ワールドレポート ~世界のダンス最前線~

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関口 紘一 text by Koichi Sekiguchi 
[2011.06.10]
今年の舞踊界は、アーティストの来日中止や延期、変更が相次ぎ、公演会場の修復工事が行われているところもあり、さらに電力事情のために小規模公演や発表会も多くが中止となるなど、震災の様々な影響が続いている。この厳しい状況はなかなか簡単には収まりそうにない。そうした中でもチャリティ公演などによる支援の動きも活発になっているが、日本に滞在していて現実の震災を体験したデヴィッド・ビントレーが、英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の東京公演に充実したチャリティー・ナイトを実現して、震災後初めての大規模な引越公演を成功に導いたことは喜ばしいニュースだった。10年の後に、2011年の舞踊界を振り返った時、決して忘れてはならない、一夜として深く記憶に留めたい。

人物の造型がいっそう深まった熊川版『ロミオとジュリエット』の再演

熊川哲也:演出・振付『ロミオとジュリエット』
Kバレエ カンパニー
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プロコフィエフ音楽の熊川哲也版『ロミオとジュリエット』は、英国ロイヤル・バレエ団プリンシパルでKバレエ カンパニーのゲストプリンシパルでもあるロベルタ・マルケスのジュリエット、熊川哲也のロミオ、橋本直樹のマキューシオ、遅沢祐介のティボルト、松岡梨絵のロザライン、伊坂文月のベンヴォーリオ、宮尾俊太郎のパリスという、なかなか魅力的なキャストによる舞台だった。
熊川版『ロミオとジュリエット』は、2009年、Kバレエ カンパニーの10周年を記して制作されたプロダクションで、再演にあたっては若干の改訂が加えられているという。

今回の舞台は、人物像がよりいっそう鮮明に浮かび上がる演出となっていた。
モンタギュー家の子息のロミオは、激しく対立するキャピュレット家のロザラインに好意を寄せている。またモンタギュー側のマキューシオやベンヴォーリオとも友情を分ち持っている。ロミオの若い心は、両家の不毛の対立を乗り越えるものを探し求めている。そうした中でジュリエットと運命的に出会い愛し合う。しかしロミオは、ジュリエットの愛にただ浮かれていたわけではない。真実の愛にこそ、両家の対立を乗り越える希望を託すことができる、と感じていたのだ。だからロミオは、マキューシオとティボルトの諍いがまったく意味のないものに見える。その愚かな諍いが、親友の命を奪ったことに対して抑えることのできない激情に駆られ、ジュリエットの従兄弟のティボルトを殺してしまう。それは短絡的な復讐ではない。だからジュリエットはロミオを信じ愛したのである。
初演は軽いコミカルなタッチで物語を進めていたが、今回の再演では、ロミオとジュリエットのこうしたヴィヴィッドな心の動きがじつに巧みに表現されている。

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マルケスのジュリエットは、一時的に仮死状態に陥る薬をロレンス神父から渡された時には、「そんなの無理です」と一度は横を向いてしまうが、それがパリスとの結婚を免れ、ロミオと結ばれる可能性を残す唯一の道だと気づくと、直ぐにロレンスの知恵にすがる。その心の動きは完璧に身体の動きと一致していて美しく、見事だった。また初めて結婚相手としてのパリスと会うシーンでは、処女の羞じらいをただよわせながら、既にロミオと愛し合う運命を予知しているかのように、少女独特の愛の殉教者ともいうべき濃密な雰囲気を醸し出していたのには驚いた。マルケスの天賦の才と言うべきだろう。
マルケスには「ドラマティック・バレリーナ、マリシア・ハイデを彷彿とさせる」と言っている人がいたが、その人がどういったハイデの舞台を観てそう思たのか定かではないが、私には到底そうは思えない。確かに二人ともブラジル出身で小柄なダンサーという一見した印象に近いものがあるかも知れないが、クランコの『じゃじゃ馬ならし』や『オネーギン』ベジャールの『イサドラ』や『椅子』を踊ったハイデは、大胆で奔放な表現力と力強いタッチによって人物像を積極果敢に描き出した。しかし、マルケスはむしろ正確で端正な踊りによって深い情感を表す。運命を受容していく中に繊細な表現を浮かび上がらせることを得手としている。
ハイデは女優バレリーナとして揺るぎない実績を残しているが、マルケスの才能は英国流のアシュトンや熊川などの緻密な演出・振付の中では一際、輝いているが、自ら発する光によって輝くことができるかどうかは、もう少しの時間が必要であろう。
(2011年5月11日 東京文化会館大ホール)

撮影:瀬戸秀美
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