●パリ・オペラ座『ラ・シルフィード』続報
前号既報の通り、98年以来、6年ぶりの再演となったオペラ座の『ラ・シルフィード』は、マチュ−・ガニオがすがすがしいエトワール・デビューを飾り、この記念すべき舞台が録画撮りされたほか、シルフィード役がすべて一新され、シリーズ終盤まで、話題に事欠かなかった(6月28日〜7月15日ガルニエ)。
タイトルロールのシルフィードには、初日のオレリー・デュポンに続いて、デルフィーヌ・ムッサン、イザベル・シアラヴォラ、アニエス・ルテステュ、メラニー・ユレルの5人が日替わりで登場。相手役ジェームスは、ガニオ、バンジャマン・ペッシュ、ステファン・ファヴォラン、ジル・イゾアールの4人の交替だった。
エトワールのルテステュは、初役とはいえ、さすがに余裕と貫禄。とりわけルテステュのバランス力と跳躍力は傑出しており、時折リトグラフのタリオー二の肖像をほうふつとさせるところなど、奥ゆかしく感じられた。惜しむらくは、彼女の技量に見合ったパートナーが得られなかったことだろう。
一方、プルミエール・ダンスーズたちもエトワールたちと並んで、ほとんど遜色ない舞台を見せた。とりわけ、シアラヴォラの透けるようにはかないシルフィードが貴重な発見であった。マチュー・ガニオとのペアが非常にドラマティクな感動を呼び起こしたこともあるが、この人は、ギレーヌ・テスマーやカルラ・フラッチなどを継承するロマンティック・バレリーナとしての資質を十分にもっている。
ムッサンの繊細なシルフィードも忘れがたい。90年代の初め、まだ3人のソリストの一人として踊っていた時から、ふんわりと舞い上がるような踊りで目を引いていたが、細やかなフィーリングで、踊りも優雅。ただ、気の毒だったのは、相手役のバンジャマン・ペッシュが、パートナーよりも自己の演技に陶酔している感じで、サポート面での冷たさが気になったことである。
結局、ジェームスは、全公演の半分の6回をマチュ−が踊り、エトワールとしての器量と将来性を十分に実証してみせた。私は、録画撮りされた3晩は都合により行かれなかったが、最初の3回だけでも、日ごとに著しい進境が見られ、この役を自分のものにしていく様は、さながらダイヤモンドの原石が磨かれていくような奇跡を見る思いだった。ちょうどバレエの主人公と同じ年頃で、自然に役に入り込み、風を切るような飛翔といい、縦横無尽の踊りには、喜びが溢れ、この踊りが彼のためにあるかのようだった。『ドン・キホーテ』では、エトワール任命は時期尚早との声も聞かれたが、この2本目の全幕バレエの成功で、任命に異議を唱える人は、私の周りからは一人もいなくなった。しかも、デュポンとのペアで、このステージは映像に残されたのである。彼は、本当に幸運の星のもとに生まれたエトワールである。当初、初日にキャスティングされていたルグリが、日本公演に賭け、こちらをキャンセルしたのは残念だったが、映像化もマチューに譲ることになり、結果的に、庇を貸して母屋を取られる格好になってしまった。
オペラ座のスペイン公演などの都合で、降りざるを得なくなったジョゼ・マルティネズに替わって、ルテステュのパートナーに抜てきされたファヴォラン。彼は、97年にルグリが第2幕の途中で、怪我をし続行不可能となった際に、急遽代役を務めた実績が買われたのだろう。彼以外、誰も代役が務まらなかったということや、十分な練習期間がなかったという事情は考慮すれば、健闘ぶりを認めてあげたいものの、客席の反応はいま一つ。ルテステュがどれほど際立っていたとしても、サポートやペアとしての釣り合いが良くないために、例えば、第1幕で、ジェームスがシルフィードを支えて舞台前を横切るところのように、通常拍手が起こるべき見せ場でさえ拍手がないのである。若くまだ経験の浅いマチューの方が、心のこもったていねいなサポートで、パートナーのシアラヴォラを、ふわふわと浮遊させ、客席を大きく沸かせたのが思い出される。世界的に、男性ノーブルが不足する中で、彗星のごとく登場したマチュー・ガニオの存在は、今後ますます貴重なものとなっていくことだろう。
最後に、ソリストに目を移すと、スコットランドのパ・ド・ドゥにも、新人が多く起用され、毎回誰が登場するか楽しみだった。初日のミリアム・カミオンカとマロリー・ゴディオンは堅実で、マチルド・フルステーはパが軽やか、ローラ・エケとジョシュア・オファルトのペアも瑞々しかった。
エフィは、落ち着いたメラニー・ユレル、初々しいドロテ・ジルベール、オーレリア・ベレなどが印象に残る。魔女のマッジに扮したジャン=マリ・ディディエールの迫真の演技も毎回舞台を盛り上げていた。 |
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ガニオ&シアラヴォラ |

ムッサン |
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