には世界一という声さえ聞こえてくることがあるくらいだから、実によく整えられている。特に、この牧版では、アンサンブルと、オデットの悲劇的雰囲気、道化の陽気な速い動き、王子のやや憂いを秘めた気品のある演技が絶妙のコントラストを描いて効果を上げている。特にオデットとアンサンブルの共振は、同じバレエ団のプリマとコール・ドの関係以上に一体感があり、気品ある物語をスケールの大きな語り口でじっくりと説いてみせた。
 さらに美術、衣裳が見事であり格調高い舞台を創った。美術は、奇を衒わず安定した色調と造型で幻想のリアリティに重きを置いたデザイン。その空間の構成を生かしながら、光の強弱を巧みに操った照明も成功を収めている。
 演出は、プロローグではロートバルトが天からオデット姫を抱えるようにして捉え、力の上下の関係を強く感じさせる物語の構造をまず見せた。ラストシーンでは、ジークフリード王子がロートバルトの羽をむしったりするヒロイックな演出を避け、二人の愛の力を強く押し通して感動的に結んでいる。また、ルースカヤを復活させ、祝宴の華やかさが一段と盛り上がった。舞台全体の流れに無理がなく、物語の世界に没頭できる優れた演出である。
(11月12日、新国立劇場 オペラ劇場)

K バレエカンパニーの『三人姉妹』『二羽の鳩』

 K バレエカンパニーの舞台は、総合芸術としてのクラシック・バレエの理念がゆるぎなく確立されている。公演を観ると、いつもそう感じる。
 クラシック・バレエといっても、興行公演であるから、オーケストラを始めとしてもろもろを簡略化し、ダンサーの技だけを見せて済ませることもできる。
 観客の側から言えば、やはり、クラシック・バレエは、音楽と振付と美術とダンサーの表現力が最高の力を発揮して、舞台を輝かすものであってほしい。もろもろの事情の中でも、そのために最大限の努力を惜しんでいないことを感じさせてほしい、のである。その点に、K バレエの公演はいつも応えてくれている、と私は感じている。

『二羽の鳩』は、フレデリック・アシュトンがラ・フォンテーヌの寓話に基づいて創った作品である。音楽はアンドレ・メサジェ。鳩に、平和というかやすらぎを象徴させている。しかしそれは、全3幕をゆるぎなく描いて初めて得ることができる象徴性である。
 輪島拓也が青年を踊った。踊りの流れが一段と良くなり、いままで時折感じられたひ弱さは消えて力感が感じられるようになった。少女を踊った副智美は踊る姿がきれいになった。長田佳世はジプシーの少女を踊ったが、堂々とした踊りと演技。存在感もみせた。

 ケネス・マクミランがチャイコフスキーのピアノ曲とロシア民謡を使って(フリップ・ギャモン編曲)、振付けた『三人姉妹』。アントン・チェーホフの名作戯曲をマクミランが咀嚼して、さらに想念を練って創られた舞台である。チェーホフ独特のロシアのローカルカラーは少し薄まっているのかもしれないが、登場人物の心理的陰影や情感、あるいは女性の人生についての感慨は、舞踊と音楽によっていっそう鮮明に立体感をもって感じられる。
 ヴィヴィアナ・デュランテのマーシャと熊川哲也のヴェルシーニン中佐が踊る長いパ・ド・ドゥは、まさに圧巻。ここにこの舞台のすべてが凝縮されている。マーシャの夫、クールギンに扮したスチュアート・キャシディの演技力には、いつも感心させられる。登場人物の心理をじつに平易にわかりやすく表現する能力に優れているのである。  背後の紗幕に隠れているディナーの客たちの笑い声を、突然、挿入したり、椅子を使った酔っ払いの踊りを披露するなど、独特の演出法によって抽象化した現実をリアルに表現する見事な舞台である。ピアノが愛の不確実性を詠い、観客の胸深くに感情を波打たせる公演であった。
(11月15日、オーチャ−ドホール)


「ソワレ」SOIREE DE DANSE ROLAND PETIT

 草刈民代が企画プロデュ−スした「ソワレ」が東京にやってきた。9月8日にパリのシャンゼリゼ劇場を皮切りに、上海、台湾、香港を回って東京に到った。草刈のほかに、リエンツ・チャン、アルタンフヤグ・ドゥガラー、ワン・チーミン、リー・チュンのアジア系のダンサーに、ルイジ・ボニーノとレイモンド・レべックが加わった7名のダンサーが、ロ−ラン・プティ作品のアンソロジーを踊るワールドツアー。プティのダンスによって、アジアン・ビューティをフューチャーしようという企画である。

 第1幕は、『ピンク・フロイド・バレエ』のエッセンスを、アルタンフヤグ・ドゥガラー、リエンツ・チャン、草刈民代が踊った。つづいて『マ・パヴロワ』より「タイス」(マスネ曲)。ワン・チーミンとリー・チュンの中国中央バレエ団の中国人カップルが踊った。やや小柄ながらよく鍛えられた実力のあるダンサーで、10年以上パートナーを組んでいるという息の合ったペアである。ジャック・プレヴェールから想を得、ジョゼフ・コスマの「枯葉」を使ったプティの初期作品『ランデヴー』。草刈が女性というものの神秘性を垣間みさせる役に扮した。こうした役柄にも草刈らしさが出ている。
 プティの掛け替えのない理解者、ボニーノは『コッペリア』から、コッペリウス博士と人形のダンスを踊った。かつてプティが日本の舞台でも踊って、観客を喜ばせたシーンである。ボニーノは彼流に、スラップスティック・コメディのタッチで踊ってみせた。再び、ワン・チーミンとリー・チュンのペアが『アルルの女』を踊った。リー・チュンは活気溢れる熱演で会場も大いに盛り上がった。ただ、ヨーロッパ人の喪失感というか、恋愛の感覚と中国人の心のひだには、少し距離があるかもしれない、とも思った。

『ランデヴー』


『ソフィスティケイテッド・レディ』
 第2幕には、新作『神も悪魔もなく』が登場した。ピアソラに認められユーロ・ジャズの旗手ともいわれるアコーディオン奏者、リシャール・ガイアーノの音楽「Chat Pitre」を使った作品で、20世紀初頭に流行したダンスのステップを活かしたものだそうだ。リズミカルな音楽の楽しさと草刈のコケットリーが、ほどよく調和した洒落たダンスだった。
 そしてボニーノの『ダンシング・チャップリン』から、「ティティナを探して」とお馴染みの「小さなバレリーナ」。まさに、ボニーノの至芸とも言える舞台である。現実には生チャップリンは見られないし、生きていたとしてもダンスするわけではないが、ボニーノの姿を借りて甦ってきたのではないか、そんな気持ちになる舞台である。
 ラストは、『デューク・エリントン・バレエ』から「ソフィスティケイテッド・レディ」と「The Opener」。さらにアステアとジンジャー・ロジャースの『トップ・ハット』のオマージュとして振付けられた『チーク・トゥ・チーク』。ジジとボニーノが踊った作品を、ボニーノが草刈をパートナーとして踊った。ボニーノの粋な味と草刈の美しさがうまくマッチした舞台だった。
 この後、「ソワレ」は日本の各都市を巡って上演された。
(11月17日、ゆうぽうと簡易保険ホール)

『チーク・トゥ・チーク』
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