ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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浦野 芳子 text by Yoshiko Urano 
[2012.05.10]

さまざまな時間の物語が身体の表情で切り拓かれた勅使川原三郎の世界

構成・演出・照明:勅使川原三郎『オルガンー呼吸する物理学ー』
KARAS

印象的な始まりだった。
暗闇の中にぱっ、と光が降りると、4人の男女(時折誰かが欠けていることもある)の織りなす静止風景が、絵画のように灯りの中に浮かび上がる。身体が描く曲線と直線、変化を続ける女、重力と拮抗しつつ不動の男。それは突然現れる記憶の断片のようであり、また人間関係の一瞬の表情の様にも見える。そして何度か繰り返しその静止風景を見せられるうちに、良くも悪くも人間の身体の“存在感”を、否応なしに思い知らされる。ただそこに在るだけで、身体というものはとてつもない質量で何かを語ろうとしているのだ。
その圧倒的な静止画の後に、5人の男女による、全身を鞭のように使ってのまるで空気を切りまわすような動きが繰り広げられる。先ほどの世界感とは実に対照的。身体の隅々までがらせんを描くようにして細かく素早くしかし曲線的に運動し続ける、それはメビウスの輪のように永遠に続くかのように見える動きでありながら、質量は持たない。まるで、伸び縮みする空気のようなのだ。サイエンスの知識は全くないのだが、もしも素粒子の動きを見ることができたなら、こんな感じなのだろうか、と、ふと思った。舞踊家ひとりひとりの身体の緻密な動きが、粒子とか細胞とか、そんな極めて原初的なものの細動のように思えたからだ。

誰かを待つ女、平行線をたどる男と女、さまざまな時間の物語が、身体の表情で切り取られていく。使われる音楽もノイズのようなものから70年代フレンチポップス、勅使川原自身が弾くオルガンまで、幅広い。ウェーバーの『舞踏への勧誘』では、ソファでうつらうつらする女の夢の中で、勅使川原とジイフが、全く異なる質感の身体を出現させた。そう、薔薇の精、さながらに。しかしその動きは薔薇の精のような超人的な存在感はおろか、ウェーバーのこの華やかな音楽ともちぐはぐに見える。そこで眠っている女性…いや観客である私たちは、この音の中にどちらの質感を見ているのだろうか…。華やかな舞踏会を連想させるものとはあまりにかけ離れているその風景を見て、自分に与えられた現実を生きるということは所詮、このようなことなのかも知れない、などと思う。
身体が描き出す風景の変化を味わううち、あっという間に過ぎた、2時間弱だった。そうか、舞踊とは、身体で空間や空気を描き出すことなのだ。テクニックばかりに走る舞踊には描ききれない、膨らみ続ける物語がそこにある。
中でも、佐東利穂子の動きは、神経のシナプスがこれ以上にないほど細かく連携した動き、とでも譬えたらよいだろうか。滑らかでありながら力強く、音楽と溶け合いながら空気をゴムのように伸び縮みさせる。その身体が舞台と言う空気を吸うと、別の新たな生命体がその中でうごめき始めるかのようだ。
もちろん、勅使川原三郎の、滑るようでありながら独特の引力を発揮する身体の使い方も、健在である。

『オルガンー呼吸する物理学ー』このタイトルの意味するところは、観客ひとりひとりに委ねられている。
舞踊家としての人生をすべてそこに凝縮させたうえで、新たな表現に挑もうと観客の前に立ち現れる彼らの身体は、ひとつの装置である。彼らの身体に接した人々の想像力に働きかけるための、装置なのである。
身体が発する“無言の物語”を想像の中で翻訳しながら、そんなことを思った。
(2012年4月12日 シアターX)

tokyo1205e01.jpg(c) A・I Aya Sakaguchi