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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2016.10.11]

谷桃子が愛し大切にした4曲のバレエと、伊藤範子が振付けた敬愛に満ちたオマージュを上演した追悼公演

谷桃子バレエ団
谷桃子追悼公演『ラプソディ』谷桃子:振付、『瀕死の白鳥』、『リゼット』、『追憶』伊藤範子:振付、『ジゼル』第2幕

去る昨年4月、プリマ・バレリーナとして指導者として日本のバレエ界に大きな功績を残した舞踊家、谷桃子が惜しまれつつ亡くなった。そして、9月23日には谷桃子の追悼公演がめぐろパーシモンホールで開催された。
プログラムはラフマニノフ曲、谷桃子振付『ラプソディ』(1977)、サン=サンーンス曲『瀕死の白鳥』、ヘルテル曲『リゼット』(1962)、ドビュッシー、ショパン曲、伊藤範子振付『追憶』、アダン曲『ジゼル』第2幕だった。

tokyo1610d01.jpg 「ラプソディ」撮影/谷岡秀昌 tokyo1610d02.jpg 「ラプソディ」撮影/谷岡秀昌

まず、『ラプソディ』が上演された。谷桃子は1970年頃から若い団員たちのためのアトリエ公演を始め、彼らが「いつもとは違った役柄、創作ものを理解し、振付者の意図を生かせるダンサーとなれるよう」に心がけていた。また、近年まで「古典と創作」という小規模公演続けていて、団員たちの振付作品を積極的に上演してきた。もともと、石井小浪の門下だった谷桃子は創作に強い関心を抱いていたのである。公演パンフレットによると、1977年当時の谷桃子は、元ニューヨーク・シティ・バレエのロイ・トバイアスの影響でバランシン的作品を目指していたことがあった、と記されている。記録によれば70〜80年代にかけて、時折、トバイアスの振付作品を上演しているし、バランシンが旅立った1983年には、TV「題名のない音楽会」では<バランシン追悼番組>として、トバイアスの協力によりバランシン作品をバレエ団が踊っている。
確かに谷桃子の振付は、ラフマニノフの著名な曲を見る音楽として群舞(15人のダンサー)で構成している。しかし、音楽の捉え方は、バランシンとは異なり、音符の一つ一つに谷桃子の想いが重ねられているかのようだった。もちろん、動きのスピード感も異なって見えた。

tokyo1610d03.jpg 「瀕死の白鳥」撮影/谷岡秀昌

谷桃子が愛し大切にしたバレエ『瀕死の白鳥』は佐々木和葉が踊り、『リゼット』は齊藤耀のリーズと三木雄馬のコーラスのパ・ド・ドゥとその友だちの踊りだった。
『追憶』は、6歳の時に初舞台で踊ったバレエが谷桃子が振付けた『おもちゃ箱』だった、という伊藤範子の振付。「真っ暗な夜空に白光を放ち・・・・人々の憧れの<象徴>である」月に向かって踊る黒い衣装の女性群舞と、やはり黒衣の男性の群舞、そして谷桃子その人を想起させる輝くばかりの女性ダンサーが踊った。全体に大きな表現で、身体全体でのめり込むように情感を表していた。師への溢れるような敬愛をオペラ的な雄渾の世界に表した、といったらいいのだろうか。最後は、舞台の花として踊った谷桃子へのダンサー全員の麗しい動きによる献花、なかなか見事なオマージュだった。

tokyo1610d04.jpg 「瀕死の白鳥」撮影/谷岡秀昌 tokyo1610d05.jpg 「リゼット」撮影/谷岡秀昌
tokyo1610d06.jpg 「リゼット」撮影/谷岡秀昌 tokyo1610d07.jpg 「リゼット」撮影/谷岡秀昌

ラストはバレリーナ、谷桃子が最も得意とした『ジゼル』第2幕。佐藤麻利香がウィリとなったジゼルを踊った。やはり、当然だが、谷桃子の教えを強く意識していただろう。観客もバレリーナ谷桃子を意識しているから、想いは一致してとても良い舞台となった。アルブレヒトの今井智也もジゼルへの愛に一身を捧げる純粋な心が現れた見事な踊りだった。
舞踊の力強い創作力がなかなか湧き上がってこない日本のバレエ界に、谷桃子を貴重な遺志を継いで、新しい創造的エネルギーが発展してくることを切望したい。
(2016年9月23日 めぐろパーシモンホール)

tokyo1610d08.jpg 「追憶」撮影/谷岡秀昌 tokyo1610d09.jpg 「追憶」撮影/谷岡秀昌
tokyo1610d10.jpg 「ジゼル」第2幕 佐藤麻利香、今井智也 撮影/谷岡秀昌