ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2010.10.12]
対中国の外交問題、政治とカネ、検事の証拠改竄など国の根幹に関わる概ね悪いニュースが乱舞している。小人には直接的な関わりはないが、行く末を案じて、思わず、メフィストフェレスを呼び出す誘惑に駆られそうになる。まして小といえども権力を保持している”大人”は悲喜こもごも、中には既に相談していて小さなヴァイオリンを売ってしまったのではないか? ともみえる動きも表れている。あるいはまた、十年一日、同じ手法で同じことを繰り返して恥じない人は、辟易としている周囲の感覚がまったくみえなくなっているのに気付かない。鉄のお面が顔に張り付いているのである。悲しいのは舞踊界、舞踊学界にもまた、まったく同じ相似形の構図が見られることである。

シェルカウイ、首藤、ジュルドが描いた際どい生と死の詩的情趣

SIDI LARBI CHERKAOUI "APOCRIFU " Sidi Larbi Cherkaoui, Dimitri Jourde & Yasuyuki Shuto
シディ・ラルビ・シェルカウイ演出・振付『アポクリフ』:シディ・ラルビ・シェルカウイ、ディミトリ・ジュルド、首藤康之
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シディ・ラルビ・シェルカウイは、モロッコ人の父とベルギー人の母の下にアントワープで生まれた。ベルギーを代表するコンテンポラリー・ダンスの振付家、アラン・プラテル率いるル・バレエ・C・ド・ラ・Bの『バッハと憂き世』に出演。後に振付作品も手掛けた。2005年にバングラディッシュ系のイギリス人舞踊家、アクラム・カーンとコラボレーションした『ゼロ度』で、イスラム的な感覚を漂わせたコンテンポラリー・ダンスを踊って注目を集めた。
『アポクリフ』は、シディ・ラルビ・シェルカウイがブリュッセルの王立モネ劇場からの依頼を受けて、首藤康之、ディミトリ・ジュルドが創作の初期段階から積極的に参加し、2007年に初演した。その後、ヨーロッパ各地をツアーして大きな反響を呼んだ作品である。

舞台下手に天国あるいは処刑台に通じるかのような、大きな階段が据えられ、上手後方には二階建て部屋の断面。一階の奥には様々の本が堆く積み上げられ、シェルカウイが顔を伏せて座り、隣に彼の3分の2くらいの大きさの木製の人形が同じような格好で座っている。
首藤がコルシカ島出身の著名なのグループ、ア・フィレッタのアカペラを背後に、手首をくねらせるエスニックな雰囲気の動きで踊りながら、階段を降りてくる。足首に鈴を着けて、インドのカタック・ダンスのように、身体の動きが生むリズムが刻まれる。
本の山に囲まれていたシェルカウイが、その本を一冊ずつ床に投げ、その上に足をのせ、一歩一歩近づいてきて首藤に一冊を手渡す。
ディミトリ・ジュルドが登場し、床をはい回るようにアクロバティックなブレイク・ダンスふうの踊りを見せる。しばしアカペラと3人の足首に着けられた鈴の音ともに様々に本を使った動き。3人がそれぞれ本で頭を打ちながらタイミングをとったり、3人が舞台中央に縦に並んで、千手観音のように手をだして本を手渡したり読んだり読ませたりする所作が面白かった。本はそれぞれの民族の知の集積を象徴しているのだろうか。ジュルドに「大義」などといった漢字をボディ・ペインティングのように描いたりするシーンもあった。
シェルカウイの人形を文楽の人形遣いのように動かして、身体の様々な表情を作ってユーモラスな雰囲気も醸す。さらに3人は鋭い剣を持って激しく踊り、首藤が刺されたりする。やがてシェルカウイの人形は刺殺されるのだが、豊かな身体の表情をみせていただけに、命への悲哀が感じられた。
ラストは首藤とジュルドが階段の上に去って、シェルカウイのソロ。自分の身体を自分の手で持ち上げたり、動かす所作を繰り返す踊りの後、自身の人形を抱き上げ、階段を登りつめて彼方に転落するというエンディングだった。

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「アポクリフ」とは外典といった意味だそうだ。シェルカウイは旧約聖書から生まれた聖書とコーランの関係を、人間の最初の兄弟とされるカインとアベルの血の物語になぞらえ、排除されたものの運命について述べている。
イスラム文化の中に育ったコンテンポラリー・ダンスのシェルカウイ、クラシック・バレエをベースとしている首藤、サーカス学校に学びブレイク・ダンスを踊っていたフランス人のジュルド、というバッックグラウンドの異なった3人。シェルカウイによると、ジュルドが土と火、首藤が空気、シェルカウイ自身は水というエレメントを表しているという。そして3人が本、傀儡、剣といった人間の歴史、文化の形成に深く関わる小道具を使って、舞台にひとつの完結した世界を表す。3人が一体となり、3という数字に関わる神秘が現れる。あの木製の人形が動き出し、一人が孤独になる。そして人形とともにラストの悲劇が起った。
黒い衣裳のア・フィレッタはダーク・エンジェル、「ダンサーにまとわりつくカラスあるいは悪魔であり、特別な瞬間の憂鬱、悲哀」といったものを表しているという。
常に黄昏がかった終末の光を表す照明の中で展開する、人類に内在する宿命的な拮抗の深奥を垣間見たかのような舞台だった。シェルカウイ独特の死と生の際どい詩的情趣が、いささかブラックな表現を孕んで成果を上げた演出だった。
ヨーロッパのコンテンポラリー・ダンスは、かつて遭遇したことのない表現と向き合い、新たな展開の可能性を模索している、そんな印象も受けた。
(2010年9月4日 Bunkamura オーチャードホール)

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撮影:MITSUO
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