ブルーシャ西村 text by BRUIXA NISHIMURA >>WEBサイトはこちら

ニューヨークは、だんだんと肌寒くなってきました。もう夏は終わりです。9月は、ジョイスシアターなど、夏休みを取る劇場も多く、今月は公演を観る機会が他の月よりも少なかったです。また10月に入れば、取材しきれないくらいの公演があるので、お楽しみに。ABTの公演も始まります。さて、今月は、文化庁芸術家在外研修派遣員として2年間ニューヨークに滞在中の、ダンサー・女優の岡千絵さんに特別インタビューをいたしました。彼女は間もなく年内11月に帰国予定で、今後は日本でミュージカル公演などで活躍する予定です。

●岡千絵さん 特別インタビュー


1973年7月28日大阪生まれ。
ダンサー、ミュージカル女優、振付家、演出家。
5歳より実母、岡松絹恵にモダンジャズダンスを習い始め、10〜18歳までダンスレッスンのため毎年渡米(ニューヨーク)。93年ミュージカル『ピーターパン』でデビュー。96年に出演したミュージカル『ガールズタイム』では、2300人のオーディションから選ばれ、演出家・宮本亜門に「日本の五指に入るダンサー」と絶賛された。2002年度文化庁芸術家在外研修派遣員として、2年間、ニューヨークの演劇学校モHerbert Berghof Studioモで芝居・歌を中心に学び、2004年11月帰国予定。ダンサー・女優としてだけに留まらず、振付、演出もこなす実力派。2005年1月から、タップミュージカル『シューズオン・6』に出演決定。90年オール関西ダンシングフェスティバル・チャコット杯準優勝、91年ブラック&ブルー・ダンスコンテスト優勝など。



―――どんなジャンルのダンスをマスターしてきたのですか?

コンテンポラリー、モダンバレエ、ジャズダンス、タップ、ヒップホップ、シアターダンスなどです。最近はヨガにはまっていて、ヨガがないとダメな身体になっています。日本では、週に1回整体が必要でしたが、ヨガに出会ってから必要なくなりました。調子がいいし気持がいいです。ヨガはおそらく本当に気が回っているのだと実感しています。合う先生のクラスを受けた後は調子いいですが、合わない先生の時は普通です。

―――子供の頃からダンスが大好きだったそうですが、岡さんにとってダンスとはどんなものですか?

ダンスは自分の一部なので、自分の中でダンスが無くなることは考えたことがないです。やめるなんて考えられないです。舞台でダンスが上手くいった時は、終わった後に自分で分かります。すごく上手くいった時は、踊っているときのことは全く覚えていなくて、終わった後にすごく気持がいいのです。身体はどっと疲れているのですが、頭は妙にすっきりしていて、寝起きの後のようです。リラックスしていて、頭がボーっとしている状態です。それとは反対に、踊っている最中に冷静な時、例えば、「ここでキマッタ、またキマッタ!」と自分を意識しすぎたときにはどっと疲れます。どうやって踊ったのか全く覚えていない時のほうが、観客の反応が良いことが多いです。

―――ニューヨークでのダンスのレッスンの様子はどうでしたか。

特にニューヨークに来たばかりの頃は、まだ言葉も分からなかったし、ストレスが知らないうちに溜まっていたと思いますが、ダンスのレッスンに行くと必ずリラックスしてすっきりできました。ストレス発散になります。毎日、最低1レッスン以上は必ずダンスの授業を受けます。

―――子供の頃、ニューヨークに毎年ダンスレッスンに来ていた時に、現代のタップの第一人者であるサヴィオン・グローバーと一緒にタップのレッスンを受けたそうですね?

はい。私が12歳頃のことで、当時サヴィオンも同じくらいの子供でした。彼は小さい頃からタップを始めた天才で、本当にすごいです。(注:彼のおじはタップの巨匠のグレゴリー・ハインズ。下記に今月号のレポートあり。)私はまだタップをやり始めたばかりだったのに、母(ダンス教師)に、「同じ年位の男の子が受けているじゃない!」と、一番難しい上級者向けのタップのクラスに放り込まれたのです。それがサヴィオンで、子供なのに一番前で授業を受けていて上手に踊っていて驚きました。私はその授業はいきなり難しすぎてついていけなくて、それが原因で「タップは嫌い、怖い」となって、日本に帰ってやめてしまいました。それが、約4年前にタップの仕事が入ってから、再び復活しました。今はニューヨークで楽しみながらタップをやっています。

―――舞台で踊る時は、どんな様子なのですか。

舞台袖に待機している時間は嫌いで、10分前などに行くと緊張してきてダメです。5分前とかギリギリに行って、その勢いとテンションのまま舞台に出て行くと上手くいきます。舞台の幕が上がって舞台上に立つと最高に気持ちがいいです。最後のカーテンコールはもっと気持がいいです。

―――舞台が好きなのはなぜですか。

普段はボーっとしていて自己主張しないほうですが、舞台は、自分一人から客席の多勢に広がっていく感じが好きなのです。

―――今後の活動は、どこで、どのようなものにしていきたいですか。

今まで日本では「ダンサー」というイメージが強すぎましたが、もっと「エンターテイナー」として、歌と芝居も頑張って、垣根を無くした活動をしていきたいです。だからこそ、ニューヨークでは演劇学校に入って芝居と唄を中心に学びました。授業では英語の芝居だったので、今度は日本語で芝居をしたくなりました。1度帰国して、まず日本で、自分のポジションも含めてしっかり活動していきたいです。基本は日本に集中するつもりです。まずは今、どこでやりたいかという場所に対する意識をしっかりもっていないと、中途半端になるからです。その活動の延長線上にニューヨークがあれば、また戻って来たいです。自然な流れに任せる主義です。私は事務所に所属していないので、今まで10年間綱渡りのように、次の舞台の仕事は未定の状態で、先の見えないスケジュールで動いてきました。結局いつも、ありがたいことに終わったら次の舞台の仕事が入ってきたので、ずっと続けて来ることができました。今回も、11月にいったん帰国してニューヨークに戻ってくるかどうかと考えていたけれど、なぜか自然にニューヨークに戻らずに日本で活動する方向に動いて来ている気がしたので、その流れに乗ることに決めました。今後も、自分の意志はしっかり持った上で、周りの状況に、きれいに自然に流されていきたいです。

●サヴィオン・グローバーが4人のジャズミュージシャンをバックに踊る

9月9日から12日に、ダウンタウンで開かれていた、「イヴニング・スターズ」、ワールド・クラス・ダンス・アト・ザ・バッテリーに行きました。こちらは無料で一流のダンサーの野外公演を観ることが出来る素晴らしいプログラムです。私は10日に、現代のタップダンスの第一人者であるサヴィオン・グローバーの公演を観ました。
グローバーは、大ヒットしたブロードウェイミュージカル『ブリング・イン・ダ・ノイズ、ブリング・イン・ダ・ファンク』の振付で、1996年にト二―賞を受賞しました。この年同時に、この作品によって、ドラマ・デスク・アワード、ジ・アウター・クリティクス・サークル・アワード、1996ダンス・マガジン・コレオグラファー・オブ・ザ・イヤー・アワードなども受賞しました。グローバーは12歳で、『ザ・タップ・ダンス・キッド』でブロードウェイ・デビューをしました。そして13歳で、“タップ”で映画デビューし、グレゴリー・ハインズとサミー・デイヴィス・ジュニアとともに出演しています。1997年には自身のダンスカンパニー、“NYOT‘S”を結成し、国際的に活動しています。2001年にも新たなカンパニー、“TiDii”を結成しました。
この日の彼の公演は、ダンサーは彼1人で、4人のジャズミュージシャンたちの生演奏をバックにして、タップを一つの打楽器のように使って、セッションのような感じで踊りました。ミュージシャンは、ドラムス、ピアノ、ウッドベース、サックスです。昔ながらのビ・バップも少しはありましたが、ほとんどがフリージャズのスタイルでした。ファンクっぽい曲もありました。天性の、抜群のリズム感で複雑なリズムをタップで刻み、素晴らしかったです。とてもかっこよくて、気持よさそうに踊っているので、私もちょっとタップを習ってみたくなりました。タップは、色々なステップを覚えなくてはならないので、複雑そうです。身体の姿勢は前かがみで、手はぶらぶらさせていました。彼のダンスカンパニーの公演も、いつかぜひ観てみたいです。


●リモン・ダンス・カンパニーの4つの小品集

9月21日から10月3日まで、ジョイスシアターでコンテンポラリー・ダンスでは世界を代表するリモン・ダンス・カンパニーの公演が行われています。今月はプログラムBをレポートいたします。来月、プログラムAのレポートを書きますので続けてお楽しみに。
リモン・ダンス・カンパニーは、1946年にホセ・リモンとドリス・ハンフリーによって結成されました。ホセ・リモンは20世紀を代表する最も重要で影響力のあるコンテンポラリー・ダンスの巨匠の一人で、ダイナミックな男性的ダンスとドラマチックな振付で知られています。
72年の彼の死後もカンパニーと作品は継承されています。1908年メキシコ生まれで、15年にカリフォルニアに転居しました。28年にニューヨークに来て初めてダンス公演を観て、彼の人生が変わってしまいました。それから、ドリス・ハンフリーなどのダンス・スクールに入学し、30年から40年の間、彼の先生たちの作品を踊っていました。

彼がダンスを始めた年齢が20歳だったなんて、しかもその後巨匠になっていったなんて、驚くべきことです。ダンスやバレエは、一般的には、踊るだめの身体を作っていくのに何年もの鍛錬が必要なので、ダンサーの体つきにするために成長期にレッスンをするほうがいいといわれているので、プロになるためには10歳くらいまでにスタートする人が多いからです。ですから、彼の人生とその業績を知ると、元気づけられます。何事もやり始める年齢は関係ないのですね。彼がクラシック・バレエを選ばなかったことと、ダンスに打ち込んでいた場所がアメリカだったということも大きかったと思います。アメリカは、人種、出身、教育、バックボーンに関係なく、「いいか、悪いか」で判断する、いい意味でも悪い意味でも実力社会なので、意志がはっきりして主張していれば、どんな人にもオープンに機会が与えられる自由な場所だからです。

現代では、彼の振付の基礎は、「リモン・テクニ―ク」と呼ばれ、コンテンポラリーを学ぶダンサーたちは必ず1度は授業を受けたことがあるほどの、メジャーなものです。クラシック・バレエと反対で、両脇を閉じたまま手を上下して踊ったり、上半身を前に倒す反動で後ろの足をブンと振り上げるものがあります。クラシックでは基本姿勢はすべて両脇を開けるし、上半身も上にキープしたまま後ろの足を上げるので、全く違います。私の推測ですが、きっと、クラシック・バレエの型を壊してもっと自由に踊りを表現したいという、アメリカン・モダンの時代の流れに乗ってでてきた反・クラシックの一つだったのではないかと思います。両脇を閉じたまま手を上下に動かす動作を中心に顔の上下の動きが続くと、全体的に、天に祈っているかのように見えます。そのせいか、とても抽象的でスピリチュアルな雰囲気になっていました。確かに、背筋を伸ばして両脇を開けて踊るクラシックは、気品は漂っていますが、自信に満ち溢れた感じが強く感じられる姿勢なので、天に祈るような感じは伝えにくいです。

プログラムBは、4つの小品集です。『イヴニング・ソングス』は、87年初演の、イリ・キリアン振付の作品です。教会の賛美歌のような、ゆっくりした曲で、とても抽象的な、スピリチュアルな感じの振付でした。両手で水をすくい上げるような動作が印象的でした。『チャコンヌ』は、ホセ・リモンの振付で、42年の作品です。こちらも天を仰いで祈るようなスピリチュアルな作品でした。ヴァイオリンのソロ演奏付きで、とても良かったです。『ダンス・イン・ザ・サン』は、ダニエル・ナグリン振付で、51年の作品です。上半身裸体の男性ソロでした。ピアノの生演奏付きでした。目玉は、『PSAML』で、67年のホセ・リモン振付の作品です。数人のミュージシャンによる生演奏つきでした。ストリングスを多用した、クラシックのような静かな曲でした。スピード感がある走り去っていくような踊りで、とてもダイナミックでした。右から左から、数人ずつ踊りながら走り抜けていきました。手のひらを両方上に向けて脇を閉めたまま、手を上に上げるところが多かったです。
 

 

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