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佐々木 三重子 text by Mieko Sasaki 
[2013.01.10]

日本舞踊家がチャレンジ精神を発揮したオーケストラによる洋舞の日舞化

東京文化会館〈日本舞踊×オーケストラ ―伝統の競演―〉
『レ・シルフィード』『ロミオとジュリエット』『ペトルーシュカ』『牧神の午後』『ボレロ』花柳壽輔、井上八千代、野村萬斎ほか。大井剛史指揮、東京フィルハーモニー交響楽団

日本舞踊家がオーケストラの演奏するクラシック音楽にのせて、自分たちが振付けた日舞を踊る。このような西洋と東洋の異なる伝統芸術の競演は極めて異例だろう。しかも、選ばれた五つの演目は著名な振付家によりバレエ化されている名作ばかり。その上、花柳流・花柳壽輔や、京舞井上流・井上八千代、吾妻流・吾妻徳彌といった名門の家元が流派を超えて参加し、狂言師・野村萬斎との共演もあるという。全体の演出は、俳優としても活躍する壽輔。演奏はバレエ音楽の経験豊かな東フィルで、指揮は大井剛史。美術にも個性派をそろえている。
東京文化会館の主催だからこそ実現できた贅沢な企画だろう。はたして、原典としてのバレエの名作にどう寄り添うのか、または切り込むのか、注目された。日本舞踊に関しては門外漢なのだが、バレエを見続けてきた者が感じたことを以下に書かせていただいた。

藤蔭静枝の振付による『レ・シルフィード』(音楽・ショパン)は、詩人役の男性は登場しないが、おおむねフォーキンの原典に準拠したもの。ソリストの吾妻徳彌ら白い着物の踊り手たちは、跳躍こそしないものの、蝶の羽のように袂を振り、裾裁きも軽やかに滑るように舞った。群舞のフォメーションは工夫されていたが、西洋の横書きのものを素直に縦書きにしたような印象を受けた。
坂東勝友の振付による『ロミオとジュリエット』(音楽・プロコフィエフ)よりの“バルコニー・シーン”は、朝倉摂がデザインした満開の桜を背景に、若い恋人たちの昼下がりの逢瀬を歌舞伎調で描いたもの。緋色の振袖姿の尾上紫の艶やかなジュリエットと、袴姿の花柳典幸の粋なロミオは、言葉を交わすような絶妙の間合いで、雅な王朝の雰囲気を現前させた。総じて耽美的な舞台で、特に尾上の衣裳の豪華さには目を奪われた。ただ、プロコフィエフの音楽には、どこかそぐわない気がした。

tokyo1301i_01.jpg 『レ・シルフィード』
(c)青柳聡 写真提供:東京文化会館
tokyo1301i_02.jpg 『ロミオとジュリエット』
(c)青柳聡 写真提供:東京文化会館

『ペトルーシュカ』(音楽・ストラヴィンスキー)は、振付の五條珠實が、フォーキンのオリジナルを下敷きにしながら、独自の解釈を加えて斬新な作品に仕上げていた。人形芝居の小屋が舞台だが、謝肉祭の喧騒は省かれ、登場するのは人形遣いの花柳輔蔵と三体の人形たち、即ちペトルーシュカの若柳里次朗と、バレリーナの花柳大日翠、ムーア人の花柳寿太一郎。奇怪な衣裳とメイク(隈取?)で人形たちを意のままに操る人形遣いのおぞましい存在が強調され、彼にもてあそばれ、バレリーナには振られたペトルーシュカの愛憎や悲哀、憤怒が増幅された。上りかけた縄梯子の途中で、ペトルーシュカの遺体を見下ろす人形遣いが突然上体を崩してぶら下がる幕切れは、ペトルーシュカの怨念か、意味深長だ。ともあれ、バレエと文楽の人形振りを織り交ぜたような人形たちの踊りはユニークで、人形小屋を回転させて場面転換を図る金子國義の装置も効果的だった。
『牧神の午後』(音楽・ドビュッシー)は、花柳壽輔と井上八千代が協同で振付を行い、共演した。美術の千住博による、象徴的ともいえる雄大な白い滝の流れをバックに、岩ならぬ四角い台に物憂げに座る牧神の壽輔と、楚々と登場したニンフの八千代によるやりとりには、ニジンスキーの独特な振りの援用も見られた。ただ、大御所の二人に備わった風格のせいもあるだろう、牧神が水浴びに来たニンフに欲望をそそられるという原作の生々しさは後退し、水浴びする天女に魅せられた男を描いた『羽衣』に近いものを感じた。

tokyo1301i_03.jpg 『ペトルーシュカ』
(c)青柳聡 写真提供:東京文化会館
tokyo1301i_04.jpg 『牧神の午後』
(c)青柳聡 写真提供:東京文化会館

野村萬斎と花柳輔太朗の振付による『ボレロ』(音楽・ラヴェル)は、萬斎の独舞と40人の男性舞踊家による群舞で、決定版とされるベジャール版に真っ向から勝負を挑んだような意欲作。方形の卓の上に乗った白い狩衣に緋色の大口袴をはいた萬斎と、黒の紋付き袴という群舞の男性陣とのコントラストが鮮やか。ベジャール版では円卓上のソリストの踊りで始まり、ややあって群舞のダンサーが一人、二人と踊りに加わるのに対して、ここではグループ分けされた男性群舞が、最初から舞台をなだれ込むように移動するのが壮観で、バレエの躍動感とは異なるエネルギーに圧倒された。対照的に、不動の静(死)から復活を経て再生に向かう流れに加えて、一日、一年、一生をも凝縮したという萬斎の削ぎ落とされた所作は、全てを司るように威厳に満ちていた。音楽の高揚とともに背後の月が徐々に昇り、垂直の幕が暁色に染まり、萬斎が卓上から背後に飛び降りて姿を消すクライマックスまで、群舞ともども、息詰まる展開だった。日舞の伝統や様式を踏まえながら、ラヴェルの音楽に見事に拮抗していた。
以上、五作品それぞれに振付家や舞踊家の挑戦意欲が感じられたが、皆、名作バレエの日本舞踊版として構想されたもの。だが、バレエ化されたものをはずし、純粋に日本舞踊にしたい音楽を選んで白紙の状態から創作したなら、どのような作品が生まれただろうか。そちらも見てみたかった。なお、この日の東フィルの演奏は、ステージ上の舞踊に遠慮したわけではないだろうに、ニュアンスに乏しく、心もとなく響いた。この企画では、日本舞踊とオーケストラの演奏による相乗効果が期待されていたと思うだけに、残念でならない。
(2012年12月7日 東京文化会館)

tokyo1301i_05.jpg 『ボレロ』(c)青柳聡 写真提供:東京文化会館 tokyo1301i_06.jpg 『ボレロ』(c)青柳聡 写真提供:東京文化会館