●ハンブルク・バレエ団『冬の旅』『ニジンスキー』
ハンブルク・バレエ団による続く二演目は、共に芸術監督ノイマイヤーによる近作。『冬の旅』(2001年)は、ミュラーの詩による24曲から成るシューベルトの歌曲集をバレエ化したもの。ノイマイヤーはこれを「奇妙で親しみのある世界からの自己の亡命」と解釈し、初演の3か月前に起きた9・11のようなテロや戦争に怯える現代を投影した。シューベルトのピアノ伴奏を創造的に編曲したツェンダーの管弦楽版を用いたのは、寒々とした風の音の効果音や無気味な不協和音が、そうしたイメージに合うと考えたからだろう。失恋した青年のさすらいを通じて、疎外されたよそ者の悲愁を描いた歌曲集だけに、服部有吉が演じる主人公に、西洋の国で西洋の芸術に携わる異国の人という含みが読み取れる。
舞台の手前には雪道、左手隅には街灯が一本、中央近くには三段の階段。顔写真を並べた後方の壁は、テロや災害の犠牲者の掲示板に見える。傘をさした黒いコートに山高帽の男がゆっくり舞台前面を横切ると、後方の扉から水泳パンツの服部が姿を見せる。閉じた扉をまた開け、服を着た服部が大きな荷物を持ち出そうとして果たせずに、身一つで凍てついた外界に出る。スキップする少女、首吊り自殺(菩提樹の暗喩)へ誘う黒衣の女性、鞄を持って行き来する人々、ペアでダンスを踊る男女、ビデオを見る男――。少年と心通わせる人はわずかで、多くは無関心。不条理に満ちた世界に少年の居場所は見つからない。
「宿屋」で、泊り客の群れが次々と倒れて遺体のように転がっていく様はホロコーストを連想させる。上半身裸の男たちや服部によるダイナミックな踊りが続き、やがて集まった人々が後方の壁の写真を見る時、かけがえのないものが失われたと気付く。終曲のさすらう辻音楽師をノイマイヤーが自ら演じた。だぶだぶの大きすぎるセーターを脱いで無垢な水泳パンツ姿に戻った服部は、老いた楽師と一体となり、その小太鼓をバチで叩き、心を響かせ合う。だが原詩のように楽師に付いて行こうとはせず、ひとり扉の向こうの暖かそうな世界に帰って行くのだ。すべてを許容するような滋味深い眼差しをたたえ、床の小太鼓を拾おうとするノイマイヤーの姿が感銘を与えた。
(1月31日、オーチャードホール)
『ニジンスキー』(2000年)は、二十世紀初頭にダンサー・振付家として華々しく活躍した後、精神を病んだ天才ニジンスキーの生涯を二部構成で綴ったもの。第一部ではバレエ・リュス時代の栄光を描き、第二部では、ショスタコービチの交響曲第11番「1905年」を用い、天才の狂気を第一次世界大戦を背景に浮き彫りにする。幕開けの公演は、ニジンスキーが「神との結婚」と呼んだ、1919年にサンモリッツのホテルで行われた天才最後のステージを再現するものだが、ディアギレフの幻影を見たことで、回想の迷路に入り込む。
回想には、精神異常をきたす兄や振付家となる妹も現れ、ニジンスキーが得意とした「シェエラザード」の黄金の奴隷や「謝肉祭」のアルルカン、「薔薇の精」の役が、何人もの分身によって踊られ、喝采を浴びる。彼が振り付けた「牧神の午後」や「遊戯」は不評をこうむるが、ノイマイヤーは、斬新すぎて理解できなかった当時の人々を揶揄してもいるようだ。バレエ・リュスの主宰者で、天才を庇護し愛人にしたディアギレフとの関係や、電撃結婚することになるロモラとの出会いを、分身たちの踊りに示唆的にからめたのが効果的だ。天才をめぐる二人の確執も露になり、虚と実が様々に錯綜し、ニジンスキーの繊細で多面的な人格は引き裂かれていく。
第二部は、ニジンスキーの狂気だけでなく、戦争そのものの狂気も抽出する。威圧的な軍隊の行進、とらえられるニジンスキー、乱舞する兵士たちと、緊迫した場面が続く。子供時代やバレエ学校時代も回想され、ディアギレフの姿がよぎる。そりを引いて現れたロモラとのデュオには哀切さが漂う。だが戦争がすべてを飲み込む。舞台は冒頭のホテルの公演に戻り、ニジンスキーが最後に踊ったという「戦争」が踊られるのだ。クロスして敷かれた赤い布(ロモラ?)と黒い布(ディアギレフ?)を体に巻きつけ、十字架にかかるように両腕を広げて倒れるラストに、翻弄され続けた天才の悲劇が集約されて見えた。ニジンスキー役のイリ・ブベニチェクを始め、ダンサーの表現力が素晴らしかったことを付け加えておきたい。
(2月3日、東京文化会館)
●マチュー・ガニオが東京バレエ団の『ラ・シルフィード』に客演
パリ・オペラ座バレエ団の新しきスター、マチュー・ガニオが、東京バレエ団の『ラ・シルフィード』(ラコット版)に客演した。ドミニク・カルフーニとデニス・ガニオという優れたダンサーを両親に持ち、昨年5月、弱冠20歳でスジェからプルミエを飛び越してエトワールに昇格した逸材である。日本で全幕ものの主役を踊るのは今回が初めて。3日連続公演のすべてを踊ったが、その最終日を観た。タイトルロールは斎藤友佳理だった。
ロマンティック・バレエの傑作『ラ・シルフィード』は、スコットランドの農村を舞台に、エフィーとの結婚式を控えた青年ジェームズが、空気の精ラ・シルフィードに心を奪われ、飛び回る彼女を捕えようとしてすべてを失うという幻想的な物語である。 |
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キルト姿で登場したガニオは、すらりと伸びた美しい脚、どこか憂いを帯びたマスクが印象的だ。農夫という役ながら、立っているだけでエレガントな雰囲気を漂わせてしまうのは、生来のダンスール・ノーブルだからだろう。第一幕では、エフィーに対して心変わりしたわけではないのに、ラ・シルフィードに好奇心をかき立てられていく様をごく自然に演じ、第二幕では、彼女を得ようとする一途さを純朴に表現していた。繊細な手指の表現や、どんな跳躍でも崩れることのない足の甲からつま先にかけてのきれいなラインは忘れ難く、今でも目に浮かべることができる。
斎藤友佳理は、ふわっとした腕の動きや、軽やかなジャンプ、音を立てない着地で巧みに空気の精を演出。井脇幸江はエフィーの喜びや歎きを緻密な演技で伝えた。ジェームズとラ・シルフィード、エフィーが三つ巴になって踊るシーンは、緊迫感と抒情性が絶妙にクロスして、スリリングな味わいを醸した。村の若者たちによる快活な群舞と、空気の精たちによる夢幻的な群舞のコントラストも鮮やかだった。
(2月13日、東京文化会館)
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