●パリ・オペラ座バレエ団『ロミオとジュリエット』
〜エリザベト・モランとカリン・アヴェルティの引退に寄せて
パリ・オペラ座バレエ団の先シーズン最後にバスティーユで行われた『ロミオとジュリエット』の6月29日の公演で、エトワールのエリザベト・モランがジュリエットを踊り、引退した。同じシリーズの7月9日には、プルミエール・ダンスーズのカリン・アヴェルティがやはりジュリエットを踊り引退。ともにバレエ学校時代からの同期で、ヌレエフ世代を代表する名花である。モランは、ヌレエフが任命した最後のエトワールで、ここで、また一つの時代が終わったという思いを強くした。モランとアヴェルティがバレエ学校に入学した73年は、クロード・ベッシーが校長に就任した特別な年で、この
”73年世代” には、ほかにマリ=クロード・ピエトラガラ、ローラン・イレール、ウィルフリード・ロモリ、カロル・アルボ、ファニー・ガイダなどがいる。この世代は79年からバレエ団に入り、彼らの後に続くカデール・ベラルビ、マニュエル・ルグリ、シルヴィ・ギエムなどとともに、80年代の栄光の時代を築く原動力となっていく。言うまでもなく当時のオペラ座バレエ学校はまれに見る才能の宝庫だったのである。
モランのさよなら公演は、この上なく感動的なものだった。こんなことは初めてだが、終演後、喝采が鳴り止まず、紙吹雪が散る舞台に、現役のエトワールたちが駆けつけ、この可憐な大バレリーナに、花束やキスを贈ったのである。最初にモランに駆け寄ったのはマニュエル・ルグリ。当夜、モランにとって最後のロミオになるはずだったのが、怪我のリハビリが間に合わず、出演を断念。代役のバンジャマン・ペッシュもベストを尽くしていたが、かつてのモランとルグリの名演を思い出さずにいられなかったのは、私だけではないだろう。 |
モランのカーテンコール
|
カーテンコール
|
カーテンコール
|
イレールとヴァイエ(右)
|
この日の配役は、超豪華キャスティング。ティボルトにローラン・イレール、マキューシオにエマニュエル・ティボー、ベンヴォーリオにクリストフ・デュケンヌ、パリスにジョシュア・オファルトと、いずれもロミオ役者であるのに加え、ロザラインにナタリー・リケ、キャピュレット夫妻にジャン=マリ・ディディエールとクロチルド・ヴァイエという顔ぶれである。とりわけ、イレールとティボーは傑出していた。イレールは数年前までロミオを踊っていただけに、一挙手一投足が完全なノーブルで、ひときわ存在感が違う。一方ティボーは、マキューシオの役が彼のために作られたかのような自由自在の演技で、きらきらと輝きエトワールの器。デュケンヌも着実で、新人オファルトは現代のロミオといってよいような甘い風貌で、すでにファンの熱い視線を集めていた。素晴らしい共演者たちに囲まれて、モランも感無量の面持ちだった。
もともと演技派のモランにとって、ジュリエットは十八番の一つ。引退の年齢になっても少女のような面影を失わないのは奇跡のようだが、当夜は、全身全霊を捧げた演技で、ジュリエットの典型を見せた。モランの演劇的才能については、バレエ学校のクロード・ベッシー校長が最近著わした回想録の中で特筆しているが、この資質は様々な舞台で開花された。モラン自身が自覚したのは、ヌレエフからスワニルダに抜擢された時だと語っているが、例えば、『くるみ割り人形』のクララや『眠れる森の美女』のオーロラ姫、『ジゼル』のジゼル、『ドン・キホーテ』のキューピッドなどは、演技しているのではなく、役そのものといった印象であった。特に、エトワール任命のきっかけとなったクララに関しては、未だに他の追随を許さない、極め付けの名演が目に焼き付いている。
モランの名前が日本で知られたのは、84年の第4回大阪、世界バレエ・コンクールにルグリと出場した際のことだろう。この時、フランス組は、ロシアのタチアナ・テレホワとコンスタンチン・ザクリンスキー組と第1位を分け合っている。当時のプログラム類をめくってみると、当然のことながら二人の初々しいこと! ペアのファッションで現れた受賞式のスナップがほほえましい。その後、86年のオペラ座日本公演で、二人はまだスジェながら『ロミオとジュリエット』の主役を踊っている。ちなみに私が見た日は、当時日の出の勢いのシルヴィ・ギエムだった。その頃は、配役は公演当日まで発表されていなかった。
モランは、オデットからクララまで、ヌレエフのグランド・バレエのすべての主役を踊っている。今季から、オペラ座バレエ学校の教師となったが、指導には定評があるので、”第二のモラン”を育ててくれることだろう。
華々しいモランの引退公演に対し、アヴェルティの一回限りのジュリエットでの引退公演は、特別な趣向はなく、控え目な印象ではあったが、ファンの間に様々な感慨を呼び起こさせた。アヴェルティのジュリエットは、チャーミングな目の表情と均整のとれたプロポーションで、主役としての存在感がある。バルコニーのパ・ド・ドゥで息切れが見えたのが惜しまれるが(聞くところによると、1幕でけがをしたらしい)、引退の年齢になって初めて至難のヌレエフ版ジュリエットに挑戦した意欲と成果に拍手を送りたい。ロミオのデュケンヌとのペアもバランスがよく、もう少し若いうちに踊るチャンスに恵まれていればとの思いが残った。
”なぜアヴェルティは、エトワールになれなかったのか?” ファンの多くが同じ疑問をもったのではなかろうか。理由ははっきりしないが、恐らくチャンスやタイミングを逃したのだろう。 |
アヴェルティ
|
若き日のアヴェルティは、80年のヴァルナ国際バレエ・コンクールのジュニア部門でグランプリと金メダルという快挙を成し遂げたオペラ座期待の星だった。その後、順調に昇進し、3年後にはプルミエール・ダンスーズに昇格している。ちなみにモランが、プルミエールに上がったのはこの2年後のことだった。
83年から舞踊監督としてオペラ座に君臨したヌレエフから、オデット=オディール、オーロラ姫、キトリなどの主役を与えられ、順風満帆に見えたのも束の間、突然サンフランシスコ・バレエ団にゲストとして移籍してしまう。87−89年の2シーズンにかけてのことだった。89年のSFBの来日公演に同行したのを覚えているファンの方がいるかもしれない。この間、88年にモランがエトワールに昇進。それ以前の84年にはシルヴィ・ギエムが、85年にはイザベル・ゲランがそれぞれエトワールに昇進しているが、アヴェルティがオペラ座を一時離れた背景には、こんな事情も関係しているのかもしれない。
アヴェルティ&デュケンヌ
|
オペラ座に戻ってきてからは、あまり役がつかなくなったという話を聞いたが、怪我でもしていたのかもしれない。私の見る限りでも、一時不調と思える時期があったが、結婚してから調子を取り戻したのがうれしかった。最も印象深い出来事の一つに、97年の『眠れる森の美女』がある。初日の舞台で、オーロラ姫のエリザベト・プラテルが第1幕の途中で怪我をし踊れなくなったため、第6ヴァリエーションのアヴェルティが、急遽代役として踊ったことがあった。これは、オペラ座のピンチを救った”SOS”として新聞で大きく報道された。その後、アヴェルティとルグリのペアで見る機会があったが、ローズ・アダジオでバランスを崩したものの、すらりとしたシルエットに華があり、これこそヌレエフが求めたスタイルだろうと思わせる品格があった。
今でも、オペラ座バレエ学校のロビーには、エトワールたちの舞台写真の間に、アヴェルティの写真が一枚飾ってある。
|
最後に、今回の『ロミオとジュリエット』では、新しい世代のジュリエットに巡り会えたことも付け加えたい。レティシア・ピュジョルのジュリエット・デビューである。まず小柄なので愛らしさあり、素晴らしい音楽性で、どんなに速く混み入ったパッセージでも、体が敏捷に反応して、はつらつとした踊りを見せてくれた。そして、困難に立ち向かう果敢な演技にも見るものを引き込む説得力があり、エトワールとして一段と飛躍を見せた感がある。デュケンヌは、このロミオ役の成果により、AROP賞を受賞しているが、魅力的な笑顔と誠実なパートナーぶりに好感が持たれる。プルミエといってもおかしくない出来映えだった。 |