今年はなかなか秋がきませんでした。暑さ寒さのお彼岸を越えても仲秋の名月を観てさえ、未だ残暑の中にいるみたいでしたが、さすがに9月の末には、夏のエネルギーをジリジリと燃焼していた蝉の声も消えました。代わって秋の気温を待ちわびていた虫たちの合奏が酣(たけなわ)。そして、いよいよダンスのシーズンも到来しました。
ボリショイ&マリインスキー饗宴の眼福にあずかる
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『三つのグノシエンヌ』 ロバトキナ、コズロフ |
Aプロがボリショイ・バレエ&マリインスキー・バレエで、Bプロがマリインスキー・バレエ&ボリショイ・バレエというような、まさにロシア・バレエの精髄をあますところなく一堂に会した公演に、東京に居ながらにして出会えるとは、思いもよらなかった。
眼福にあずかる、とはこういうことを言うのであろう。
会場には、ロシア・バレエの粋の競演を観るという期待感が漂って、華やいだ雰囲気が溢れている。
ボリショイ・バレエが踊るAプロは、エカテリーナ・クリサノワとドミートリー・グダーノフが踊る『エスメラルダ』第2幕パ・ド・ドゥで幕を開けた。若いクリサノワは、踊り始めはさすがに特別な公演ということを意識してか、やや緊張気味に見えたが、プリンシパル・ダンサーでキャリアのあるグダーノフとともに、悲劇を秘めた恋の歓びを軽やかに踊った。この二人は、Bプロでは『白鳥の湖』の黒鳥のパ・ド・ドゥだった。こちらではクリサノワは、蠱惑の視線を駆使してジークフリードを翻弄する女性の成熟した面を、難なく踊ってみせて、才気を感じさせた。
ネッリ・コパヒーゼとアルテム・シュピレフスキーが踊った『マグリットマニア』デュエットは、かつてボリショイ・バレエのスターだったユーリ・ポソーホフがサンフランシスコ・バレエに振付けたダンス。シュルリアリズムの画家として有名なルネ・マグリットから得たイマジネーションをダンスにしたものである。長身の美女、コパヒーゼがスリットの入った深紅のロングドレスを着け、クラシックのテクニックを織り成して、マグリットのアヴァンギャルドな感覚を見事に表していた。Bプロでは、『ライモンダ』第2幕のアダージョを踊ったが、シュピレクスキーとの長身カップルで、豪華な雰囲気の堂々たる舞台で観客を圧倒した。
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『ドン・キホーテ』 アレクサンドロワ、フィーリン |
ニーナ・カプツォーワと昨年マリインスキー・バレエから移籍してきたアンドレイ・メルクーリエフは『海賊』第1幕の奴隷の踊り。軽く愛嬌たっぷりのカプツォーワとメルクーリエフの優雅で軽快な動きが描く、じつに好感のもてる舞台だった。
プリンシパル・ダンサーのスヴェトラーナ・ルンキナとルスラン・スクヴォルツォフは『ジゼル』第2幕のパ・ド・ドゥを踊った。ルンキナの水もしたたるようなジゼルが美しい。ボリショイ・バレエの、コール・ドの動き、照明の色あいを持った独特の雰囲気を醸す『ジゼル』第2幕。このバレエ団でしか創ることのできないどこか懐かしい感じをルンキナとスクヴォルツォフも継承している。
マーリヤ・アレクサンドロワとセルゲイ・フィーリンのプリンシパル同士のペアは、『ファラオの娘』第2幕のパ・ド・ドゥ。二人が登場しただけで、金地の刺繍を施したうす紫の衣裳が、古代エジプトの王朝世界へと観客を誘う。フィーリンの身体の美しさとアレクサンドロワの落ち着いた踊りが、夢幻の恋を儚くしかし豪華に描く。Bプロでは、このペアが『ドン・キホーテ』第3幕のパ・ド・ドゥを踊ってとりだった。
Aプロ第1部ボリショイ・バレエの最後は、ナターリヤ・オシポワとイワン・ワシーリエフの『パリの炎』第4幕のパ・ド・ドゥ。若々しいカップルのはじけるようなイキのいい舞台で、ワシーリエフの下半身のバネは、ソロビヨフやニジンスキーを想起させるくらい素晴らしかった。
そして、第1部の余韻が未だ消えぬうちに、第2部のマリインスキー・バレエのステージが始まった。
ワガノワ・バレエ・アカデミー出身のイリーナ・ゴールプとマリインスキー・バレエのプリンシパル・ダンサーのイーゴリ・コールプの『ばらの精』がその幕開き。流れるようなメロディに乗った軽やかな情感に染み込むような、コールプの動きが印象的だった。このペアは、Bプロでは一転して、フォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』のスーパーバランスを、楽々と踊ってみせた。
エフゲーニャ・オブラスツォーワとウラジーミル・シクリャローフは、『サタネラ』パ・ド・ドゥ(ヴェニスの謝肉祭)を踊った。難しい凝った振りをユーモアを交えて見せる高度なテクニックを必要とする作品だが、楽しくさり気なく踊った。とてもセカンド・ソリスト同士のペアとは思えない充実ぶりだった。
マリインスキー・バレエを代表するダンサー、ウリヤーナ・ロパトキナはイワン・コズロフをパートナーとして、サティ/ファン・マーネンの『3つのグノシエンヌ』で登場した。エリック・サティの東洋風の雰囲気の曲を使って、3つのフォーメーションにより、女性ダンサーの美しさ、官能性を際立たせる素敵なダンスである。クラシック・バレエを極めたロパトキナが、ファン・マーネンのネオ・クラシックのスタイルを踊って、さらにいっそう、振付自体を美しく輝かせた。ロパトキナは、Bプロでは、コズロフとマーラー/プティの『病めるばら』、そして『瀕死の白鳥』という、20世紀最高の舞姫プリセツカヤが大切にしていたレパートリーを踊った。『病めるばら』では、荘厳なマーラーの響きの乗せて、<美の崩
壊>を壮麗な動きの構成によって現出した。また『瀕死の白鳥』では、生命の威厳を、白鳥の繊細極まる秘かな羽根の動きの中に描いた。ロパトキナの舞台は、ロシア・バレエのひとつの極致、といっても過言ではないほどの深い印象を観客に胸に印したのである。
次は、エカテリーナ・オスモールキナとミハイル・ロブーヒンの『エスメラルダ』ディアナとアクティオンのパ・ド・ドゥ。ワガノワがドリコの曲を使った振付けた有名なパ・ド・ドゥだが、のびやかな躍動感のある生命が息づいているようなダンスである。このペアは、Bプロでもドリコ曲で神話を素材とした、高い跳躍と繊細なテクニックを使った『タリスマン』のパ・ド・ドゥを踊っている。オスモールキナが愛らしい少女のこころを巧みに表現した。
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『ジゼル』 シクリャローフ |
ファースト・ソリストのヴィクトリア・テリョーシキナとアントン・コールサコフの二人は『グラン・パ・クラシック』で登場した。終始落ち着いた格調のある踊りで、大型カップルの魅力を見せた。
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『海賊』 サラファーノフ |
97年にプリンシパル・ダンサーに昇格して以来、マリインスキー・バレエの主力ダンサーとして活躍しているアンドリアン・ファジェーエフは、若々しいセカンド・ソリストのアリーナ・ソーモアと『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』を、Bプロでは『眠れる森の美女』第3幕のパ・ド・ドゥを踊った。金髪を靡かせたペアの繊細にして華麗なクラシック・バレエの美に観客も酔っていたようだった。
さて、Aプロのとりは、キエフ・バレエ団から移籍してプリンシパル・ダンサーとなったレオニード・サラファーノフが、コンテンポラリー・ダンスにも才能を発揮しているオレシア・ノーヴィコワと『ドン・キホーテ』第3幕のパ・ド・ドゥ。さすがにサラファーノフは、軽々と余裕の踊りで大きな喝采を受けていたが、マリインスキー劇場の舞台で観た彼はもっと凄かった、と私は秘かに思った。
サラファーノフはBプロではテリョーキシナと『海賊』第2幕のパ・ド・ドゥを踊り、第1部のとり。ノーヴィコワはシクリャローフと『ジゼル』第2幕のパ・ド・ドゥを踊り、マリインスキー・バレエ団のクラシック・バレエのグレードの高さを示した。
また、オブラスツォーワとコールサコフはマリインスキー・バレエ団のレパートリーとして良く知られる『アルレキナーダ』を踊って、愛らしいピエロのおもしろさを楽しく見せた。
ボリショイ・バレエでは、カプツォーワとワシーリエフが『ばらの精』をテンポアップして踊り、芸術監督のアレクセイ・ラトマンスキー振付の『ミドル・デュエット』はオシポワとメルクリーエフがスポットの中で速い動きを見せた。黒い衣裳によるラトマンスキーの独特の文体を感じさせる作品だった。
そして、グリゴローヴィチ振付のボリショイ・バレエ団ならではの出し物『スパルタクス』は、ルンキナとスクヴォルツォフが、愛の歓びをじつに魅力的に詠った。
こうして、二夜に渡ったロシア・バレエのスターたちの饗宴は、宴の後、帰路に着いた観客たちの胸に残像を映して、終演を迎えたのである。しかし、これが10年前の混乱が続いたロシアだとしたら、決して実現しなかっただろうと思うと、まさに隔世の感慨を感じさせられた。
(Aプロ8月30日、Bプロ9月1日、新国立劇場 オペラ劇場)
黒沢&木佐貫による50年に一度のデュオダンス『約束の船』
日本のコンテンポラリー・ダンスを代表する二人の女性舞踊家、黒沢美香と木佐貫邦子が、50年に一度のデュオダンス『約束の船』を踊った。
公演の際に配布されたプログラムには、かなり詳細な二人の活動歴がプリントされていた。それによると1975年にコンクールの楽屋で初対面して以来、時折クロスする程度で、本格的なコラボレーションの経験はない。しかし、二人とも「50歳になったら一緒に踊る」という約束を心得ていたのだそうだ。
そして50歳を迎え、ダンス人生を振り返る節目に<約束の船>に乗ることになったのだが、ともに病を得ていたこともそこに記されていた。
奥に大きな赤いドアが据えられ、上手に出入り口がある簡素な舞台。黒沢が登場して下手手前で踊り、中央の後方に下がると木佐貫が同じ動きで姿を現し、同じ場所で簡単なソロを踊る。こうした動きのヴァリエーションがしばらく続く。
ほとんど無音だが、時折り電話の呼び出し音や海鳥や蝉の鳴き声などの弱い現実音や、ピアノ曲などが流れた。
黒沢の日常性の中に現れる動きをデフォルメして現実を感じさせる踊りと、木佐貫の幻想そのものをイメージしているかのような踊りが、異なったラインを描いていて、不思議な、いささか物悲しげな雰囲気が舞台に漂った。
そして最後は、「乙女の祈り」をアレンジした曲とともに天上にスモークがたかれ、終幕を迎えた。
どちらかといえば、ともにソロ・ダンサーとしての活動が多く、それぞれのダンスのスタイルを持っている。それが50歳という節目でクロスして、創ったダンスは、今後の活動にどのように反映していくのだろうか、興味深いものがある。
(8月31日、シアタートラム)
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