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佐々木 三重子 text by Mieko Sasaki 
[2015.11.10]

近松の女たちをコンテンポラリー、フラメンコ、バレエ、日本舞踊と、異なるジャンルのダンスで表現

新国立劇場バレエ団
近松DANCE弐題 Aプログラム:『エゴイズム』加賀谷香:作・出演、Bプログラム「近松の女」:『梅川』蘭このみ:演出・振付、『近松リポーターズ』島地保武:演出・振付、『五障Gosho(おさんと小春より)吾妻徳穂:振付・出演

近松門左衛門の作品世界をダンスで描く新国立劇場主催の公演「近松DANCE弐題」が4年振りに行われた。Aプログラムはコンテンポラリーダンスで、前回初演された加賀谷香の『エゴイズム』の再演。Bプログラムは「近松の女」と題して、フラメンコの蘭このみ、バレエの酒井はな、日本舞踊の吾妻徳穂という、ジャンルの異なる舞踊家たちが競演した。

Aプログラム『エゴイズム』加賀谷香:作・出演


日本ではじめて“エロスと死を宗教的解釈で描いたといわれる近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」だが、そこから“想いを貫くこと”は窮極の“エゴイズム”と読み解いた加賀谷が、自身の舞踊観も重ねて創作したのが『エゴイズム』。加賀谷が近藤良平や佐藤洋介、辻本知彦と組む相手を変えて踊りながら、遊女お初の心中に至る心の内に迫ろうとするもので、ほかに、要所で語り部も兼ねる舘形比呂一や、パフォーマンスにも参加するギターの松本じろが出演した。後方の遊郭を模した2層のセットはシンプルだが雰囲気を醸し、三味線なども入る音楽はギターと違和感なく溶け合い、ドラマを推し進めていった。

加賀谷は、頭や手足を文楽人形のように操られて動かす冒頭では、お初の無垢な初々しさを表し、徳兵衛と相愛になった遊女お初では床を転げ回って燃えるような情念を放出させ、鮮やかなコントラストを成した。縁の下の徳兵衛に心中の覚悟を伝えるシーンの後に置かれた男たちが遊び戯れるシーンには、加賀谷の遊び心も感じられた。直後の道行と対比させる狙いもあったのだろう。
心中の場では舞台がせり上がって緊張感を高め、一気にクライマックスに進んだ。暗転後、宙に吊るされた純白の着物の下で加賀谷がひたすら踊る姿は、解き放たれた魂のように映った。総じて加賀谷の卓越した身体表現が際立つ舞台だった。振袖をスカートに、襦袢を胸のあいた緋色のドレスに、黒留袖をタキシード風ジャケットにそれぞれ仕立て直した衣裳は、若いお初、遊女お初、心中に臨むお初と、変化を遂げるお初の内面を映し出すようで効果的だった。近藤は人形遣いだったが、佐藤と辻本はコントロールも巧みに踊り、舘形は舞台と一体になりながら埋没しない独得の個性を放っていた。
(2015年10月11日 新国立劇場・小劇場)

tokyo1511e_0031.jpg 「エゴイズム」撮影/鹿摩隆司 tokyo1511e_0278.jpg 「エゴイズム」撮影/鹿摩隆司

Bプログラム「近松の女」:『梅川』『近松リポーターズ』『五障Gosho(おさんと小春より)』

tokyo1511e_1007.jpg 「近松の女」オープニング 撮影/鹿摩隆司

色とりどりの豪華な花がオブジェのように飾られた舞台に、蘭このみ、酒井はな、吾妻徳穂の3人が顔見世のように登場し、それぞれが演じる近松の女たちに自身を投入するかのようにしばし佇んだ。
最初に上演されたのは『梅川』。「冥途の飛脚」に材を採った蘭の演出・振付によるフラメンコ作品である。遊女の梅川が自分のため大金を横領した忠兵衛に寄り添う心を、ギターと歌にのせてフラメンコで描いたもの。飾られた花を後方に移動した舞台で、女性ダンサーたちがバストンで床を打ちながら激しくステップを踏み、2人の男性ダンサーはアクロバティックな跳躍や回転を見せた。これは逃避行を続ける忠兵衛と梅川を責めたてる描写なのだろうか。
やがて登場した蘭は、小刻みにステップを踏み始め、しなやかに手や腕を操りながら、切ない想いを滲ますように踊った。けれど、導入部と蘭のソロの繋がりが見えてこず、蘭のサパテアードも控え目気味で、しかも総じて抽象的な提示だったため、今一つ訴える力が弱かった。

次はバレエの『近松リポーターズ』。演出・振付は酒井とユニットを組んでいる島地保武だが、近松のどの作品に依ったかは書かれていない。
出演は酒井と島地の2人だが、チェロの古川展生が2人の踊りにもからむ場面も用意されていた。白い大きな玉が吊るされた舞台で、下手後方で古川が弾くチェロにのせ、酒井と島地はリフトも含めもつれあうようにデュオを踊った。酒井が「いつからそこにいるの」「どこからきたの」「好きな色は何」などと語りかけたり、島が〈アメイジング・グレイス〉を歌ったり、身体を様々に叩いて音楽(?)を奏でたりする場面もあったが、ともあれ息の合った2人による丁々発止のダンスが楽しめた。
最後のデュエットはすべてを浄化するように映った。古川は演奏で2人を挑発するだけでなく、2人に割り込むことでその関係性に更なる展開を促しもした。全体に少々盛り込み過ぎで、まとまりに欠けるようにも思えたが、これは様々な男女のあり様を伝えようとしたからなのか。ただ、その男女は近松作品に限らないようでもあった。

tokyo1511e_1550.jpg 「五障Gosho(おさんと小春より)」撮影/鹿摩隆司

締めは日本舞踊で、吾妻の振付・出演による『五障Gosho(おさんと小春より)』。プログラムには「五障」の説明がないので分からないが、ここでは女性であるがために得ることのできない梵天王や帝釈天などの地位を指す仏教用語ではなく、5善根の妨げとなる「欺、怠、瞋(しん)、恨、怨」を指すのだろうか。
「心中天網島」に登場する紙屋治兵衛の女房おさんと、治兵衛が入れ揚げる遊女の小春は、共に義理堅い女性として描かれているが、吾妻の意図は2人が持つ業(ごう)にも似た女の情を表出すことにあったのか。
最初に置かれていた山盛りの花をバックに踊る吾妻は、若い女の生気を放ちもすれば、全身からしっとりと悲しみを漂わせ、耐え忍ぶ心を滲ませ、苦しみもがくなど、様々に乱れ揺れる心の内を繊細に伝えていた。
作曲と笛の演奏を担った藤舎推峰と、情景により筝と胡弓を使い分けた日吉章吾が奏でる音楽は、吾妻の踊りに呼応していた。

さて、今回の「近松の女」。近松作品を異なるスタイルの踊りで表そうという試みは意欲的だし、とても興味深い。ただ、上演時間の制約もあるのか、3作とも物語を追う形は採らず、抽象的な展開になっていた。特に蘭と吾妻の作品は相手役の男性が登場しないこともあり、一人きりで近松作品ならではの女の心を演じる難しさも感じられた。フラメンコとバレエと日本舞踊と異なる様式を見られて面白かったが、全体としては中途半端というか、未消化な印象を受けてしまった。
(2015年10月16日 新国立劇場・小劇場)

tokyo1511e_1031.jpg 「梅川」撮影/鹿摩隆司 tokyo1511e_1289.jpg 「近松リポーターズ」撮影/鹿摩隆司