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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2015.04.10]

新国立劇場ダンス・アーカイヴと女子体育大学自主公演、100年を隔てた日本のダンスが同日に上演された

新国立劇場「ダンス・アーカイヴ in JAPAN 2015」日本の洋舞100年第2弾
『機械は生きている』石井漠:振付/音楽、『マスク』石井漠:振付/衣裳デザイン、
『恐怖の踊り』執行正俊:振付/衣裳デザイン、『釣り人』檜健次、
『スカラ座のまり使い』江口隆哉:振付、『体(たい)』石井みどり:振付

「ダンス・アーカイヴ in JAPAN 2015」公演を観たが、残念なことに当日になってから突発的所用が入ったため開幕に遅れてしまい『恐怖の踊り』からしか観られなかった。
第二回目のアーカイヴ公演となった今回は、石井漠振付『機械は生きている』(1948年)と石井みどり振付『体(たい)』(1961年)という世界大戦後の作品が、開幕とトリに上演された。そのほかは石井漠振付『マスク』(1923年ベルリン)が最も古く、執行正俊の『恐怖の踊り』(1932年ベルリン)、江口隆哉の『スカラ座のまり使い』(1935年、再現版、日本舞踊家版、デュエット版)、檜健次の『釣り人』(1939年)といった作品が上演された。しかし、こうして復元して上演された舞台を見ると、やはり戦前のダンスと戦後のダンスは異なって感じられる。特に1961年に初演された『体』にはベジャールの影響が感じられた。

tokyo1504i01.jpg 「体」酒井はな、佐々木大 撮影/鹿摩隆司

「日本の洋舞100年」と言っても、いわゆる「洋舞」として括られ、バレエとモダンダンスが同列で捉えられていた時代と、バレエとモダンダンスが明快に分離して受容されるようになってからの違いがあるのではないだろうか。仮にその分岐点を戦後の『白鳥の湖』全幕公演に置く、ということができるかもしれない。バレエの全幕作品が踊られるようになって初めて、モダンダンスとバレエは異なったジャンルの作品だと実感されたのではないだろうか。
そうした意味から言うと、たとえば橘秋子と牧幹夫などはモダンダンス的なものから、バレエへと純化されていったといえるだろう。どうもこのプログラム構成を見ると、今日の「現代舞踊」の視点から、過去の未だ未分離で踊られていた舞踊を捉えているのではないか、とも感じられた。
公演プログラムに掲げられている「古きをたずねて 新しきを知る」ということは、こうした企画が行われることとは関係なく、作家の中でいつも行われているはずのことだ。最も、フォーサイスについて論じれば、あるいはピナ・バウシュについて論じれば、それだけで自分がフォーサイスやピナ・バウシュと同じレベルにいるもの、と錯覚してしまうおめでたい人々が多い日本のダンス界では、これもまた、重要な作業なのかも知れないが。

そんな想いを抱きつつ、両国のライブハウス「black A」で行われている日本女子体育大学ダンス・プロデュース研究部主催の「Piano Pieces」という公演へと向かった。1923年のダンスから2015年のダンスへおおよそ100年ほどの星霜を隔てた舞踊公演を、わずか数時間のうちに観るという奇矯ともいえる体験したわけである。

日本女子体育大学ダンス・プロデュース研究部「Piano Pieces」

tokyo1504i02.jpg 川村美紀子 ©小林利那

こちらは現役の女子大学生の自主公演で、通常の劇場公演とは趣の異なった、パリの郊外やベルギーなどで良く行われているフラットなスペースにグランドピアノを置いただけの空間で、ピアノの生演奏によりダンスを見せるもの。入場料1000円+ドリンク500円だった。ラデツキー行進曲による「カーテンコール」を含む10作品が、日本女子体育大学出身のダンサーにより上演された。ポワントで踊るものからコンテンポラリー・ダンスやタンゴまでスタイルは様々だった。

呼び物はこの大学出身で、今やコンテンポラリー・ダンスの話題を一身に集めている感のある川村美紀子の自作自演のソロ。川村は、胸に「Hawaii」と入った白いノースリーブのトップに黒い七分丈のパンツ、黒髪はポニーテールにまとめているが耳から下の部分はきれいに刈り上げられていた。ゴミの収集に使われる大きなポリボックスとメタリックに光るパイプを持って登場。まずはパイプをびゅんびゅんと振り回す、予行練習だ。そしてポリボックスを力任せに叩き続ける。ピアノはショパンの「英雄ポロネーズ」を奏でている。しかし、川村の力量から見れば数発ひっぱたけば脆くも壊れそうに感じられるポリボックスが、意外にも頑丈でなかなか壊れなかった。観客はダンサーと間近かなので、振り回しているパイプや破壊されたポリボックスの破片が、間違って飛んでこないか、と身の危険を感じながらパフォーマンスを観た。この何が起るか分らないスリリングなダンスが川村の持ち味のようだ。
およそ100年前にはダンサーたちは、『釣り人』にせよ『スカラ座のまり使い』せよその「芸」を見せていた。1960年代に入ってか創られた『体』を除けば、『恐怖の踊り』もダンサーの「芸」によって見せようとしている。一方、100年後のダンサーは川村美紀子に代表されるように、踊ることによって自身の未知の部分を突き詰めたり、ダンスを踊ることによって生まれる観客との交流によって何かを掴もうとしているかのようだった。当然のことながら100年の時節を経て、ダンサーの意識は大きく変わってきているのである。
(2015年3月7日 新国立劇場 中劇場PLAYHOUSE、black A)

tokyo1504i03.jpg 川村美紀子 ©小林利那 tokyo1504i04.jpg 川村美紀子 ©小林利那