Kバレエカンパニー 中村祥子インタビュー

ワールドレポート/東京

インタビュー = 関口 紘一

----今回の『海賊』公演でK バレエカンパニーと一段落される、とお伺いしました。2015年にK バレエカンパニーに正式に入団されたわけですが、プリンシパルとして踊られていかがでしたか。

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祥子 私がK バレエカンパニーにゲストで出演し始めたのは20代半ばでした。今の若い人たちがちょうどそれくらいの年齢なので、これからバレエ人生が開けていくのだと思います。彼らには、私が乗り越えてきたその長い道のりがまた始まるのだ、と、今のダンサーたちとは年齢差があるので、そういったことを感じています。K バレエカンパニーで踊るようになってから、本当にあっという間でした。最初はゲストで海外と行ったり来たりでしたが、一区切りつけようと思った今は、そうか、こんなに長くいたのか、と感じています。

――日本に拠点を移されてから、正式に入団されたわけですね。何か日本のバレエについて感じられたことはありますか。

祥子 そうですね、最初の頃はそういう気持ちがあったかもしれないですけれど日本に慣れてきて、正直言うと海外のバレエ界のことを忘れてしまった部分もあります。K バレエカンパニーは自分にとっても特別ですし、他と比べてどうということではなく、このバレエ団の凄さを身に染みて感じています。あるいは他のバレエ団に行けばそこの良さを感じたかもしれませんけれど。
K バレエカンパニーというバレエ団が全てにこだわり抜くこと、それはダンサーだけではなく、スタッフさんやみんなの力が加わっているのですね。そのチームワークが素晴らしくて、熊川ディレクターがまた全てにおいてこだわって創り上げています。この団結力はすごい、海外のカンパニーと比べてもそう感じます。みんなの気持ちが、本当にいいものを創ろうという意思を持っています。ダンサーたちだけではなく、舞台の技術の方や照明の方、衣裳の方、全ての方たちがこのK バレエカンパニーのために、という気持ちがすごく強い。それがファンタジーを創り出すのだろうな、と思います。お客様もそういうことを感じてくださり、そこにダンサーたちの力が加わって、素晴らしい世界観ができるのだと思います。

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『くるみ割り人形』マリー姫 © Hidemi Seto

――『海賊』についてはいかがですか。他のヴァージョンももちろん踊られていると思うのですが。

祥子 海外では踊ったことはなく、『海賊』全幕はK バレエカンパニーで踊ったのが初めてです。熊川版の『海賊』は、どちらかというと男性ダンサーがメインですね。"海賊"として作られているな、という感じです。それがあってストーリーに入っていけるのではないか、と思います。そこから繰り広げられるドラマ性がつながっているので、ダンサーたちが楽しんで踊れる作品です。

――男性的作品だと女性が逆に踊り甲斐があるというか、花が美しく咲きますね。

祥子 そうですね、そこが際立つと言いますか、男らしさの中に女性らしさが出てくるといいですね。

――熊川さんの『クレオパトラ』は中村さんをイメージすることで生まれた作品ですね。

祥子 『クレオパトラ』は本当に大変でした。大変でしたけど、こんな作品が創れてしまうのだという驚きは、今まで感じたことがないものでした。多分、このクレオパトラを踊った本人にしかわからない、とてつもない感動というか、そういうものがありました。それはご覧になった方にもわからないかもしれない、踊った私と浅川紫織さんくらいにしか感じることのできないもの、もしかしたら浅川さんは私とは違った感じ方をしているかもしれません。そういう踊った本人にしか理解できない特別な感動がある作品になっていました。

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『クレオパトラ』© 小川峻毅

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『クレオパトラ』© 小川峻毅

――ラストシーンでは主人公の全てが造形されていました。

祥子 こういった作品はバレエ人生の中で出会うか出会わないか、という運命のようなものを感じます。そういうチャンスが与えられるか与えられないか、そんな人生の分かれ道のようなものでもあったと思います。出会いやいろんな出来事が重なり合って、こういう作品とばったり会えたという感じがします。

――タイミングとしてもダンサー人生の中で良い時だったのですね。

祥子 年齢とか経験とか全てのものが合わさった瞬間に出来上がった作品、そのような気がしています。
そして、踊って感じたことが今でも忘れられません。思い出すとあの時の感情がまざまざと蘇ってきます。

――ぜひ、再演してほしいです。

祥子 それはディレクターの判断ですね。再演があるとなれば、また挑戦したいです。

――ストーリーも複雑にしないでシンプルに描かれていました。

祥子 すっきりと人生をそのままを物語で描いた、という感じでした。

――ところで新型コロナ禍の期間はいかが過ごされていましたか。

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祥子 こういう状況にまでなるとは誰も思っていませんでしたから、ダンサーたちにとっては本当に辛い時期でした。世界中のダンサーがそうだったかもしれませんが、やっぱり色々と考えさせられる時期でもあったと思います。今までダンサーの生活が日々バレエと共にあったのが、なにか一瞬、そういう特別な時期をみんなが強制的に持たされた、という感じでしょうか。私だけ怪我をした、などではなくてみんなが同時期に、一瞬何かがストンと落ちて色々なことを考えたと思います。一方で今度は、新たに始まった再スタートの時にはみんなのエネルギーが凄かったです。踊りたいという気持ちが膨らみすぎていたのか、今までとはエネルギーが全く違いました。もしかすると、バレエ団にとってはこういう時期がかえって大切だったのかもしれません。毎日疲れて精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱいの日々、舞台が終わってまた次の舞台という繰り返しが何年も続いてきた中で、この期間は、やっぱり休まなきゃいけない時期というものを与えられたのかもしれません。もちろん、身体は鈍ったりしてしまいます。けれども気持ちが逆に上がっていったのかもしれません。やはりきつい時は、人は休みたいというかちょっとマイナスな考えになって、ポジティヴになれません。そうすると身体ももちろん気持ちと同様にポジティヴに動けません。しかし、そこで新たに始まると動きたいという気持ちが溢れて、みんなの嬉しさが全く違った感じで現れました。

――今回、中村さんが踊る『海賊』もオンラインライブ配信とライブビューイング(映画館でのライブ観賞)されますね。

祥子 そうです。『海賊』の配信もとても楽しみです。小さなお子さんがいて劇場で観ることがどうしても叶わなかったり、そういう方も配信で観られるのなら観たいと思われるでしょう。劇場で観るのとは違いますが、新たなバレエの楽しみ方が増えて嬉しいです。

――物理的に劇場に来るのが大変な方にはとてもいいことですね。

祥子 やっぱり地方だったり、世界中で観ることができるのはいいですね。そういう方もたくさんいらっしゃると思いますし。バレエに関心がなくても、家族の人が観ていたらつい観て、「バレエっておもしろいな」と感じていただけるかもしれません。

――舞台で観るのとまた違う面も見えてきますから、そういう点も興味を惹くのではないかと思います。ご自分が踊られて映像化されたものは、ご覧になりますか。

祥子 あまり観ませんが、4Kで上映されるものなどを映画館で観たりします。

――映像で見るとどのように感じられますか。

祥子 4Kは引きの映像だけではなくクローズアップも多く、全身のポーズだけではなく表情が劇場よりもしっかりと見ることができたりします。それも何か新しい感じがします。なかなか舞台では観られない部分や、美術や小道具が見えて、こんな表情しているんだとか、衣裳も細かくしっかり見えますから、そういう面もおもしろいでしょう。なかなか見る機会ないですしね。
映像で観る感動というものもあると思いますし、映画で初めて観てバレエっておもしろいね、と思われる方もいると思います。

――中村さんといえば、ローザンヌのコンクールで転倒されながらスカラシップと観客賞も受賞されたということが伝説になっています。またシュツットガルト・バレエ時代も大怪我をされましたが、ダンサーとして見事に復帰されました。どうしたら、そうして立ち直ることができるのだろうと思ってしまうのですが。

祥子 立ち直る時はただ夢中でした。自分自身がどうあれ、バレエが好きでただただ「踊りたい」という、バレエに人生を賭けたいという気持ちしかないと思います。他は何も考えていません。何があっても、コンプレックスがあっても何を言われても踊りたい、私はその気持ちだけでしたね。他のみなさんもそうだと思いますが、その気持ちを持ち続けてここまできた、そういう感じです。

――でもシュツットガルト・バレエのときなどは、腱を切られてしまったので・・・お若かったこともありますし、不安は大変なものでしたでしょう。それで踊れなくなってしまった人もいたでしょうし。

祥子 そうですね、ここまで来られた中で様々なことがありましたが、一番思うことは、運が良かったのかな、ということです。運も良く縁もあって色々なことを乗り越えられました。私だけの力ではなく、助けてもらって乗り越えてきたということはたくさんあると思います。もちろん大変だったし、バレエって精神的に強くないと前に進んでいけません。若い頃は考えも浅いですし、いろんなことの影響も受けやすいし、助けも必要です。自分一人で頑張りたい、反抗期ではないけれどそう思った時もありました。でもやっぱり、他からのサポートはすごくありがたかったです。今は感謝の思いでいっぱいです。

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『白鳥の湖』オデット© Hidemi Seto

――怪我は日本で治療されたのですか。

祥子 そうです。私が怪我をして、すぐに母が九州から東京の病院を探してくれて、予約しました。車椅子で空港に帰ってきて、そのまま病院に行って診てもらいました。先生に「腱が切れている状態だから手術すれば繋げることができます。ただすぐに決めて手術しないと、もう繋げられなくなります。今から2時間ほど時間がありますからお母さんと考えなさい」と言われました。軸足の左足だったのですが、その先生もバレエのことをご存知で「将来、フェッテしたいなら手術を勧めます」と言われました。「フェッテができなくなる!」「じゃあ、手術しなきゃ」と思いって手術を決め、次の日には手術しました。

――手術すれば踊れる、という思いが強くあったのですね。

祥子 「手術しないとフェッテができないんだ」という思いだけでした。本当にその時は踊ることにただ夢中でしたので。

――やはりバレリーナって尊敬されますね。普通に考えたら乗り越えられないだろうと思うようなことも、踊りたいという一途な思いで乗り越えてしまいますから。
ウィーン国立歌劇場バレエ団ではレナート・ツァネラ芸術監督の元で踊られましたね。中村さんにとってはウィーン国立歌劇場バレエ団が本格的に踊られた最初の大きなカンパニーということになると思います。

祥子 初め私は、シュツットガルト・バレエに研究生で入りましたが、怪我してしまい、その後のウィーン国立歌劇場バレエ団から本格的にスタートということになりました。
私は怪我をした後、妹が留学していたハンブルクに行って、オーディションを調べていたのですが、妹に「ウィーンでオーディションがあるよ」と教えられて、夜行列車に乗ってウィーンに行きました。朝4時頃着いてまだ人気もなく、劇場は立派な建物で、「こんな劇場あるの?」って思うくらいの豪華さでした。劇場がまだ閉まっていたのでマクドナルドでココアを注文し、6時頃開いたカフェでコーヒーを飲みながら「このバレエ団で踊りたいな」と眺めていました。ウィーン国立歌劇場バレエ団のオーディションはすごい人数のダンサーが参加していて、私はこんなに大人数のオーディションを受ける機会はなかったので、「受かるだろうか」と思いながら参加しました。それでも合格コントラクトをいただけたので、まるで夢のような気持ちでした。ツァネラはディレクターでしたが、陽気なイタリア人という感じで、日本語も少し話せました。オーディションの時には「キミ、キレイ」などと話しかけてくれました。

――当時はおいくつでしたか。

祥子 その時はちょうど二十歳でした。

――ウィーン国立歌劇場バレエ団は、毎年お正月にNHKで放映されるニューイヤーコンサートで、大変美しい宮殿の中で踊っていましたね。ツァネラ監督の指導はいかがでしたか。

祥子 シュツットガルト・バレエ団のリード・アンダーソンはいかにも監督です、という感じの方でしたが、ツァネラはちょっとお茶目というか、おもしろい感じの人でした。アットホームな感じがして、もちろんバレエには厳しかったですけれど、和やかでみんなが家族みたいな中でスタートできましたので、カンパニーの仲間ともなじみやすかったです。

――ツァネラは日本に親しみを感じている人でしたね。

祥子 そうですね。片言の日本語を話したりしましたし。そんな環境でしたので自由に活動させていただいたんですけど、ちょっとそこが甘くなりすぎていたんですね。なんでもできちゃうし、なんでもやらせてもらえてしまうみたいな気持ちになってしまって、いろいろと怒られもしました。
最初にいただいた『ラ・バヤデール』のガムザッティ役のフェッテのところで、いつもは2回転で終わっていたのを、調子が良くて「3回、回っちゃえ」とやってみたら、回れたのですが降りる時に滑ってしまってステンとお尻をついちゃったんです。それを観たツァネラからすごく叱られました。他のみんなは「良かったよ、そういうこともあるよ、人間なんだから」と言ってくれたのですが、ツァネラは違いました。「君はすべてのダンサーたちの舞台を台無しにした。君のしたことのすべてを責任取れるのか。プロとしての意識が違う」ときつく言われました。こんなに怒ったツァネラは見たことありませんでした。プロになったら全員に対して責任を持って踊らなければいけない。自分の想いだけで舞台を作ろうとしてはいけない、と言われました。「君がそこで尻餅をついたことで、今日のバレエのすべてを壊してしまった。みんなの頑張りをダメにしたんだ」と言われて、私はなんてことをしてしまったのだろうと、深く反省しました。みんなの舞台への想いを背負って踊らなければいけない、とその時、初めて認識することができました。それまではソリストの役をもらって「見せてやる!」という思いになっていましたが、叱られて、そんな思いで踊ってはいけないんだと理解することができました。
またあるときは、マラーホフがゲストに来ていて、彼の作品で私はソリスト役をいただきましたが、同時にコール・ドも踊っていました。ソリスト役の練習の時に、肘を打ってヒビが入ってしまい、コール・ドを踊れなくなったのです。でもソリスト役のところは、まだ期間があったので踊れる可能性があると思っていました。そして怪我している間は舞台には立てませんでしたが、すべての舞台を3階席から見て、一生懸命ソリストで踊る役を研究して、あのソロを絶対に踊るんだ、みんなよりも上手く踊ってやるんだ、と思っていました。いざリハーサルが始まった時にスタジオに行ったらツァネラに呼ばれて、「ちょっと、祥子。君はコール・ドも踊ってないのになんでソリストのリハーサルに来ているんだ。コール・ドで舞台に立ってないだろう、なのにソリストで舞台に立てるわけがない」と言われて、大泣きしてしましい・・・。
そして少し話そうと言われて、「祥子が踊れるのはよくわかる、上手なのもわかる。みんなにも見せたいという気持ちもとてもよくわかる。でも最も大切なことはコール・ドを知ることだ。君が優れたバレリーナなるためにはコール・ドを絶対に知っておかなければいけない。そうでなければ良いバレリーナには絶対になれない」と言われました。本当に私は何てことことをしたのだろうか、と気づかされました。みんなのことを考えずに自分が踊りたいものだけを踊ろうとしていたことを理解して「私はみんなと同じような踊りができていないのにもかかわらず、ソロをだけ踊ろうとしていました」とお話しして深く謝りました。
そうしたら次の日に、ツァネラは私に「準ソリスト昇格」って。

――とてもいい指導者だったのですね。

祥子 ええ。「祥子、昇格したから思いっきりソリスト役を踊れるよ」って言ってくれました。昨日、あんなに怒っていたのに・・・。
ツァネラはそうやってきちんと話してくれて、どうあるべきか、ということを示してくれました。本当にありがたいことだと思っています。きっと私は、あのまま注意されていなかったら、なんでもできちゃうんだ、という気持ちで何も周りのことを考えず、一つの舞台を一緒に作るということはみんながいてこそのチームワークでできるのだ、と気づかずに踊っていたんだろうな、と思います。そういうことを気づかせていただいたのは、大変ありがたいことだったなと思っています。

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『マダム・バタフライ』花魁 © Hidemi Seto

――ベルリン国立バレエ団に入ってからご結婚されました。

祥子 はい。それから大震災のあった年の4月には、ベルリン国立バレエ団がパリでチャリティ・ガラ公演を開催しました。私はその舞台で踊りました。震災ということもあり、自分も舞台に復帰したかったので踊りました。自分の復帰をモチベーションに、自分も参加したいんだと思って、生まれたばかりの息子を連れて4月にパリに行って踊って来ました。

――それは本当に大変なことでしたね。

祥子 1ヶ月期間がある、と思って決断しました。その1ヶ月で身体を戻して踊りました。

――最速の復帰ではないですか。

祥子 でも、結局、脚の付け根を痛めてしまったので、さすがにこれは無理だったのかもしれません。その後、ベルリンでは苦しかったです。1年くらいかけて徐々に戻せばよかったのかもしれません。そうすれば、身体に優しく復帰できたかもしれませんが、なにしろあの大震災でしたから・・・。

――ドイツとハンガリーで子育てをなさりながら踊られていたわけですが。

祥子 バレエ団に子どもを連れて来て、私たちがリハーサルしている間は他のダンサーが遊んでくれていました。そういう和気藹々とした環境ですごく助かりました。

――ご出産にあたっては不安はありませんでしたか。

祥子 当時私は30歳でしたが、それまでに私はすべての作品を踊って、踊りきった、という充実感がありました。そうした中で彼との出会いがあり、子どもを産んで家族があるという環境を見ていて、私も人間なんだ、女性なんだ、という気持ちになれる余裕が生まれました。彼ももちろん、家族が欲しいと思っているし、私も子どもを持てるんだと思えた時に「あ、欲しいな」と、この決断はそんなに迷いはなく、その時期がすごく自然にやって来ました。全てがいい時期になったといいますか。

――最近は、ママさんバレリーナも多くなりましたが、やはり大変なことだと思います。

祥子 海外では多いですね。でもほんと大変です!大変!「祥子さん、どんな生活されていますか?」とよく聞かれますが、本当に大変です。よく私はやってきたな、と思います。それまでは、ほとんどの時間をバレエにかけていたのに、今はスタジオ出たらそんな時間は一切なくなりました。よくそれでバレエを続けられているなって思います。だけど、かつてバレエに費やしていた時間とは違う時間を持つことで、よりバレエが深まりました。そんなにバレエに時間を費やさなくても、今この時間をバレエに生かせているな、と思います。その方が大切なのだ、と思えるようになった瞬間、今度は舞台が全く怖くなくなりました。昔は、メイクしていて、この緊張から逃げたい、という気持ちが起こりました。それが今は、メイクしたら「はい、スイッチ入りました」という感じなのです。舞台に挑戦したい、という気持ちが強く、「今日はどんな舞台になるんだろうか」と思えるようになったんです。

――大きな変化ですね。

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祥子 今感じていることは、私は自分の身体で踊っているのではなくて、私の経験で踊っているんだということです。若い頃は身体で踊っているんです、いろんなエネルギーで。今は経験で踊っているな、と思いますし、そこが不思議です。経験があるから経験で踊れる、という自信なのか何なのかはわかりませんが。ちょっと以前までは、自分はここまで出来ていたのに、ここまでどうしてもやりたい、でもできない、という感じでした。どうしてできないのか、どうすればいいのか、バレエはもうダメなのか、そういう自分がいたのですが、そこを受け入れて、私は経験で踊っているんだ、と。それがいいのかどうかもわからないですし、ダンサーとしてどう見えているのかもわかりません。まだ、自分だけのことですから。

――新しい境地に立たれているわけですね。今後はどういうご予定ですか。

祥子 いろんな方からオファーをいただいたりしていますが、自分を新しく成長させるような舞台をやっていきたいと思います。もちろん、K バレエカンパニーからオファーをいただいたら踊りたいと思います。だから退団という雰囲気はないですね、名誉プリンシパルもいただきましたし。まだ続きますが一度仕切って、それでバレエが終わりではなく、みんなとの仲間だったり一緒に舞台を作るという気持ちは続いているなと思っています。また、自分がさらにパワーアップして戻って来られるかもしれないですし。そういうものは楽しんでいきたいな、と思っています。

――リハーサルでお忙しい中、お時間をとっていただき色々と興味深いお話をたくさんお聞かせいただきました。ありがとうございました。

Kバレエ初! オンラインライブ配信あり!

最終公演は2020年10月19日(月)の12:30までチケットを購入できます。
※ご視聴は2020年10月19日(月)23:59まで
※実際の公演同様、開演が遅れる場合もございます
※24時間アーカイブ配信あり
■ライブ配信視聴チケット料金
3,800円(税込)
■チケット購入先
Streaming + : https://eplus.jp/kumakawa/
PIA LIVE STREAM : https://w.pia.jp/t/k-ballet/
ローチケ LIVE STREAMING : https://l-tike.com/k-ballet/

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