ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

From Tokyo <東京>: 最新の記事

From Tokyo <東京>: 月別アーカイブ

関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2009.11.10]

ライヒの音楽とともに生命のメカニズムを舞台に描いたジネット・ローラン

Ginette Laurin/O Vertigo "La Vie qui bat"
ジネット・ローラン/オー・ベルティゴ『La Vie qui bat(躍動する生命)』
tokyo0911e01.jpg

ジネット・ローラン/オー・ベルティゴの舞台を初めて観たのは、1988年のリヨン・ビエンナーレ・ド・ラ・ダンスだった。『フル・ハウス』という、今では見逃されてしまうかも知れないが、当時としては過激な動きで構成した作品だったが、ヌーヴェル・ダンスがにわかに盛んになってきいたフランスの観客に大きな衝撃を与えた。
「ダンス」といえばバレエを思い浮かべがちなフランス人にとって、ヌーヴェル・ダンスは題材も表現も広く自由奔放で、新しい表現の地平に観客を誘って注目を集めていた。奇抜な発想でエスプリをどう表現するか、を舞踊家たちは腐心していたが、オペラ、演劇、文学などの既存の芸術と同様の発想で、身体表現を音楽や美術などと組み合わせて舞台を創っていた。
ところが、ジムナスティック出身のジネット・ローランは、オー・ベルティゴのダンサーをボールルーム・ダンスや体操で鍛え、まったくフィジカルなアプローチによってダンスを創ったのである。
オー・ベルティーゴの本拠地モントリオールはフランス語圏であり、北米のパリとも言われる。フランス語を話しヨーロッパと同根の文化を背景にもつ人たちが、既存の芸術表現を無視しフィジカルな「ダンス」を創っていたということ。さらにその頃のフランスのダンサーとは、身体の可動域が異なると思えるほどの激しい動きをジムナスティック並みのスピードで展開したことに、大いに衝撃を受けたのである。それはあるいは、モダンダンスを信奉してきた舞踊家が初めてポストモダンと出会った時に受けた衝撃に似ていたかも知れない。
その後、1995年にはモントリオールのダンス・フェスティバルで、やはりジネット・ローラン振付のオー・ベルティゴの『DÉLUGE(大洪水)』を観た。ジョスリン・プークの同名の曲を使った、身体の詩を詠った舞台だった。
 

tokyo0911e02.jpg

今回上演された『La Vie qui bat(躍動する生命)』は、1999年にモントリオールで初演された。アメリカの現代音楽家スティーヴ・ライヒのミニマル・ミュージックの代表的作品『Drumming』に振付けられている。これはジネット・ローランが初めて音楽作品のために振付けた舞台。
『Drumming』はライヒが、アフリカ音楽を研究して作曲した。この曲の様々に変化しながら反復する音のパターンが描く流動的なイメージに、生命の本質を感じたローランが、そのリズムをダンサーの身体に映して構成したダンスである。
動きは全体にゆっくりとして、日常的な生活の中の何気ない様々のジェスチャーを使いながら、音楽の流れに寄り添うように展開する。舞台の3面にダンサーが自由に出入りできる薄い幕が下がり、音のパターンの反復のリズムとシンクロするように、何回も出入りを繰り返す。9人のダンサーの数限りない登場と退場の仕方のパターンの変化が、目まぐるしく続き、このダンスの印象を形作っている。
衣裳は色やデザイン的な統一感はあるが、それぞれに変化があり、赤いウィグを着けたダンサーもいた。しかし、単純だがじつに微妙に変化に富んだ動きが反復されていくうちに、いつの間にかダンサーの衣裳も変わっていた。
生命というもののメカニズムを、リズムと変化と流れによって舞台上にリクリエーションしてみせたダンスだった。
2009年版の改訂版は、この公演を始めとして、各都市のパーカッショニストのライヴによって上演される、という。東京では、クリストファー・ハーディが担当した。
(2009年10月5日 青山劇場)

(C) Dance Triennale Tokyo 2009 photo: Yohichi Tukada
※画像をクリックすると、大きな写真をご覧いただけます。