ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2015.06.10]
♪バレエ昔も今も♪BALLET OLD AND NEW♪
吉田都と堀内元に加えて加冶屋百合子とジャレット・マシューズが出演する「Ballet for the Future」という公演が8月25日、27日に金沢と東京で行われる。そのパブリシティを兼ねて、吉田都、堀内元両氏に公開インタビューするという機会を与えていただいた。周知のようにお二人は、日本人女性として初めて1995年に英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルに、日本人として初めて1989年にニュ−ヨーク・シティ・バレエ団のプリンシパルに昇格して国際舞台で活躍されている。
今でこそ日本人バレエダンサーが世界の舞台で活躍することは、さほど珍しくはなくなったかも知れないが、当時はほとんど未開拓の分野に手探りで進んで行く、といった心持ちではなかったのではないか、と思われる。そうした貴重な体験を経たアーティストの言葉には、やはり、言うに言われぬ重い説得力が感じられた。
そして、お二人が異口同音に言われていたことは「バレエに近道なし」という言葉だった。とりわけバレエダンサーには、毎日毎日の努力の積み重ねの前にしか道は開かれていないのだ、ということ。
しかし、山が高ければ高いほど登りきった後の爽快感は素晴らしいものになるはず。実際、お二人は、現在、踊ることを心から楽しんでいられるように見えて、いささか羨ましい気持ちにさせられたのだった。

踊る姿が絵になっていっそうドラマティックに胸に響いた、モスクワ音楽劇場の『エスメラルダ』

国立モスクワ音楽劇場バレエ団
『エスメラルダ』ウラジーミル・ブルメイスティル:振付・演出

ヴィクトル・ユーゴーの長編小説『ノートルダム・ド・パリ』に基づくグランド・バレエは、いくつか創られている。ジュール・ペローの台本と振付、チェザーレ・プーニの音楽により、1844年にロンドンで初演された舞台、プティパ版、「ディアナとアクティオン」の振付が残されているワガノワ版、1950年にモスクワ音楽劇場で初演されたブルメイステル版(チェザーレ・プーニ、レインゴリト・グリエール、セルゲイ・ワシレンコ音楽)、1965年初演で『ノートルダム・ド・パリ』をタイトルに選んだローラン・プティ版(モーリス・ジャール音楽)などが知られる。

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ユーゴーの原作小説が大長編であり、物語も複雑に錯綜していることから、バレエのヴァージョンはそれぞれに異なっている。ペローは原作でエスメラルダと名目上の結婚をする詩人グランゴワールを登場させているが、ブルメイステルとプティのヴァージョンには登場していない。ペローは原作小説の宿命を担わされた悲劇を、詩人グランゴワールの目を通して表わそうとしたのだろうか。
イヴ・サンローランの衣裳が特徴的な舞台を創ったローラン・プティの関心は、醜い姿のカジモドが美しいジプシー娘エスメラルダに寄せる哀しい恋。そしてそれを引き裂く残酷な宿命の悲劇にあるように見える。原作のイメージを活かし、ラストシーンで処刑される寸前のエスメルダをカジモドが救出するスペクタルを演出している。そしていささかのシンパシィを醜い姿に生まれ育ったカジモドに寄せている気がしないでもない。
ブルメイステル版『エスメラルダ』は、過酷な時代に翻弄される母と娘の悲劇と、美しいエスメラルダの決して実ることのない悲恋をドラマティックに描いている。

tokyo1506a_03.jpg © Yuichi Hisatsugu tokyo1506a_04.jpg © Yuichi Hisatsugu

母親が行き倒れている間にジプシーに拾われ、美しく成長したエスメラルダ。アウトローの貧困世界に生まれた美しい娘には、決して幸せは訪れず、宗教的にも魂が救われることはない、というユーゴーのペシミズムがドラマの根幹である。さらに言えば、美しく生まれたために隊長のフェビュスと副司祭フロロに想いを寄せられ、悲劇の主人公となってしまうのである。ここではカジモドの役割はプティ作品ほど重要な役割があるわけではない。その美の悲劇を際だたせるための脇役で、真相をしる唯一の人間だが、容貌怪異のためにまたフロロに救われたという宿命のため、真実を社会的に証明することが出来ず、個人的にフロロを殺すことでアイデンティティを保つしかない。カジモドが密かにエスメラルダを慕っていたということは、はっきりとは描かれていない。原作では後日談として、エスメラルダらしい白骨に絡まるように異様な骨格の白骨が発見されるが、女性の白骨から引き離そうとすると粉々に砕け散ってしまった、というエピソ−ドが描かれているのだけれども。
恐らくブルメイステルは、美と醜の相克といった美的世界への執着より、原作小説が暗示しているやがてはフランス革命に至る、人間たちの呪われた宿命的悲劇のドラマこそ描きたかったのであろう。

tokyo1506a_05.jpg © Yuichi Hisatsugu tokyo1506a_06.jpg © Yuichi Hisatsugu

エスメラルダはプリンシパルのオクサーナ・カルダシュがのびやかに踊り見応えがあった。フェビュスの婚約者で貴族の娘のフルール・ド・リスを踊ったやはりプリンシパルのクセーニャ・ルシコーワも、エスメラルダと役柄的なコントラストを上手く表わしていた。また、かつてはこのカンパニーのスターダンサーだったクラピーヴィナ&クラピーヴィン夫妻の愛娘で、プリンシパルとしてダンサーたちをリードしてきたナターリア・クラピーヴィナが、エスメラルダの母親役グドゥラに扮していたことは感慨深かった。
ロシアのバレエ団らしくダンサーたちがみんな大きく、踊る姿が絵になっていてドラマティックなバレエがいっそう豊かに胸に響いて、満足感を感じさせてくれた一夕となった。
また、国立音楽劇場管弦楽団がともに来日して演奏していたため、ダンサーたちの踊りに迷いがなく音楽と良く融和して一体感のあるバレエ公演だった。この点は大いに評価したい。
前回の来日公演(2010年)の時の芸術監督はセルゲイ・フィーリンだったが、彼は現在、ボリショイ・バレエ団の芸術監督。今回はマリインスキー・バレエ団出身のイーゴリー・ゼレンスキーが芸術監督を務めている。
(2015年5月20日 東京文化会館)

tokyo1506a_02.jpg © Yuichi Hisatsugu