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佐々木 三重子 text by Mieko Sasaki 
[2016.01.12]

『バイ』で有終の美を飾ったギエム、進化しつづけるギエムに感謝とエールを送りたい

シルヴィ・ギエム〈ライフ・イン・プログレス〉
『バイ』マッツ・エック:振付、『テクネ』アクラム・カーン:振付、『ヒア・アンド・アフター』ラッセル・マリファント:振付・演出、『デュオ 2015』ウィリアム・フォーサイス:振付、『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』ウィリアム・フォーサイス:振付、『ドリーム・タイム』イリ・キリアン:振付・演出

“百年に一度の逸材”と称された稀有のバレリーナ、シルヴィ・ギエムが、12月の日本ツアーで舞台に別れを告げた。
2014年8月に引退を表明したギエムは、2015年3月に〈ライフ・イン・プログレス〉と銘打ったファイナル・ツアーをイタリアのモデナで始め、ロンドンやパリなどを回り、日本ツアーで締めくくった。この日本公演は引退を決める前に予定されていたというが、日本はパリ・オペラ座バレエ学校在学中に初めて海外公演を行った国であり、以来、来演を重ねて日本の文化に並々ならぬ関心を抱き、陶芸なども体験して親しんできただけに、日本が最後の公演地となったことに日本との見えない絆が感じられる。
〈ライフ・イン・プログレス〉の演目は、すべて現代の振付家の作品で構成されており、しかも自身が踊る3作品のうち2作品が新作というのは、いかにも「進化」を目指してきたギエムらしい。バレエにおいても、人生においても、常に「これまで」よりも「これから」を見据えているのだろう。なお、東京以外の都市では、〈シルヴィ・ギエム ファイナル〉として、特に人気の高いベジャールの『ボレロ』を含むプログラムが用意されていた。どちらの公演にも、ギエムと共演を重ねてきた東京バレエ団が出演し、ウィリアム・フォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』ほかを踊った。

tokyo1601d_2455.jpg 『テクネ』
Photo : Kiyonori Hasegawa(すべて)

ギエムがパリ・オペラ座バレエ団に入団後に初めて来日したのは1985年。エトワールに任命されて間もない時で、当時の芸術監督ヌレエフと共に東京バレエの『白鳥の湖』に客演した。テクニックは完璧で、儚げなオデットが清新な印象を残したが、心を伴っていない感じがした。だが次に同団と『白鳥の湖』を踊った時の進化には目を見張った。例えばオデットがポアントの足先を震わせながら王子に救いを乞うシーンは真に迫っていて、見ていて涙が出てきそうだった。
以来、数多くのバレエ作品を踊ってきたが、超人的なテクニックと比類ない演技力で存在感を示し、独創的な解釈を加えたヒロイン像を提示するなど、バレエ界に革新をもたらしもした。
一方、〈世界バレエフェスティバル〉の余興で、平均台で軽やかに宙返りをして澄ましていたのも懐かしい。かつて体操のオリンッピック選手を目指していたから、造作ないことだったのだろう。『グラン・パ・クラシック』での完璧かつ格調高い演技には崇高さを感じたし、白いタイツに全身を包み、しなやかさを際立たせて踊った『ルナ』は神秘性を帯び、狂気にさいなまれていく皇妃エリザベートを演じた『シシィ』には凄みを覚えた。マッツ・エック版『カルメン』でみせた野性的で荒々しい姿も忘れ難い。また、『ボレロ』では、若い頃のたおやかで瑞々しい演技、ベジャールが客席にいた時の気合いの入った演技、バレンボイム指揮シカゴ響との音楽主導の共演でのひたむきな演技、東日本大震災復興支援の公演での祈りが込められた演技というふうに、異なる表情をみせてきた。近年、クラシックは“卒業”したようで、果敢にコンテンポラリーの領域に踏み込み、彼女ならではの斬新な境地を切り開いてきた。
〈ライフ・イン・プログレス〉は、常に先端を行こうとするギエムの姿勢を示すプログラムといえよう。

その〈ライフ・イン・プログレス〉。第1部は東京バレエ団の舞台。
フォーサイス振付『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』は、バレエ団のレパートリーにすべきというギエムの勧めで取り上げることしたもの。上野水香、奈良春夏、柄本弾が中心になって踊った日を観た。初めて挑戦するフォーサイス特有の振りに慣れていないのか、精確さが要求される弾力性に富んだ硬質の動きがこなれておらず、スピード感も今一つだった。もう一つの『ドリーム・タイム』は、イリ・キリアンが武満徹の作曲したオーケストラのための「夢の時」に振付けた作品。バレエ団として15年振りの再演だった。ロングスカートの女性3人とパンツ姿の男性2人が様々な組み合わせで踊りを受け渡していったが、抒情的な美しさに満ちていた。自然が描かれた布が巻き上げられて明るい背景が現れる冒頭は、西洋とは異なる神秘の世界へ誘うようで目を引き付けられた。

tokyo1601d_2122.jpg 『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』 tokyo1601d_2358.jpg 『ドリーム・タイム』

第2部でギエムが踊った二つの新作は、コンテンポラリーの領域での彼女のさらなる進境を伝える作品だった。『テクネ』は、アクラム・カーンが環境問題に関心を寄せるギエムのために振付けたソロ作品。ギエムによれば “失われたコミュニケーション” がテーマという。中央に置かれた網状の白い木は自然破壊の象徴か。ボブヘアのウィッグを被ったミニワンピースのギエムは、人間とも動物とも知れない不思議な生き物のように現れた。地を這うようにうごめき、木の周りで高速のシェネやピルエットをみせ、脚を高く振り上げ、思い切り身体をしなわせる様は、何かを求め訴えているようでもある。ギエムがゆっくりと回転し始めた木に触れようとする最後は、彼女の思いが届いたことを暗示するのだろうか。それにしても、足先まで見事に鍛え上げられた筋肉、それを自在に駆使できる身体能力、全身から放たれるエネルギーの凄さには感心させられるばかり。それだけに、50歳を迎えたとはいえ、引退するのはまだまだ早すぎるという思いが募った。

続いて上演された『デュオ2015』はフォーサイスが今回のツアーのために旧作を改訂したもので、彼のカンパニーに在籍していたブリーゲル・ジョカとライリー・ワッツが踊った。二人が似た振りで掛け合いをみせたり、意識的に無視したり、体を叩いて音楽を奏するなど、ユーモアも感じさせた。途中、ギエムが唐突に下手から現れ、唖然とする二人に絡むように踊って上手に去るというのも意外性があって面白かった。
次の『ヒア・アンド・アフター』は、ラッセル・マリファントが女性同士のパ・ド・ドゥは初めてというギエムのために振付けた新作である。共演はミラノ・スカラ座バレエ団のエマヌエラ・モンタナーリ。キャミソルにゆるめのパンツ姿の二人は、スローな動きで始め、腕をプロペラのように振り回し、身体を回転させ、追いかけるように走り、躍動感あふれるダンスへと転換させた。同じ振りだとギエムのほうが格段にキレが鋭く、振幅も大きく、例えばギエムの振り回す腕は残像となった。二人が腕をからませ背合わせになるシーンなどは、親密なやりとりを楽しんでいるようで、モンタナーリを包み込むようなギエムの優しさを感じた。突然ヨーデルが響き渡って驚きもしたが、最初は床を円形に照らしていた照明が、二人を触発するようにダイナミックに形を変えていくのもスリリングだった。

tokyo1601d_2605.jpg 『ヒア・アンド・アフター』
tokyo1601d_2791.jpg 『バイ』
Photo : Kiyonori Hasegawa(すべて)

第3部の『バイ』は、マッツ・エックが2011年にギエムのために振付けたソロ作品で、『アジュ―』のタイトルで日本でも上演された。両方とも意味は日本語で「さようなら」。
別れを告げるのにこれ以外の作品はないだろう。扉のようなスクリーンにギエムの姿が映し出され、その顔や体の一部がスクリーンからはみ出でると、はみ出た部分を補うようにスクリーンの上や横からギエムが顔や手をのぞかせるという導入部が笑いを誘う。好奇心に誘われるようにスクリーンから外の世界に飛び出してきたギエムは、カーディガンに柄のブラウス、黄色いスカート、赤い靴下に靴という冴えない服装。そして自然児のように、心のまま奔放に踊りまくってみせた。カーディガンを脱ぎ、靴も靴下も脱ぎ、軽快にジャンプし、顔近くまで脚を上げ、頭を床に付けた三点倒立のポーズを保つなど、この作品でも強靭な身体性を発揮した。途中でスクリーンに人や犬の姿が投影されると、ギエムは何かを受け取るように微妙に反応する。
音楽はベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタ第32番の第2楽章だが、ジャズっぽく演奏される部分など、ギエムは踊りで寄り添っていたように感じた。スクリーンに現れる人々が増え、心配そうな眼差しを投げかけると、ギエムは靴をはき、カーディガンを着て、自らの意志でスクリーンの陰に消え、映像の中の人に戻った。最初のような幼さはなく、達観したように静かだった。最後に一瞬こちらを振り返って去っていくが、別れを告げるような寂しさを湛えた表情が目に焼き付き、胸が一杯になった。『バイ』という作品で華麗なバレエ人生に幕を引いたギエム。そして、「地球を救うこと」という大いなる“野望”を抱いて新しい人生を踏み出そうとするギエムに、限りない感謝と惜しみないエールを送りたい。
(2015年12月16日 東京文化会館)