ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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浦野 芳子 text by Yoshiko Urano  
[2012.08.10]

死を迎える準備、とは、とことん生ききること、黒田育世の新作

ふじのくに⇄せかい演劇祭2012
黒田育世 構成・演出・振付『おたる鳥をよぶ準備』

疾走し続けるダンサーたちが、跳ぶ、叫ぶ、倒れる。
舞台を無邪気に転がるボール、遠慮なく舞い上がる羽、勢いよく放水するゴムホース。
いつもながらにエネルギー全開、身体も心も切ないほどにギリギリまで使い切る黒田育世の世界が、今回は野外劇場と言う場を得てさらにその翼を広げてヒートアップ。
なぜ、それほどまでに自分たちを追いつめるのか。
なぜ、それほどまでに極限の自分をさらけ出してしまえるのか。
なぜ、それほどまでに放出することのできる熱を持っているのか。
空っぽになるまでエネルギーを絞り出さんばかりに踊り続けるダンサーたちを見て、そう思わずにいられなかった。
踊りとは、身体あってのものだ。だからダンサーたちはトレーニングする。けれども、BATIKの表現には先に身体を突き動かす魂の底力が要る。それは踊ること、を人生の中で選んだ彼女たちの、まっすぐな魂の力だ。そして、この作品は、“生ききる”ということはどういうことか、を追求して生まれた作品なのだ。
そう感じた3時間弱だった。

tokyo1208h01.jpg Photo/SPAC

『おたる鳥をよぶ準備』は、SPAC-静岡県舞台芸術センター主催「ふじのくに⇄せかい演劇祭2012」で上演された黒田育世の新作。舞台となったのは、日本平の緑の中に造られた舞台芸術公園の野外劇場、「有度」。公演の行われた6月30日と7月1日は梅雨の真っただ中、濃く茂りはじめたお茶の木の緑が、目に痛いくらい眩しかった。
開場し、舞台を見下ろす階段状になった客席に観客が腰かけはじめたそのときから、舞台上を(ちょっとレトロで懐かしいデザインの)水色のスカート付きレオタード姿のダンサーが駆け回っている。
「あなたの願い、かなえてあげましょう!」
「私、ダンサーになるの―」
そう叫びながら、バレエのジャンプやピルエットを、大げさに、そして少しコミカルに。ちょっとだけ、少女マンガの1シーンのようにも見えるのは、夢多き少女時代へのオマージュとも受け止められる。
やがて、メンバーが登場しめくるめく物語がスタートする。世界地図を貼ったパネルの周囲をぐるぐると駆け回り続けたかと思うと、冒頭にも述べたようにボールや紙片、羽、ついには勢いよく水が、踊りながらばら撒かれる。手足をちぎれんばかりに伸ばし振り上げ、力の限りに発声するのはBATIKらしい表現だが今回は“野外”という環境を得てますます、勢いづいている感じがする。ばら撒いたモノも声もエネルギーも、遮る壁が無いものだから遠慮なく四方八方に舞い上がる。そしてその勢いは、空にも負けていない。むしろ、野外と言う舞台を得てやっと、遠慮なく自分たちの全力を放出していいのね!!という歓喜に溢れている、といった風だ。
BATIKに屋根も壁も、今は必要ないのだ。
夜空にこだましながらにじんで広がっていくそのエネルギーを感じて、そう思った。
おたる鳥、とは、“おたる”が“踊る”の語源であるということを、耳にしたことがきっかけとなり黒田が創りだした造語だそうだ。身体が満ち足りて踊りはじめることを“おたる”といい、それが“踊る”になったという話から、おたるが鳥になって、いつの日か自分の身体をついばみ、行ったこともない遠い世界まで飛んで行ってそこに新たな命の種を撒く、そんなイメージを夢見たのだそうだ。作品製作中に話を伺った時には、それは死を迎える準備、なのだとも話してくれた。
ところが、作品全体を貫くものは、一般的に思い浮かべがちな死のイメージとは程遠い。
死の“影”や“不安”といったものはかけらも感じられない。
むしろそこに描かれているものは、ありったけの、精いっぱいの、躍動する命とエネルギー、ひたむきな意思、そして、むき出しの野性、そういうものである。笑い、泣き、傷つき、怒り…そうしたことをめまぐるしい踊りの中で“全開で”表現しているのだ。
そうか。死を迎える準備、とは、とことん生ききることなのだ。
そう、すとんと腑に落ちた。
黒田育世、そしてBATIKはダンサーの集団である。
カラダを使って生きるのがダンサーならば、それを使い切って表現してみよう。死を迎えることは生ききること、それが、満ち足りて踊りはじめる=おたる鳥を呼ぶ、準備。そう思ったら、涙が止まらなくなった。
BATIKのメンバーには子供のころからバレエの教育を受けているダンサーも多い。が、BATIKの表現はバレエのような身体美、様式美を追求したものではない。脚は高く上がるし迫力のあるジャンプも繰り出す。だがあえて、その動きはバレエのような完成されたポジションを崩そうとするものだ。それよりも、振り上げた脚、跳びあがった地面からの距離から、どれだけエネルギーを見せることができるか、踊るというスキルを持った身体が放出できるエネルギーの限界に挑戦している、そんな風にも見える。
終盤に、「私、ダンサーになるの!」「私も!!」とふたりが肩を抱き合い、それぞれに踊りはじめるシーンがある。
ひとりは、バレエのような振付を踊り、倒れ込む。倒れ込んだ彼女に次々とまたがる人々は、自らを時代と観客に捧げる道を選ぶという形でダンサーをまっとうした彼女の生き方だ。
もうひとりは、顔を真っ赤にし地面を踏み鳴らし、不思議な動きを続けている。周りの望む姿を生きるのではなく、真摯に自らに向かうことも、表現だ。周りからしてみたら奇妙にしか映らないかもしれないその生き方も、ダンサーとしての強い在り方である。
対照的なふたりの“ダンサー像”が、しつこいほどに何回も何回も、リピートされる。中には嫌悪感を抱く人も、あるかも知れない。けれども眼前に繰り返し現れるこのシーンを見ていると、深い思考の渦の中に引きこまれずにはいられなかった。すなわち、自分ならどう生ききるのだろうか、生きたいのだろうか、という問いかけの世界に。
感じるポイント、感じ取るメッセージは、人それぞれだ。心にヒットするものが無ければ意味すらわからないこともある。
それでも黒田ワールドが多くの人を惹きつけるのには、そこに頭や理性では割り切れない、けれども確かなもの、魂の作用があるからだ。身体の奥にじっ…とくすぶり続けている炎のようなものを持つ人なら、黒田の世界に触れたらたちまち、その火がめらめらと大きくなってしまうのではないだろうか。
大人になり、なんとか“まともな人”を演じようとするあまり、狭い枠の中に押し込めてきた自分の中の野性が、そろそろ深呼吸させて頂戴よ、と内側からドアをたたき始めた。
さて、この作品、秋からは劇場での上演が予定されている。
天井と壁に出会いこのエネルギーはどう変容するのか…いろいろな意味で楽しみ。見逃すわけにはいかないと、今からわくわくするのである!!
(2012年6月30日・7月1日 SPAC-静岡県舞台芸術センター野外劇場“有度” )

tokyo1208h02.jpg PHOTO:石川 純 tokyo1208h03.jpg PHOTO:石川 純
tokyo1208h04.jpg PHOTO:石川 純 tokyo1208h05.jpg PHOTO:石川 純

今後のツアー予定
・伊丹公演 10月28日14:00 アイホール(伊丹市立演劇ホール
・愛知公演 10月31日、11月1日18:30 愛知県芸術劇場小ホール
・東京公演 11月15~19日 世田谷パブリックシアター