[特別寄稿]ライザ・ミネリとルイジと仕事をして
フランシス・ジェームス・ローチ
黒野靖子/訳

左から4人目ルイジ、その右ライザ、右端フランシス
 つい最近まで、あなたはやがてダンス界の伝説的人物二人と仕事をすることになる、といわれても信じることはできなかった。私は、ジーン・ケリーのバックダンサーを務めたこともあったが、トワイラ・サープが私のレッスンを受けにきて、夢のひとつが実現したと思っていたのである。
 ところが、2007年1月、誰もが羨む仕事が舞い込んできた。
 それはジャズダンスのパイオニアであり、スーパースターのルイジ・ファチュートの助手にならないか、というものだった。ルイジは当時、世界的エンタテイナー、ライザ・ミネリの世界ツアーの振付を任されていて、私はその助手となった。
 ライザ・ミネリのことは誰でも知っているが、彼女のコンサートは40年以上にわたって、世界中でソールド・アウトし続けている。彼女は、ボブ・フォッシーの映画『キャバレー』で主役を射止めて以来、世界のセレブリティーとして認められ、エンタテインメントのレベルを高めた。
 ファンには、<ライザ>と気軽に呼ぶように求めるが、彼女は映画、劇場、テレビなど活動の場を広げていて、彼女が望めば世界のどんなところでもコンサートを開催することができる女性なのである。
 ライザ・ミネリは、通常、母のジュディ・ガーランドとも仕事をしていたドラマーで指揮者のビル・ラボーグナなどのバンドメンバー12名とツアーを行っている。彼女の舞台は最低でも2時間以上かかり、レパートリーが広くシャルル・アズナブールからスティービー・ワンダーまで歌われ、演目も常に入れ替わっている。しかし、彼女の代表作ジョン・カンダーとフレッド・エブの『キャバレー』と『ニューヨークニューヨーク』はどの舞台でも歌われる。この曲を歌わないと、ファンが彼女を舞台から解放しないからだ。

 一方、ルイジは世界から敬愛され、第1級のジャズダンスのテクニックをニューヨークで教えている教師、現役のダンサーである。
 1956年にブロードウェイの伝説的人物であるエセル・マーマンに見いだされて以来、「自身の内側から感じ」踊ることを何世代にもわたるダンサーたちに教え続けている。かつて彼は、交通事故により身体が不自由になり、エクササイズを治療の一環として始めた。それはほんのきっかけにすぎず、その後彼はダンサーとして30本以上のハリウッド映画、ブロードウェイの舞台4作品、そしてショービジネスのあらゆる役に出演した。
 独自の彼のダンス・スタイルを教え始めて以来、アルヴィン・エイリー、マイケル・ベネット、ジョン・トラボルタ、スーザン・ストローマンなど多くの著名なスターや舞踊家が彼に師事した。ルイジが生み出したテクニックは、ダンスの歴史の中でもアメリカ文化に貢献していると認められている。

 まだ子どもだったライザとルイジが出会ったのはハリウッドだった。当時ルイジは、彼女の父の映画監督ヴィンセント・ミネリと母のジュディ・ガーランドと共に仕事をしていた。ライザは10代の半ば、キャリアを積むためにニューヨークに拠点を移し、ルイジのジャズ・スクールに通うようになった。以来ライザは、ルイジのことを「パパ」と親しみを込めて呼んでいる。
 ライザは脳炎の影響により臨死を経験したが、股関節や膝の手術を受けた後、ルイジの指導の下にリハビリを行って、復活をすることができた。二人はダンスの師弟関係だけではなく、癒しの力による強い絆でも結ばれているのである。
 ルイジやライザは、MGM映画の「ミュージカルの黄金期 "Golden Era of Musicals"」に繋がっている。当時、多くの映画会社は悲しみを楽しみにするような抜け目のない映画を製作した。中でもMGM社はミュージカル映画の先駆的存在だった。洗練された映像の世界で、唯一の女性プロデューサーでアレンジャーだったのがMGMのケイ・トンプソンである。トンプソンは人気のアレンジャーだっただけでなく、ラジオ番組のスター、舞台女優、そして自らが経営するナイトクラブのエンタティナー、ライザ・ミネリの後見人だったし、ライザに基づいた "Eloise at the Plaza" の作者でもあった。また、ケイは映画『ファニー・フェイス』に主演し、フレッド・アスティアやオードリー・ヘップパーンとも共演している。この映画の有名なナンバー、「ボンジュール・パリ」を憶えている方も多いのではないだろうか。
 ライザのコンサートで私が助手を務めたパートは、1940年代から50年代にかけて、ケイ自身のショー用に手がけた楽曲とMGMが映画で使用していた6曲を含んでいた。男性歌手4名による曲は「ザ・ウィリアム・ブラザーズ」として知られるようになり、ライザはこのプロジェクトの発起人としても名声を得た。後に編曲はビリー・ストリッチによって支えられた。(ウィリアム・ブラザーズの一番若かったアンディは、「ムーン・リバー」や「ボーン・フリー」の成功でバラードの王として有名になった)
 ライザは、ウィリアム・ブラザーズにも匹敵する4名の男性歌手と奇跡的で官能的なダンスを発表した。以来、ルイジとライザの共同製作は続いている。ライザは4名の男性歌手、クラーク・ソレル、ジョニー・ロジャース、コーテス・アレクサンダー、ジム・カルーソを<マイ・ボーイズ>と呼んでいる。彼らはプロの歌手だが、それまではダンスのトレーニング受けたことがなく、ルイジとライザの舞台用に1ヶ月のリハーサルでトレーニングを積んだ。また、ルイース・クイックはボブ・フォッシーのダンサーだったが、後にアシスタントを務め、現在はライザの舞台製作の助手。ルイースと私は「ダンス・キャプティン」という役割で関わったのである。

 2月に私がライザのバンドとフロリダのフランク・シナトラ劇場で4都市ツアーを始めた時、私は教えのためにミュンヘンそしてパリに発たなければならなかった。すべての行程に同行はできなかったが、フロリダの観客は、ニューヨークシティでゲネプロに招待された人々のように、ライザやキャストにケイ・トンプソンへの敬意に対し、スタンディングオベーションを贈った。
 音楽、歌、そして振付がすべて一つの素晴らしいものとなり、音楽のエポックを呼び起こした。後に、多くの都市や、ラスベガスのザ・ルクソールでも喝采を浴びたと聞いている。この功績を将来的にはブロードウェイやテレビの特別番組にし、世界中の人々が見ることができればと願っている。

 多才な人々との共同製作は私の夢の仕事以上の経験だが、特にこの二人によって私は多くを学ぶことができた。この仕事を通して、アーティストとはどういうものか、そして人間はどういうものなのかを学んだ。

 ライザは完璧なプロで、心優しく、知的、冗談も分かる真面目な人物。パフォーマーとしてオーケストラや、音楽、歌詞、演出、照明、音響、衣装などにいたるまで詳細に理解し、エグゼクティブ・プロデューサーとして舞台の内外、スタッフやケータリングにまで関わっている。彼女の大きく輝いた茶色の瞳は映画のカメラのようにすべてを記録する。彼女は信念を持って仕事をしている。(彼女は素晴らしい演出家でもある)
 私はルイジのクールで落ち着いた優しい態度に感動し、まわりの人々の理解を深めることもできた。ルイジは82歳の誕生日を迎えたばかりだが、今後も彼のスマートさ、いつまでも若い精神は伝えられていくだろう。彼のダンスは、彼のモットー「Never Stop Moving」どおりに輝く液体のゴールドのように見える。
 私は、ルイジとライザとの仕事を終え、彼らは長年にわたり強く生きてきた人々だと言い切ることができる。彼らは真の達人である。
 特に私が関わった所もあるが、より多くの人にライザのショーの新しいセクションは見ていただきたいと思う。それはかつてないものであるからだ。世界のどこでショーが行われているかは、インターネットで見つけることができ、伝説の人々の舞台を見ることができるのである。
www.officiallizaminnelli.com

〜“Danse Light Magazine ”Paris掲載記事より〜
フランシス氏自身が加筆、改訂

※4/28(土)〜5/1(火)チャコット・カルチャースタジオにてフランシス氏のワークショップが行われました。
ワークショップの模様はこちら

※ルイジとチャコットがコラボレーションしたウェア「ルイジ」
今シーズンのコレクションはこちら→http://www.chacott-jp.com/j/catalog/digital/index.html




 

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