モスクワ国際バレエコンクールの金賞を受賞し、ボリショイ・バレエ団の旧ソ連圏以外では唯一人の外国人第1ソリストとして活躍している岩田守弘。彼が、NHK総合の「プロフェッショナル 仕事の流儀」(12月9日放送)に登場する。
岩田守弘といえば、久保紘一や小嶋直也とともにいくつかの海外コンクールで高い評価を得て、日本のバレエを担うダンサーとして大いに嘱望されていた。
ちなみに、私が編集していた古い雑誌のページを繰ってみたら、岩田のインタビューが載っていた。当時、彼は19歳、ジャクソン・コンクールで金銀なしの銅賞を受賞した際の記事で、彼は間もなくモスクワに行く予定で、熱い期待を語っていた。
その後、岩田はボリショイ・バレエ学校に入学し、ロシア人生徒とともに学ぶ。
そして、90年12月、私がボリショイ・バレエ学校のクラスを見せてもらった時、彼はアレクサンドル・ボンダレンコ先生のクラスでレッスンに励んでい た。彼の踊りには、先生の「ハラショー!」の声がかかっていた。クラス終了後、「日本人をみると懐かしくなって」といってニコニコと話しかけてきてくれ、 いろいろと話すことができて、たいへん好感を持ったのを覚えている。
その夜は、ボリショイ劇場でバレエ学校の公演を観た。岩田は『パキータ』に出演していて、踊りは最も安定し上手かったが、やはり体格の差が少し気になった。
1993年には、並みいる外国人ダンサーを制して、見事、モスクワ国際バレエコンクールの金賞を射止めた。岩田は体格差の壁を技術力と表現力で突破したのである。
ところが当時のソ連は、エリツィン大統領対最高会議派の抗争の最中で、例の最高会議ビル攻撃事件などがあってモスクワは騒然としていた。食料事情なども 悪く、ドルショップに行かないと何も買えない状況だった。モスクワでは、幸いにもバレエ学校の寮では3食が保証されていたという。
バレエ学校を卒業した岩田は、ゴルデェーエフが芸術監督を務めるロシア・バレエ団に入団。その後、様々な苦労を重ねついには、外国人を入れる制度すらなかったボリショイ・バレエ団に入団することができた。
その間に言うに言われない困難があったには違いないが、岩田は一度もロシアを離れようとは思わなかった、そうだ。彼にとってはバレエがすべてで、バレエとはつまりロシア・バレエのことだったのだろう。
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