ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2012.04.10]

大胆な身体表現によって愛の孤独を描いた『アンナ・カレーニナ』

ボリス・エイフマン振付『アンナ・カレーニナ』
新国立劇場バレエ団

トルストイの長編小説『アンナ・カレーニナ』を題材としたバレエは、マイヤ・プリセツカヤがナタリア・ルイジェンコ、ヴィクトル・スミルノフとともに夫君のシェチェドリンの曲により、1972年に振付けた全3幕のものと、アンドレ・プロコフスキーが1979年にオーストラリア・バレエ団にチャイコフスキーの音楽を使って振付けたやはり全3幕の舞台がある。さらにプリセツカヤ版に影響を受けたアレクセイ・ラトマンスキーもシェチェドリンの音楽によりこの小説を原作とするバレエを振付けている。

tokyo1204d01.jpg 撮影:鹿摩隆司

エイフマンの『アンア・カレーニナ』は2幕構成で、チャイコフスキーの音楽により、トルストイの原作小説からアンナとカレーニンとヴロンスキーの三角関係の部分を切りとっている。
冒頭は円形のレールを走る機関車の模型と遊ぶ子供とアンナのシーン。主人公の女性の人生を占める重要な側面を象徴している。そして夫カレーニンとアンナのベッドシーンでは、夫と調和できないアンナの愛の孤独が表される。
プリセツカヤの作品では、アンナに扮したプリセツカヤ自身のソロにより、夫に代表される社会から遊離していく行方の知れない貴婦人の愛の孤独を表現していた。あのプリセツカヤ扮するアンナに湧き上がった情感と比べると、エイフマンのアンナの抱える情感はフィジカルな実感的表現であり、いささかローブローに私には感じられた。
そしてアンナはヴロンスキーと出会い、やがて地獄の落ちていくことになる。確かにトルストイの原作小説に登場する事象は、コール・ドによって描かれる舞踏会のシーンや貴族の女性たちなどのアンナをとりまく社会、行き違うヴロンスキーとアンナの関係などが大胆な身体使いによってダンスとして表現されている。しかし、プリセツカヤのアンナにはそうした事象の背景に、男性が支配構成する硬直した社会に対する鋭い批判が常に流れていた。ところがエイフマンのアンナは自ら崩壊していくのであって、そこには人生の失敗といったもののみが私には感じられた。
エイフマンはこの作品は心理劇だ、というが、原作小説は登場人物の心理が発生してくる背景のすべてを捉えた高度な文章で描かれている。この完璧と思われる小説の全体の重層的な構成から、この3角関係の部分だけを取り出すことがどういう意味をもつのか、いささかの疑問を持たざるを得ない。実際、登場人物の心理だけ取り出してドラマとして描くことは不可能ではないか、と思われ、「原作の文学性は確かに舞台に息づいている」とは私には到底思えないのである。
この作品はエイフマンの三角関係を描いたモダンダンスであって、登場する人物の名前は同じであってもトルストイの文学とはほとんど関係ない世界が描かれている、と言っても過言ではないにのではないか。むしろエイフマンには、オリジナル作品として制作して欲しかった。
エイフマンのオリジナルなモダンダンスとしてみれば、やはりダンサーの身体能力は際立って優れているし、思い切った身体表現があり、それなりに見応えのある作品だった。ただ、ダンサーはアーティストであってアスリートではない、と言うことも一考の余地があるのではないだろうか。
(2012年3月18日 新国立劇場 中劇場)

tokyo1204d02.jpg 撮影:鹿摩隆司 tokyo1204d03.jpg 撮影:鹿摩隆司