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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2014.11.10]

首藤康之が中心となって上演した、意欲的な舞踊的表現によるドラマ『出口なし』『ジキル&ハイド』

「DEDICATED 2014 OTHERS」 KAAT
Huis clos『出口なし』白井晃:構成・演出、首藤康之、中村恩恵、りょう:出演
Jekyll & Hyde『ジキル&ハイド』小野寺修二:構成・演出、首藤康之:出演

首藤康之が中心となって開催する「DEDICATED」公演。3回目の今年は「DEDICATED 2014 OTHERS」として、他者(OTHERS)をテーマに『 ジキル &ハイド』と『出口なし』が上演された。

tokyo1411e_01.jpg 「ジキル&ハイド」撮影/大河内禎

『ジキル &ハイド』は小野寺修二の構成・演出で、首藤康之のソロ。上手奥に小さな瓶が置かれ、天から水滴が一滴ずつゆっくりと滴っている。長方形のデスクにコップや水、試験管やビーカー薬ビンなどが置かれた前で、白衣の首藤が水を一杯飲んでドラマは始まった。水を飲む。命を、実感する時でもある。突然、ドアを激しく叩く音が立て続けに鳴る。自分だけの世界に没入していた彼は、「他者」の存在に衝撃を受ける。すると今までデスクの上で自在に動かしていたコップたちがデスク上に固定した。そして彼の世界には大きな鏡が現れる。彼は、鏡に映っているのが自分なのか、自分自身が自分なのか、自問自答する。答えは得られなかったが、踊っている自分が自分。鏡の自分も自分だから、踊っている自分が自分なのだ、とやがて気付く。終盤は、天から吊した大きな鏡との激しいデュエットとなり、圧巻だった。鏡のフレームの中を出たり入ったりして、存在の姿を踊ったりする。また、オペラのアリアを流しながら、真っ赤なソファと縦横に踊るなど、ダンサーとしての首藤と、キャラクテールとしての首藤の魅力が充分に現れた舞台だった。それにしてもこうした抽象的なテーマを、身体を使って自在に表現する力量はたいしたものだと思った。

tokyo1411e_02.jpg 「ジキル&ハイド」撮影/大河内禎 tokyo1411e_03.jpg 「ジキル&ハイド」撮影/大河内禎

『出口なし』はサルトルの戯曲を白井晃が再構成して、舞踊的舞台を作った。サルトルの戯曲は、ごく日常的な卑俗な会話を交わしながら、根源的な問題の周縁をめぐるたいへん興味深いものだった。
白井の演出による舞台は、原作に登場するボーイを省きイネス、エステル、ガルサンのドラマとしていた。イネスがりょう、エステルが中村恩恵、ガルサンを首藤が演じるというキャストも当を得ていたし、それぞれが熱演だった。ここで演じられた内容は簡単に言うと、徴兵を拒否して銃殺された政治学者と痴話騒動のうちに男を殺した同性愛者の女、金持ちの歳上妻で若い男と浮気した後、我が子を殺したらしい女、その3人が、死後の世界で、一室に閉じ込められて、なぜここにいるのかを論じ、男と女友だち、女同士が擬似的な愛を演じるというもの。男一人、女2人の登場人物のうち女の一人が同性愛者であることにより、愛し合う存在である人間の恋愛が客観的に見えてくる。こうしたドラマを舞踊表現と台詞のバランスをとりながら作る、という高度な試みである。

tokyo1411e_04.jpg 「出口なし」撮影/大河内禎

装置は非常に良く整えられている。正面に両開きのドアのある白っぽい壁に囲まれた殺風景な一室に、鏡も窓もなく3種類の椅子があるだけ。三方の壁の下にはフットライトが設けられ、上手に蛍光灯が一本なにを照らすでもなく光っている。天からはやはり棒状に蛍光灯が十数本、碁盤の目状に吊り下げられて鈍い光を放っている。これらの蛍光灯は場面に応じて上下し、時折、演者の上にある灯だけが点灯したりする。蛍光灯の青白い光りとフットライトだけの照明で、くっきりとした影を消し、死者という存在を表わしているようにも感じられた。蛍光灯の接触不良によるジリジリという音が不連続で聞こえてきて、奇妙な現実感を醸す。そう言えば多くの照明がLED化している近年は聞かなくなった音だ。また、一度ドアが開いて、外からの光りが差し込むシーンがあるが、もちろん、希望の光りとは見えず、なにやらジーンという外界の音が低く聞こえてくる。この音が何ともいえず説得力があり、演出の細やかな配慮が効果を挙げていた。3人がそれぞれの過去を語り、前世の罪状を吐露するのだが、ここでは最早贖罪のために何かをなすことはできない。にもかかわらず、ここから脱出したい、というエネルギーは残存しているかのように、愛をめぐる諍いが起きる。その果てに中村扮する歳上妻がいきなりピストルを取り出して、りょう扮する同性愛者を撃つ。しかし、むろん弾丸を浴びても誰にも死は来ない、というところがクライマックス。死は人間の最後の自由であり、死がない、ということは、エンドマークがないのだから、時空のいずれからも脱出は不可能だ。つまり、出口なし、である。人間は死によって存在は可能となっているのだ。サルトルの人間の存在をアイロニカルに捉え、その根元へと迫っていく深い洞察力に満ちたドラマである。
首藤は、ベジャールの『3人のソナタ』に触発をうけ、この作品を取り上げたという。そういえば、『ジキル&ハイド』にもベジャールの『ペトルーシュカ』を思い起こさせるところがあった。ベジャール自身は既に逝ってしまったが、首藤に刻印されたベジャールはますます深まっているかに見える。じつに素晴らしいことである。

tokyo1411e_05.jpg 「出口なし」撮影/大河内禎 tokyo1411e_06.jpg 「出口なし」撮影/大河内禎
tokyo1411e_07.jpg 「出口なし」撮影/大河内禎