斎藤 珠里 text by Julie Saito
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L’OPERA NATIONAL DE PARIS パリ・オペラ座公演
PIERRE LACOTTE : PAQUITA
ピエール・ラコット振付:『パキータ』


 ガルニエ宮で12月11日〜31日、ラコット版『パキータ』が上演された。この作品はジョゼフ・マジリエ(1846年)やマリウス・プティパ(1881年)によって振付けられてきたが、長らく第2幕のみが上演されてきた。今回2幕3場ものの作品として新たな息吹を吹き込んだのは、ロマンティック・バレエに意欲的に取り組んでいるラコットだ。
 2001年にオペラ座で初演されて依頼、人気作品の一つとして数えられ、2006年のオペラ座来日公演の演目にもなった。私が観た12月18日は、一ヵ月前に『くるみ割り人形』でエトワール昇進を決めたばかりのドロテ・ジルベールと、そのときの相手役マニュエル・ルグリが再び組むという鳴り物入りの舞台だった。

ジルベールのオーラとは
 第1幕、ジプシー娘として登場するパキータを演じるのがジルベールだ。村人たちが集う広場に現れた瞬間、はっとさせられた。大きな口と、ラテン的な深い眼差し、くっきりとした目鼻立ちが、存在感をまざまざと見せつける。加えて、立ち姿が美しい。村娘の格好なのに内側に気品がのぞいて、後に貴族の娘だったことが判明する、という物語の伏線を感じさせるのだ。
 身体的にも首から肩にかけてのラインがすっきりとして、ポールドブラ(腕の動き)をしたときに、身体と腕の間に生まれる空間が無限に広がって見える効果が大きい。さらには、ポワントで立って前傾姿勢でアラベスクするときなどに、手先足先が四方八方から見えない糸でひっぱられているような緊張感をもつ。一つひとつの静止ポーズに、息を呑むほどのオーラが漂う。新鋭エトワールの誕生を実感した。
身分が違うパキータに恋をしてしまう士官のルシアン役には、看板スターのルグリが臨んだ。40代に入って体力的には劣っているはずだが、精神的な若々しさは衰えない。跳躍でもピルエットでも全身全霊を傾けたようなひたむきさを失わず、パキータの目の中を覗き込むときの、いたずらっこのような眼光がルグリを青年と見間違えさせてしまうのだろう。

ジルベール、ルグリ

フロステ、エイマン、フィアット ジルベール、ルグリ

ラコットの功績とは
 『パキータ』は実にたわいもない男女のドタバタ劇で、ミンクスの曲もクラシック音楽ファンが逃げ出したくなるような「バレエ伴奏音楽」だ。確かに、民族舞踊オンパレードの華やかな第2幕だけを独立させて上演されていたことも納得できる。しかし、ラコットが復活させた第1幕で、パキータとルシアンの身分の差を越えた愛が象徴的に描かれる。ジルベールとルグリのようなダンサーが舞台に立ったとき、観客は物語の進行などしばし忘れるほど、二人の間の濃密な時間を疑似体験できるのだ。あえて古典作品に光をあててきたラコットの作品には、バレエはまずダンサーありき、という確固たる信念が見える。
 さらに第1幕に、ラコットはもう一つの見せ場をつくった。パ・ド・トロワだ。この日の顔ぶれは、女性がファニー・フィアットとマティルド・フロステ、男性がマティアス・エイマン。オペラ座の新世代を担う実力派ばかりを送り込んだ。プティパの時代には踊りこなせなかったような難易度の高いテクニックの応酬で、古典バレエの醍醐味をふんだんに見せつける。ともすれば、ぶりっ子にも映るフロステなのだが、そのコケティッシュな魅力が小刻みのパで開花する。しかし、何といっても聴衆の視線を一手に集めたのはエイマンだった。無限に時間を止めてしまうアラベスク、宙に両足を打ちつけるガブリオルの高さ---。この晩の舞台を共有した観客の誰もが、エイマンの将来性を疑わなかっただろう。

マティアス・エイマン

『パキータ』の舞台は大晦日まで。2008年は1月5日〜22日、ボリショイ・バレエが『海賊』と『スパルタクス』をガルニエ宮で公演する。
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