ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2015.03.10]
♪バレエ昔も今も♪BALLET OLD AND NEW♪
もうお読みいただいたかもしれないが、今月の情報欄にパリ・オペラ座ステファン・リスナー総監督の三光氏によるインタビューが掲載されている。
このインタビューの中でオペラ座の新しいバレエ部門の監督を選ぶにあたって、8人の候補者の中からミルピエ監督を選んだことをその理由とともに語っている。そしてミルピエ監督の体制が動き出して、ウイリアム・フォーサイスをレジデンスの振付家とし、振付を学ぶためのアカデミーを創設する。またアンナ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルも招聘して種々協力してもらっているそうだ。特に広報されているわけではないが、側聞するところによると、ダンサーの構成についても話題となっているという。
そうして考えてみると、英国ロイヤル・バレエ団では、一時、英国人のプリンシパルがいなくなるのではないか、と話題になったほど自国人の主要ダンサーが少ない。ABTのダンサーが多国籍の構成であることもよく知られている。ニューヨーク・シティ・バレエ団は早くから黒人のプリンシパルが活躍したし、いち早く堀内元がプリンシパルになった。ボリショイ・バレエ団ですら、アメリカ人のデイヴィッド・ホールバーグをプリンシパルに抜擢した。するとメジャーのバレエ団の中では、フランスのパリ・オペラ座バレエ団とロシアのマリインスキー・バレエ団のダンサー構成だけが、国際化していないことになる。ただ、ロシアは多民族国家だし、ヌレエフ、ルジマートフなどのダンサーもプリンシパルとして活躍していたので、あまり際立たないが。それはもちろん、バレエ教育の問題とも結びついていることなのだが、現実社会のグローバルな趨勢からは、少々かけ離れていると見えなくもない。今後はこうした点もミルピエ監督の下では変化が生じてくるのかも知れない。果たしてパリ・オペラ座バレエ団のダンサーが多国籍で構成される日がくるのだろうか?

小野絢子とムンタギロフ、米沢唯と福岡雄大の2組の踊りを楽しんだ、新国立劇場『ラ・バヤデール』

新国立劇場バレエ団
『ラ・バヤデール』牧阿佐美:演出・改訂振付、マリウス・プティパ:振付

新国立劇場バレエ団の『ラ・バヤデール』は、2000年11月に当時の芸術監督牧阿佐美が演出・改訂振付けている。プティパの振付に基づきミンクスの音楽をランチベリーが編曲したものを使用している。(初演では舞台美術・衣裳・照明はアリスティア・リヴィングストンだが、なぜか今回のプログラムにはクレジットされていない)

tokyo1503a_0112.jpg ニキヤ/小野絢子、ソロル/ワディム・ムンタギロフ
撮影/瀬戸秀美(すべて)

初日(2月17日)は、小野絢子のニキヤ、米沢唯のガムザッティ、ワディム・ムンタギロフのソロルというキャストだった。冒頭、ムンタギロフのソロルのヴァリエーションが踊られた。ムンタギロフは絵に描いたようなプリンス役ダンサーとして期待されている。立ち姿も美しいし、表現も細やかで申し分ないのだが、今回の舞台を観た限りではもう一つ秘めた生命の活力が胸に響いてこなかった。同じように典型的なプリンス役だったかつてのマラーホフは、言葉にならない秘めた想いを、いつも抱えていて、それをなんとか身体で表そうとしていたと思う。
小野絢子のニキヤは、柔らかさにさらに妖婉さも加わって魅力的だった。ムンタギロフのパートナーとしても似つかわしい。ソフィスティケートされた良いパートナーシップも感じられた。ただ、米沢唯のガムザッティとは、もっと激しくライバル心を燃やして火花を散らすところが観たかったようにも思う。近寄りがたいくらいのオーラを放って、もっと赤裸々な気持ちがぶつかり合うシーンを期待したが、二人とも自分の役に集中していたためか少々おとなしく感じられた。ラジャーももっと厳しくニキヤを断罪して、演劇的にも盛り上げてもらいたかった。
牧阿佐美版は群舞の見せ方などが巧みで、踊りによる物語の展開も洗練された構成になっている。そうするとどうしても演じるダンサーの表現によって、形はきちんと整って見えるのだが、ドラマチックな表現が少し弱く感じられてしまうのだと思う。
最終幕は、寺院崩壊まで描いた壮大な悲劇だが、ソロルの癒し難い苦悩は死によって救われたかのように見えた。セルゲイ・ヴィハレフが復元した原典版の寺院崩壊は、世界の終末であり、神が顕現するシーンとなっていると思われる。それが第4幕まで描いた意味であって、そうでなければ第3幕で(人間界の)物語は完結している。最終幕は主人公の救済とはまた別次元のものとして描かれているのだろうと思う。壺の踊りと終幕の第一ヴアリエーションを踊った寺田亜沙子が活き活きとしていて良かった。

tokyo1503a_0069.jpg ニキヤ/小野絢子 tokyo1503a_0276.jpg tokyo1503a_1498.jpg ニキヤ/米沢唯
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福岡雄大のソロル、米沢唯のニキヤ、長田佳世のガムザッティでも観た(22日)。米沢は今回の公演で、戦士ソロルの恋に命を掛ける舞姫の役と、領主の気ぐらいの高い娘ガムザッティを演じ分けて好演している。また、ニキヤは開幕から大僧正の邪恋に迫られ、それを拒否してソロルとの秘密の逢瀬を楽しんむという両面を演じるシーンがある。身体的表現は、拒絶と愛する喜びをしっかりと表していたが、表情は少し弱かったように見えた。花籠の踊りでも身体はよく動いているのだが、表情の変化がやや少なく見えてしまった。曲調ははっきり変わっているのだから、もう少し思い切って変えてみても良いのではないだろうか。米沢は優れた身体性を持ち才能を秘めた未完の大器だけに、どうしても大きな飛躍を期待してしまう。
福岡雄大は堂々とソロルを踊った。動きのラインはダイナミックで心地良かった。
『ラ・バヤデール』は、登場人物の入場行進が多いバレエである。それがひとつのショーとなっているのだが、グリゴローヴィチなどはその点をよく承知していて、行進のリズムにも変化をつけて見せる。また、近年の多くのヴァージョンでは、戦いの踊りなどのデヴェルティスマンは削除する傾向にある。恐らくインドとアフリカの文化を混同しているように感じさせるためかも知れない。しかし、そうすると後半の男性的な踊りが、ソロルのヴァリエーションくらいになってしまうので、この物語の世界としてはバランスを欠く、という気がする。物語展開には関係なく見えるのだが、その世界を構成しているファクターという点では無視できない、と思う。
(2015年2月17日、22日 新国立劇場 オペラパレス)

tokyo1503a_1288.jpg ニキヤ/米沢唯、ソロル/福岡雄大 tokyo1503a_1590.jpg tokyo1503a_1588.jpg ソロル/福岡雄大
tokyo1503a_0161.jpg ニキヤ/小野絢子、ガムザッティ/米沢唯 tokyo1503a_0249.jpg ガムザッテイ/米沢唯、ソロル/ワディム・ムンタギロフ
tokyo1503a_0401.jpg tokyo1503a_1430.jpg ガムザッティ/長田佳世、ソロル/福岡雄大
撮影/瀬戸秀美(すべて)