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大村真理子(在パリ・フリーエディター)Text by Mariko OMURA 
[2018.04.12]

オペラ座ダンサー・インタビュー:ヴァンサン・シャイエ

Vincent Chaillet ヴァンサン・シャイエ(プルミエ・ダンスール)
先日パリ・オペラ座で公演された『オルフェとユリディーテェ』で、革エプロンの男性3名の中の一人として、一際鋭い踊りで存在感を示したヴァンサン・シャイエ。2018〜19年のシーズンはサバティカル・イヤーをとり、オペラ座の舞台でこの期間は踊らないことを、昨年の終わりに彼は発表した。ジョジュア・オファルトやマチュー・ガニオと同世代の彼。定年までは後8年の34歳、どんな決心をしたのだろうか。どのようなエキサイティングな1年を送るのだろうか。

他所のカンパニーでソリストとして舞台に立ちたい。こう思ってサバティカル・イヤーをとる若いダンサーが、オペラ座ではここのところ少なくないようだ。フロリモン・ロリユゥは2016年9月からボストン・バレエ団で、アクセル・イボは昨年9月からバンジャマン・ミルピエのL.A .Dance Projectで踊っている。サンフランシスコ・バレエ団に踊りに行ったマチルダ・フルステは、サバティカル・イヤー後、そのまま団員となりプリンシパルとして活躍中だ。エレオノール・ゲリノーは来シーズン、チューリッヒのバレエ団で踊ることを発表した。かつてオーレリア・べレもジョゼ・マルティネーズ率いるスペイン国立バレエ・カンパニーで1年を過ごしているが、いずれもコール・ド・バレエのダンサーである。

Q:プルミエ・ダンスールが1年のサバティカル・イヤーをとるのは珍しいのではないでしょうか。

A:そうですね。そして、さらに珍しいケースといえるのは、他所のカンパニーにソリストとして踊りに行くための1年ではない、ということでしょう。

Q:では、何をするための1年ですか 。

A:オペラ座を1年間離れるのは、自分の活動範囲を多様化するためにです。オペラ座というのは素晴らしいメゾンです。でも単にダンサーというだけ、単に演者というだけではキャリアにおいて、芸術的に100パーセント満たされないと感じているんです。それで指導、振付、フェスティバルのオーガナイズやプログラム作り、若いコレグラファーのコンクール、ソロのクリエーション・・・活動範囲を広げるための、こういった小さなたくさんの計画が僕にあって・・・。オペラ座の壁の外に出て、いろいろな人に会ってみたいんですね。また、オペラ座より小さな組織、もう少しヒューマンなサイズのカンパニーを訪れてみたいとも思っています。

Q:その場合は踊りに行く、ということもありえますか。

A:そうですね、でも、その場合でもコンテンポラリー作品です。どこかで古典大作の役を踊りにというのは、ぼくの考えにはありません。

Q:9月以降、すでに具体的な予定があるのですか。

A:はい。指導ということについていえば、すでに経験のある国立ライン・オペラ座に 。ディレクターとなったブリューノ・ブーシェが過去に僕を教師として3回招待してくれています。9月以降、再び行くことになるでしょう。僕もラインと同じくフランス東部の出身者なので、このカンパニーとは少し特殊な関係が培われてるようで・・・。再び行って、団員の進歩をみるのは楽しみですね。ブリューノはラインで素晴らしい仕事をしていますよ。

Q:ブリューノ・ブーシェとは以前から親しい関係だったのですか。

A:それほど長い付き合いではありません。結局流れてしまったけれど、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの『コージ・ファン・トゥッティ』のプロジェクトの時に、彼の芸術的なヴィジョンや、オペラ座以外の広い大衆に向けてダンスを広めたい、という欲など、いろいろと二人して話をする時間がけっこうあって・・。この時にお互いに理解をし、二人の間の距離が縮まったのでしょうね。ディレクターに任命されて間もなく、パリからそう遠くないサンスという街にあるSynodales(シノダル)という団体のアーティスティック・ディレクションを彼が僕に任せてくれました。これは25年前から存在する団体で、若い振付家のコンクールを毎年開催しています。10月に開催されるそのコンクール、夏にオープンエアで行われる公演のプログラムのADを僕は務めることになっていて・・・。これらはブリューノとの出会いのおかげです。また、まだ具体的に決めてはいないけれど、マニュ(注:マニュエル・ルグリ)に会いにウィーンに行こうと思っています。

Q:それはウィーンの国立バレエ団で踊ろうというわけではないですね。

A:はい。指導、あるいはカンパニーがどのように機能してるのか、といったことを知りたいので・・・。

Q:つまり、いかにカンパニーを運営するのかを学びたいという気持ちもあるのですね。

A:その通りです !  それが本当にしたいことかどうかはわからないけれど、カンパニーの幹部の組織に興味があるのです。どのように機能してるか、といったことを僕なりに理解できたらと思っています。あれこれいろいろなことを試し、自分が本当にしたいことをみつけようというわけです。まだありますよ。ボルドー・バレエ団のディレクターに呼ばれて、『リーズの結婚』のメートル・ド・バレエとして仕事をすることになっています。これは11月から12月。来年1月以降については、また別の計画に取り組むことになります。

pari1804c04.jpg Vincent Chaillet   Troisième Symphonie de Gustav Mahler Photo Laurent Philippe / Opéra national de Paris

Q:オペラ座で認められているサバティカルの期間は、最高1年ですか。

A:はい。1年、つまり1シーズンですね。ぼくは8月から次の8月までとりますけど。2年に延長もできるけれど、それは上層部がOKするか否かにかかっています。もし、計画に進展がある場合は、延長できるのかもしれません。

Q:サバティカル・イヤーを取ろうと決めたのは、いつ頃のことですか。

A:30代に入ってから、つまり3年くらい前から考えていました。僕のケースとは違いますけど、別のカンパニーにいってソリスト役をもっと踊りたいと思うダンサーの気持ちはわかります。

Q:オペラ座では以前よりサバティカル・イヤーをとるダンサーが増えているような印象を受けます。

A:アクセル(・イボ)がL.A .Dance Projectに行きましたね。1年他所の空気を吸うというのは、いいことですよね。それに外国に暮らして。サバティカル・イヤーというのは芸術面だけではなく、日常生活の場を変えてみる、ということでもあります。団員はオペラ座のバレエ学校から始まって20年、25年と同じ場所にい続けてるので、他所で栄養を得て戻って来るというのはいいことですよ。

Q:ダンスを始める前、俳優の仕事にも興味を持っていたのでしたね。

A:何よりも、ぼくは舞台に興味があるんです。今しているのはダンスだけど、小さいときは音楽も演劇もやっていて・・・いろいろなことに接して、それらを混ぜ合わせて、というの好きなんです。将来、ダンサーとしてではなく、別の方法で舞台に立つこともありえますね。ダンスが出発点として常に存在するのでしょうけど、ぼくは自分を単にダンサーというのではなく、より総合的なアーティストとみなしています。それゆえにオペラ座から出て、自分のアイディアをきちんと整える必要があるのです。

Q:サバティカルの間、どちらかというと 舞台の裏側の仕事をすることになりますね。

A:はい。でも別の計画もあるんですよ。ジュリー・マニュヴィルという才能溢れる30代の振付家が、僕の物語、人生に興味を持っていて、これにインスパイアーされた1時間くらいのソロ作品を創りたいといって。今、10分くらいまで進んだところです。これはライブの音楽で、とか、そういった予定もあります。内容はダンスだけでなく、演技面もあるだろうし・・・。この作品を作り上げて発展させるためのレジダンスやパートナーを探しているところなんです。これもサバティカルの1年の計画の1つ。ダンサーとしてこれに専念するために、2〜3か月、とっておくことにしています。

Q:1年間、まったく踊らないということではないのですね。

A:パフォーマンスやガラは続けますよ。それにボルドー・バレエ団に行ったら、そこでクラス・レッスンをとるし、それにパリにいるときはオペラ座のクラス・レッスンに出ますよ、辞めるわけじゃないんだから(笑)。

Q:サバティカル・イヤーにはどこか 《オペラ座断ち》みたいな感じがします。

A:はい、確かに。というのも、僕は自分を危険な状態に置いてみたいのです。
逆説的に思えるかもしれないけれど・・・。オペラ座というメゾンで25年間、たとえ大勢のコレオグラファーが来ても、ここの仕事環境は快適すぎて、僕たちには危機感がありません。それでオペラ座ではないダンサーの仕事の現実にたちむかってみたい のです。例えば、「来月ぼくの予定はなにもない。いったいぼくには何ができるだろう。何がしたいのだろう・・・・」と。それに運命を挑発したいのです。すでに準備された何かを差し出されるのを待っているのではなく、自分から電話をし、相手を呼び出し、したいことを説明し、プロジェクトをたちあげて、といったことに興味を持っています。

Q:サバティカルの期間中、オペラ座のサラリーはどうなってるのですか。

A:まったくありません。それだからこそ、危機感に自分を晒すことができるのです。
僕自身で仕事をみつけなければならないのです。

Q:来シーズンのプログラム内容を知った時、残念に思ったものはありますか。

A :確かにちょっと残念に思った作品はあります。オハッド・ナハリンの作品がシーズン開幕にあることは、正式発表前から知っていました。でも、これには僕はアクセスがないこともわかってたのです。というのも、オーレリーはソリストの参加を望んでいず、スジェまでのダンサーだけの参加なんです。オハッドと仕事できたら確かにうれしかったでしょうけど、今回はもともと不可能なわけです。『シンデレラ』は過去に参加した作品だし、『椿姫』はガストン・リュウ役などもすでに踊っているので、来シーズン踊れなくても後悔はありません。

Q:来季の最後に公演のあるマッツ・エクについてはいかがですか。

A:マッツ・エクのカムバック公演。これがあるときにオペラ座を不在にすることは、残念に思いますね。もしオペラ座不在を後悔するとしたら、マッツ・エクとの仕事ができない、ということでしょう。ポール・ライトフットの創作にも、参加したかったですね。でも、いずれにしても、ぼくは1年休むことを決めたのだし、それに毎シーズン興味深い作品がオペラ座ではあるのだから・・。後ろ髪をひかれてばかりいては、サバティカル・イヤーはとれません。「ぼくは1年休む。それは僕にとって良い効果をもたらすことが確実だ。たとえ、オペラ座での出会いほどのプレスティージュはないにしてもたくさんの出会いが待ってるんだ。人間的な面でも・・」と、どこかで心を決めることが必要なんです。

Q:その次の2019〜20年の創作のオーディションが不在中にありますが、これらには参加できるのですか。

A:あ、それはわかりません。まだ先のこと過ぎて、オーレリーとは話していません。

Q:今シーズン2017〜18では、この後何を踊りますか。

A:この後は、クリスタル・パイトの『シーズンズ・カノン』の再演、そしてイヴァン・ペレーズのクリエーション。両方に配役されています。といっても、パイトの作品は20分くらいの短いものだし、ペレーズは配役が2組あるので・・・。クリスタル・パイトの新しいクリエーションが2019〜20のシーズンに予定されています。彼女は僕のことをよく知っているので、もし、このシーズンに戻るのであれば、この新しい冒険にはぜひ参加したいですね。

Q:『オルフェとユリディーチェ』が終わったところですね。

A:これは初日から毎晩踊り続けて疲れたせいか、途中で首にトラブルをおこしてしまい降板しました。この作品は2005年だったか、オペラ座にレパートリー入りしてから、毎回踊っている作品です。ピナがぼくを選び、彼女本人とも仕事ができて・・・。コール・ド・バレエも踊ったし、第二配役そして第一配役でも踊り、デュオも踊って、というように作品の中での進化がありました。ドイツ、マドリッド、ニューヨークなどでのツアーもあったので、もう100回くらい舞台にたってるでしょうか。

pari1804c02.jpg Vincent Chaillet   Orphée et Eurydice  Photo Yonathan Kellerman / Opéra national de Paris

Q:12月の公演で過去に主役を踊った『ドン・キホーテ』ではなく、『プレイ』に配役されたことを知ったとき、どのような気持ちでしたか。

A:ぼくは新しい冒険に常に乗り気なので、新しい何かを発見するためであれば、すでに踊った作品に配役されないことは気になりません。 ずっと一緒に仕事をしたいと思っていたアレクサンダー・エクマンと知り合になれたのは、本当にうれしいことでした。ただ、『プレイ』の創作工程は長すぎたと思います。僕はシーズン明けのすぐ9月の初めから6週間を彼と仕事する最初のグループの一員で、つまり3か月間、この創作に身を捧げ、他のものを踊ってないのです。だから、リハーサル・スタジオで他のダンサーたちが、『ジュエルズ』とか他の公演の稽古をしているのを見るのは、時に辛いことがありましたね。でも、彼との出会いは素晴らしいものだったし、公演は上手くいったし、舞台上の雰囲気もすごくよくって・・この冒険に参加したことに後悔はありません。 歩き慣れた道を続けるのではなく、新しいものを発見しにゆくことこそアーチストの目的ですよね。

Q:『プレイ』ではコンテンポラリーではなくクラシックを踊りましたね。

A:そうなんです、結局のところクラシック・ダンサーの役となりました。僕ってオペラ座の自由電子というか・・・。クラシックの人は僕をコンテンポラリー・ダンサーとみなし、コンテンポラリーの振付家は僕をクラシック・ダンサーとみなすんです。でも、これはやめて欲しい。僕はダンサーというだけであって、クラシックとかコンテンポラリーとかカテゴライズされたくない。それに好奇心が強いので、あれこれ試してみたいから、クラシックもコンテもどちらも手放すつもりはないのです。

pari1804c05.jpg Vincent Chaillet  C Saint Martin PLAY Photo Ann Ray / Opéra national de Paris

Q:オペラ座の学校に入った時は、クラシック・ダンサーを目指してのことですね。

A:そうですよ。でも出会い、発見があって、ダンサーの仕事というのはクラシックだけではなく、もっと豊かなものだと知りました。でもオペラ座の学校で得た、厳しさ、規律正しさ、技術・・これらを用いて、古典作品の大役を踊るというこの分野での最終地点まで導かれることができたことは嬉しいです。そして、今、舞台ではコンテンポラリーを踊っているけれど、僕が指導するのはほとんどクラシックなんですよ。 踊るのと同じほどの喜びを、教えることでも得られています。僕は指導に際しては、椅子に座ってというのではなく、一緒にバーをやり、一緒に踊って、と惜しみなく与えます。分かち合い、伝承し・・・これが指導の大きな喜びなのですね。アマチュアからプロまで対象はあらゆるレヴェルですよ。あらゆる領域の人々とダンスを分かちあうことに関心があります。

Q:42歳以降、オペラ座のバレエ学校で教えることも考えていますか。

A:今のところ、頭の中はカンパニーを率いることやフェスティバルの仕事、あるいはアーティストをクリエーションのために迎え入れる組織を作る、といった方面を考えています。つまりアーティストやクリエーターの身近での仕事、という方向ですね。教えることを続けるにしても、それだけで、ということは考えていません。

Q:『Formidable 』は自作自演でしたが、他のダンサーのために創作することも考えていますか。

A:クリエーションの提案があり、これから始めるところです。 毎年一人の振付家を招いて生徒たちのために 創作をさせるアカデミーがあって、プロではないダンサーに作品をクリエートするということに興味を持ちました。まだ養成中の生徒たちで、その中からプロになる人もいるかもしれないけれど、今はまだプロではありません。仕事の仕方がフォーマット化されていず、エスプリが自由です。とてもニュートラルな状態なわけです。アマチュアの方が頭がプロより自由、ということが多いですね。自分に何も禁じず、できることをなんでも吸収しようとします。やる気にあふれている彼らに僕が授けることから戻って来ることに興味があります。

Q:教えることの意欲はどのように生まれたのですか。

A:すごく若いときに免状を取りました。入団して3年後の22歳の時です。資格試験が受けられるや否や、すぐに取ったんです。定期的に教えるようになったのは、2年位前から。毎月、1〜2回の週末は指導に出かけています。夏は国際的な研修会に招かれますし、コンセルヴァトワールなどからも・・。最近はボルドー・バレエ団にも行き、と、とても定期的に招かれるようになっています。ダンサーと指導者という2つの肩書きのスタート地点にいるという感じでしょうか。

Q:外部と多く接触し、人々はどのようにオペラ座を見ていると感じますか。

A:世間の人に、オペラ座という名前は魅惑的に響くようです。素晴らしいメゾンですからね。僕がオペラ座で何よりも守っていきたいと思うのは、厳格さ、リサーチのハイクオリティ、自己顕示しないこと、繊細さ、エレガンス、洗練ですね。これは僕のアイデンティティーの一部なのでキープしたいことです。僕は気取ることもなく、オペラ座の名を自分の存在のために利用することもなく、ずっと庶民的なプロジェクトも手がける準備はできています。それによってダンスを別の場所に位置づけることができるからです。オペラ座は素晴らしいけれど、エリート的。可能な限り大衆にダンスを広めたいのです。今郊外のモントルイユという場所に暮らしているので、この地の学校に出向いて、ダンスにアクセスのない子供たちのために何かをする、といったことにも興味を持っています。自分の地元で何か役割を果たしてみたいという気があるのです。例えば、オペラ座をモントルイユの子供たちが訪問するとか・・・開発の余地は山ほどあります。

Q:モントルイユはアーチストや職人が多く住み、庭のある家が多いですね。

A:僕の家には美しいテラスがあります。 パリからモントルイユに越したのは、複数の理由からです。オペラ座のエリート的な世界から脱出する必要、社会的なミックスが必要ということで、この庶民的な土地を選びました。以前、10〜15年くらい10区のオートヴィル通りに住んでましたが、レストランが軒を連ねるボボ族のための地区となってしまいました。モントルイユにしても10年後はきっとボボたちに占拠されるのだろうけど、今のところはまだ庶民的です。住民の間に交換や連帯感があって面白いですよ。それから、もちろん価格というのも理由の一つです。パリと同じ金額でモントルイユでは2倍の広さが得られます。それに光、庭、テラスもあって !

Q:庭仕事でリラックスしていますか。

A:はい、これは素晴らしい。自然に接触することとても大切なことです。季節に接し、ダンスやもっともっと、という日常の激しさから抜け出して・・。自然は嘘をつきません。発芽、開花など待たねばなりません。時間をかける必要があり、手間をかける必要があります。僕の両親はずっと街暮らしをしていたのだけど、南仏に別荘を買いました。3年位前だから、僕が引っ越したのと同じ頃のことです。彼らは野菜畑を丹精し、木を刈ったりといった暮らしをしています。ここは僕にはパラダイスですよ。充電ができます。次の週末に行くのが、待ち遠しいですよ(笑)。

Q:出身地のメッスはポンピドー・センターもある文化都市です。ここでも何かすることを考えてますか。

A:ポンピドー・センターの開館の際はフラッシュ・モブをしました。再びコンタクトするのは悪くないですね。最近、メッスに帰ったとき、バレエを習い始めたバレエ学校に行きました。起源帰りというわけですが、若い生徒たちと素晴らしい時間を過ごすことができました。メッスはとても美しい町で、ポンピドー・センターのオープンから、活発に変化を遂げています。メッスの駅舎というのはヨーロッパ最長で、とても綺麗な駅。ドイツに併合されていた時期があり、駅の建築もドイツ的です。街中の小さな大変古いオペラ劇場は、僕が最初に立った舞台なのだけど、18世紀のイタリア・スタイルで素晴らしい建築物です。メッスのバレエ団とも指導のためにコンタクトをとっています。小さなカンパニーだけど支援に値します。フランスでは戦わないと小さなカンパニーは存続が難しい。今あるカンパニーが消滅するというのはダンスの死でもあります。だから財政面や創作面を支援し、大衆を啓蒙しダンスに目を向けさせることをフランス中で発展させてゆかねばなりません。

Q:これほど将来にむけて事を進め、本当にしたいことと出会ったら、42歳を待たずにオペラ座を去るということも考えられますか。

A:何事も自分に禁じるつもりはないですから、その可能性もあるかもしれません。でも、まだ先のことなのでなんともわかりません。今とにかく気に入ってるのは、踊ること以外のことをすること、人にあうこと、オペラ座と異なる状況で仕事をすることです。もし提案があれば、本当に気にいることに出会ったら、42歳前にそちらに行くこともあるかもしれません。

pari1804c01.jpg Vincent Chaillet   Le Boléro Photo Little Shao / Opéra national de Paris

Q:今時間あるときは何をしますか。

A:来シーズンのサバティカル・イヤーですることの準備もあるけれど、劇場に行ったり、Synodalesの若い振付家と会ったり・・・。Synodales の10月6日の第24回目コンクールでは、ベルフォールにベースを置くブルゴーニュ・フランシュ・コンテのコンセルヴァトワールのディレクターの一人、エリック・アムルーに審査員長をお願いしました。コンクールの受賞者のクリエートを助けるために、パートナーやメセナなども見つける、といった仕事もあります。

Q:何か自身の身体に関わることもしていますか。

A:はい。最近は、これまでする余裕のなかった実践に興味が湧いていて・・例えば、ヨガ、床での運動、ストレッチなど。サンフランシスコ・バレエ団のプリンシパルだったアレクサンドル・ミュンスと会う機会がありました。彼はSAFE®メソッドというコンンセプトを作り上げて、これ、面白いんですよ。今、ピラティスやヨガなど存在するあれこれから取り出したものを自分で組み立てて、僕だけのルーティンを作り始めてるところです。クラシックなルーティンは長いこと知っています。その確実さ、必要性を保ちつつ、他の形の実践に広げるという応用は面白いことです。僕が来季オペラ座から離れるのは仕事をしないためではありません。身体は僕の表現の最重要な要素です。舞台で踊らないにしても、身体は常に仕事をしてる状態においておかなければ。

Q:つい最近アデュー公演を行ったマリ=アニエス・ジロと一緒にさまざまな活動をしていますが、どういった関係ですか。

A:はい。ほとんどオペラ座の外での活動ですけど、僕たち確かにいろいろなことを二人でしています。お互い知り合いでもあるけど、それほどでもないと・・・という関係です。世間は僕たちがさぞかしプライヴェートにも仲良しだろうと思ってるようだけど、電話しあって、一緒にお茶を飲んで、という関係ではありません。もっとも一緒に仕事をするので、長い時間を過ごしてるのは確かです。彼女が僕に声をかけてくるのは、好奇心の強い僕がいつでも新しい冒険話に乗る、とわかってるからでしょう。それに上手くゆくことも。いろいろやりました。下着ブランドのためにオルセー美術館で踊ったり、ローマのヴィラ・メディシスで他のアーティストたちと一緒に仕事をしたり、テレビ番組のために巨大なコンサート会場で大勢の観客を集めた公演に参加して・・・・ファッション撮影も彼女と何度もしていますね。難病の子供たちのための慈善団体のために、僕とアリス(・ルナヴァン)に創作も彼女はしています。これは彼女にとって、とても重要なプロジェクトなんです。

Q:オペラ座ではマリ=アニエス・ジロが創作した『sous apparence (スーザパランス)』を踊っていますね。

A:そうですね、この作品でも一緒でした。彼女はこの作品で僕にはトゥシューズをはかせ、ポワントで踊らせたんですよ。これはすごい冒険でした。毎回がちょっと個性的なことに彼女は声をかけてくるので、僕が興味をもつことになるわけです。

pari1804c03.jpg Vincent Chaillet   Sous Apparence   Photo Julien Benhamou / Opéra national de Paris

Q:何か日本のバレエファンに伝えたいことはありますか

A:最後に来日したのは随分と以前のことです。『ドン・キホーテ』のときだったか・・。クラシック・バレエの指導や創作のために、日本のどこかのカンパニーに招かれることがあれば、うれしいですね。新しい冒険に喜んで参加したいです。