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大村真理子(在パリ・フリーエディター)Text by Mariko OMURA 
[2017.08.10]

オペラ座ダンサー・インタビュー:セバスチャン・ベルトー

Sébastien Bertaud セバスチャン・ベルトー(スジェ)
6月中旬にオペラ・ガルニエで公演のあった『ベルトー、ヴァラストロ、ブーシェ、ポール』で、振付けアカデミーの4名のダンサー・コレグラファーの一人として作品を発表したセバスチャン。ファッション界で注目を浴びているバルマンのオリヴィエ・ルスタンが衣装デザインをしたこともあり、彼の作品『ルネッサンス』は大きな話題を呼んだ。

この公演では、シモーヌ・ヴァラストロの『マッチ売りの少女の受難』は歌手も参加して演劇的で、ブルーノ・ブーシェの『アンドゥーイング・ワールド』には政治色が盛り込まれ、ニコラ・ポールは『山々の上方7メートル半』にヴィジュアルアートをとりこんで、とタイプは異なるものの、いずれもコンテンポラリー作品を創作。その中で女性ダンサーがポワントで踊る彼の『ルネッサンス』だけが、ネオ・クラシック作品だった。オペラ座のフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスの煌めきを背景にセバスチャンの振付を優美に披露したのは、 ドロテ・ジルベール、アマンディーヌ・アルビッソン、ユーゴ・マルシャンのエトワール3名を含む15名のダンサーたち。
会場にはオリヴィエ・ルスタンの応援にかけつけたセリーヌ・ディオンの姿も。

pari1708b_07.jpg photo Julien Benhamou/
Opéra national de Paris

Q:なぜ『ルネッサンス』というタイトルをつけたのでしょうか。

A:とても詩情あふれる言葉ですね。このバレエ作品にはストーリーはないですが、再び歓喜を、再び魔法を、という意図がこめられています。フランス・スタイルのバレエの伝統を今再び、という提案があります。僕のレヴェルでの小規模な提案ではありますけど・・・。 創作について、僕の師であるフォーサイスがいうには、自分のしたいことを提案しなさい、と。それで僕は考えたのです。僕は地方のボルドーからパリに来ました。子供の僕がオペラ・ガルニエに足を踏み入れたときに抱いた夢・・・それを提案したいと思ったのです。それに、また僕のキャリアにおいて、フォーサイスによって経験できたことや、衣装を担当したオリヴィエもバルマンでフランスの職人技を再び今に生かした仕事をしていることにも通じることなので。

Q: フォーサイスとあなたの関係はどのようなものですか。

A:バンジャマン・ミルピエの発想でスタートした振付けアカデミーのアーティスティック・ディレクターが、フォーサイスでした。ミルピエ時代にアカデミーが始まって、現在のオーレリーの時代にその成果を発表する公演があった、というわけで、長い橋がかけられてた感じすね。僕は10年近く前から振付をやっています。芸術監督がブリジット・ルフェーヴルの時代に「ダンサー・コレグラフ」という公演があって、その際に『Explicite artifice 』『Fusitif』などを発表しました。また、オペラ・ガルニエでの「ダンスとパーカッションの夕べ」といった公演でも、作品を発表しています。フォーサイスとの出会いは、僕にとって決定的なものでした。僕の人生に強いインパクトを与えました。僕はコリフェを8年やっています。どうしたら上がれるのか、どうしたら進歩できるのかと途方にくれている間に、下から若いダンサーたちが現れて、みんな踊りがうまくって、上にあがってゆく・・・。僕がコンクールでみせたものはよかった、と周囲からいってもらえても、2席の空席のときは3位、1席の空席のときは2位といった具合で・・・コリフェに8年、精神的にとても辛い時期を過ごしていました。そんなときに僕の人生を変える人物であるフォーサイスと出会ったわけです。
彼の『パ・パーツ』に配役されました。エトワール・ダンサーを差し置いて、彼は僕を前に出してくれたんです。精神的に僕を解放してくれました。彼が語ってくれたいろいろな言葉は、すべてメモしてあります。彼のおかげで再び僕は心が開け、その3か月後にスジェに上がることができたんです。こうしてまた役につけるようになりました。僕のキャリアにおいて、新しいサイクルが始まったのです。ルネッサンスですね。アカデミーにいた4名の中で、彼は僕をアシスタントに選んでくれたんですよ。2016年にオペラ座で『approximate sonate』が踊られたときには、彼のパーソナルアシスタントを務めました。すごく大きな責任でしたけど、僕にとってこれは信じられないような体験となりました。その後、僕はこの作品を踊ることになったフランドル・バレエ団から招かれて、稽古をみています。師弟でもあり、友でもあり・・・そんなフォーサイスのおかげです。

 
pari1708b_01.jpg 『ルネッサンス』
photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris
pari1708b_02.jpg 『ルネッサンス』
photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris

Q:この公演での作品についてはオペラ座からの白紙依頼だったのですか。

A:はい。まずオペラ座のディレクションが実現の可能性を確認するために、僕たち4人はそれぞれ自分の案を提案しました。4人の作品を発表する場なのだから、自然に作品は各自30分程度ということに・・・。オーレリーはキャスティングについても、それぞれの希望を尊重をしてくれました。といっても、他の3名との間でやりとりの必要があって、このダンサーを僕は諦めるから、では代わりに誰々を、といったような交換もあり、配役が決定したのは公演の1か月前。日頃から気の合うダンサーが僕には必要でした。というのもリハーサル・スタジオでダンサーと創作できるのは、たった1か月しかありません。信頼ができ、インスピレーションがもらえるダンサーが必要でした。

Q:今回ネオ・クラシック作品を創ったのはなぜでしょうか。

A:これは1年半前に遡る話です。日曜にヴェルサイユ宮殿を散歩していて、ジャン=ミッシェル・オトニエルが創ったガラスとスチールの彫刻『les belles danses』を見て感動したんです。フランスの文化、その卓越した技術を彼はモダーンにこの作品で表現しています。その時に「これこそが僕がダンスでするべきことなのだ !」と。この感動が『ルネッサンス』の出発点なのです。
衣装デザインをするオリヴィエにあった時、ぼくはこの話をしました。ぼくは愛するオペラ座にオマージュを捧げたい、という気持ちがあり、またコンテンポラリー作品が多く生まれている今、クラシック作品というのは意外でいいのではないだろうか・・・。可能な限りのエトワール・ダンサーを配し、フォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスを使い、信じられないようなコスチュームで !! と、彼と二人で興奮して、こうして『ルネッサンス』の創作を出発したのです。それにフォーサイスの励ましもありました。「君のアイディア、君のロマンチズムが好きだ。クラシック・ダンスでそれをしないさいって」。こういわれて、僕が感じたのはモダーンな彼から離れるのが怖い、ということだったんです。でも、それは自分自身に戻ることでもある、と感じられました。自分が踊りたいと思うものが、僕をコレグラファーにするんだ、と。クラシック・ダンサーとしてクラシック作品を作るのは明白なことだ・・・あれこれ自問自答しましたよ。僕が受けたのはクラシック・バレエの教育です。ダンサーをポワントで踊らせるのは、僕にできることだ。僕はクラシックのテクニックを知っている。なぜ、しないのか。もしぼくがしなければ、誰がするのだろうか、と。コンテンポラリー・ダンスの人にはクラシック・バレエは作れません。そして僕たちがバレエをつくるなら、素足で舞台をころげる、というバレエは作りません。これは別の言語ですからね。

pari1708b_03.jpg 『ルネッサンス』photo Julien Benhamou/Opéra national de Paris

Q:他の3名はコンテンポラリー作品を創りました。

A:各人各様の願望があるのですから、ぼくは彼らをレスペクトしています。振付アカデミーから得た僕の考えは、他の世界を探しにゆくより、自分自身に戻るほうが意味がある、ということだったのです。

Q:コスチュームをオリヴィエに依頼することにしたのはなぜでしょうか。

A:オペラ座から創作の白紙依頼があったとき、モードの偉大なクリエーターとコラボレーションをする、という伝統を引き継いでみたいという気持ちがあったのです。例えばバレエ・リュスの『青列車』ではココ・シャネルが、ローラン・プティの『ノートルダム・ド・パリ』ではイヴ・サンローランが衣装をデザインしています。クリスチャン・ラクロワも『ジュエルズ』や『ラ・スルス(泉)』・・では、若いコレグラファーとしての僕は、誰と組めば新しい大胆なことをもたらすことができるのだろうか、と考えてみたのです。いろいろリサーチをし、バルマンのオリヴィエ・ルスタンしかいない、という結論に達しました。彼こそが正に今の時代を生きているクリエーターなのだ、と。たとえ伝統にレスペクトがあっても、たとえクラシック・バレエにレスペクトがあっても、若いコレグラファーの僕は今日の何かをこの作品で提案する必要があり、そうしたクリエーターが必要だったのです。

Q:オリヴィエはコスチュームの依頼を即答しましたか。

pari1708b_06.jpg photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

A:彼だ ! と思ったものの、実際に彼にコンタクトをとるのは難しかったのです。でも、幸い昨年パレ・ド・トーキョーとオペラ座の共同プロジェクトで『La rumeur des nauffrages』を創作したときのスタイリストが、困ってるぼくの助けになりたい、といってくれて、仲介役を果たしてくれたのです。僕の過去の創作作品のビデオを見たオリヴィエから連絡があり、実際に会うことになって・・。ぼくは彼の過去の服の中から、何かバレエに使えるものがあれば貸してもらおうという気持ちだったのですが、彼から「僕がやるからには、素晴らしいバレエにしましょう。きれいな衣装を作ります」と。これには、すっかり動転してしまいました。これまで2名のクリエーターに衣装をお願いしていますけど、このように興奮して引き受けてくれたのは彼が初めてでした。偶然にも彼も僕と同じボルドー出身だったこともあり、また性格的にも似ているところがあるので、すぐにお互いの間に通じあうものが生まれて・・。


Q:公演前に 彼がコスチュームを作ることが雑誌やテレビで話題になりました。

A:はい。思ってもいないほど、マス・メディアの大きな反応がありました。これは単に彼がコスチュームをデザインするというだけでなく、歴史あるメゾンで新しいことを提案している彼と、オペラ座の若いコレグラファーの出会いというモダーニティという点からも注目されたのだと思います。カール・ラガーフェルドがコスチュームをデザインした時とは異なる視線がメディアにあったのだと思います。実際、公演直後にインスタグラムで『ルネッサンス』の抜粋をあげたところ、10万回以上も視聴されていて・・・。バレエをダンスファン以外の幅広い層に見せたいという、僕たちが願ったことでもあるのですが、この反響は予想をはるかに超えるものでした。

Q:コスチュームはクリスタルが輝くゴージャスなものでした。あなたが希望したことですか。

A:いえ、コスチュームを誰かに頼む以上は、その人が表現したいようにするべきだと、彼に任せました。ビヨンセやライハナなどのコンサートの衣装はつくっていますけど、バレエの衣装というのは彼にはこれが初めてのことで、彼の創造性を守りたいという気持ちがありました。彼がラッパーのカニエ・ウエストにデザインしたすごく手仕事の凝ったジャケットをみたときに、現代性と同時に洗練も感じられて、バレエの『ライモンダ』のコスチュームを思わせるものもあり、彼ならフランスの卓越が感じられ、かつ今日的な衣装ができるに違いないという確信がありました。

pari1708b_04.jpg photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:コスチュームはオペラ座のクチュール部門が制作したのですか。

A:いえ、オペラ座のアトリエとバルマンのアトリエという二つのメゾンの共同制作となりました。これはオペラ座では初めてのことです。バルマンのアトリエのメンバーがオペラ座に来たり、その逆もあって・・・。ダンスのために衣装デザインを簡素化する、ということはよくあります。でも、遠くから見た時と同じように近くで見た時も美しくなければ、というのがオリヴィエがこの仕事を受ける上での条件でした。だから、例えばユーゴが来たジャケットは7キロと重いのですが、これを着て踊る方法をぼくは考えねばなりません。それは最初と最後だけジャケットを着る、という方法で切り抜けました。また、タイツに貼り付けたパールがダンスによって剥がれてしまうので、その解決方法をみつけることも必要でした。そのためにバルマンのアトリエは革新的な方法を生み出し、場所によってはパールを半分に割ってつけたり・・・フランスの職人技という面で、オペラ座とバルマンという2つの組織がこうしてコラボレーションをするという点にも、僕とオリヴィエは興味をもちました。

Q:オペラ座からそれぞれの創作に予算が出たのですね。

A:はい。でも、僕はほとんど使わずに終わったんですよ。というのも、衣装についてはバルマンとのパートナーシップを僕は築いたので。そのアイディアはオーレリーからもらったものですけど、こうしたこともコレグラファーの仕事ですからね。バルマンが費用を出してくれたので、コスチュームは無料ですみました。そして舞台装置については、僕はフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスを使ったので、これも無料。デフィレで使われるこのフォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスを背景にすることが、今回はとても大切なことでした。オペラ座のDNAです。『ルネッサンス』はオペラ座を語るものです。ルイ14世の時代からのフランスの卓越を今日に物語るものですから、なにか豪奢な装置が欲しかったのです。また僕の頭の中に、舞台と会場を一体にする、というイメージがありました。会場が完全にステージに含まれているという・・オペラ座のすべてがこのバレエのための舞台装置という発想からです。費用がかかったのは、舞台に敷いた白のリノリウムだけ。シンプルだけど、効果的であるものが欲しかった。考慮に考慮を重ねた舞台装置です。
フォワイエ・ドゥ・ラ・ダンスのゴールドとコントラストをなす、モダーン・タッチという点でも・・。そうでないと、とっても装飾過多の重いものとなってしまいます。白いステージなら、ダンサーが舞台装置の中に吸い込まれることなく、浮き上がりますよね。というわけで、どうしても白いリノがこの作品には必要でした。ダンサーが怪我をしないためには、舞台にしっかりと貼り付ける作業をせねばならず、これには35分かかります。20分の幕間ではできないので、公演開幕前に貼り付けるしかなく、その結果4人の作品の中で僕の『ルネッサンス』から始まることになったのです。技術的な問題ゆえとはいえ、これは観客にはよかったと思います。幕が上がって目にはいるのは、白いステージの上にきらきら輝くコスチュームをつけたダンサーがゴールドを背景に並んでいて、と・・・。

pari1708b_05.jpg photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:『ルネッサンス』はバランシン作品、あるいはミルピエの作品を思わせたという声がありました。

A:バランシンというのはマリウス・プティパの延長上にあります。プティパがいなければ、バランシンそれにフォーサイスはどんなだったでしょうか。伝統なんです。 アラベスクは、フォーサイスのものでもバランシンのものでもありません。クラシック・バレエの進化に属するものなんです。とかく観客は誰か自分の知っている振付家の仕事に結びつけがちですが、それは表層的です。

Q:メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲第ニ番』を使うことは、どのように決めましたか。

A:このオペラ座の高みにふさわしい深みのある、エレガントでロマンティックな曲を、僕は探しました。フィリップ・ジョルダンが語ったことも心にかかっていて、インスパイアーされました。ただ好き、というだけでなく、パリ・オペラ座というクラシック・バレエのカンパニーの高みにふさわしい音楽でなければ、と。それで、これまでにバレエ作品に使われたことのない曲を探し始めました。そんなに残ってないのですよね。でも、信じられないことにこれは誰も使っていなかった。32分のフォーマットで、音楽は27分。27というのは僕にとって魔法の数字なんです。『パ・パーツ』『ベラ・フィギュラ』の長さ、それからバランシンの作品にも27分のものがあります。
『ルネッサンス』をこの“慣し”の1つに含めたい、と思いました。その時、作品のイメージとして僕の頭の中には『白の組曲』、『ジュエルズ』の「ダイヤモンド」があって・・・2017年の今日、僕には何ができるだろうかと考えました。

Q:ヴァイリンの演奏と振付の間に素晴らしい調和がありました。

A:ヴァイオリンの仕事、これはポワントのダンサーの仕事にエコーがあると思うのです。的確さがあり、生き生きとしていて・・。音楽の構造がダンスの構造をインスパイアーするのです。バランシンのことばにありますね。「ダンスを聞いて、音楽を見る」って。これにインスパイアーされました。音楽とダンスとの間に対話を築きたいと思ったのです。それで朝も夜も、地下鉄の中でも、どこにいてもこの曲を何百回と聴いて、流されるに任せました。スタジオでの仕事は1か月でしたけど、その前に振付はすべて終えていました。それをダンサーに提案すると、必ず訂正が生じるものですね。体の重心の置き方や彼らの希望、理解の仕方・・といったことから。もしダンサーに創造性を感じたら、君ならどうする ? とやったりもしました。ダンサーたちには与えたいという意欲がありますから、大抵の場合彼らからの提案は素晴らしく、それを創作に採用して・・。

Q:素晴らしい配役でしたが、直前にマチアスが降板したのですね。

A:ああ、これは恐ろしい出来事でした。この作品の見せ場が、彼だったのですからね。彼は僕のダイヤモンド !!  5分間のヴァイオリンの即興部分は 、僕にはマチアスしか考えられず、彼のあらゆるクオリティ、テンポとの遊びを含め、彼のためのソロを創りました。手元にあるリハーサルの時の映像をみると、あまりの素晴らしさに涙がでるほどです。彼はこの時、『ラ・シルフィード』や『ジュエルズ』など他の作品のリハーサルも同時にあったので、疲れていたのですね。捻挫してしまったのです。初演の3日前のことです。
それからが大変でした。マチアスが踊る予定だった部分を救うべく、ハナとのデュオ部分はオードリックが踊り、一部をパブロ(・ルガサ)が踊って、というようにみんなで分け合うようにしました。直前に組み合わせのミックスを変えたりしたのでストレスはありましたけど、ダンサーたちは全員がしっかり結びついていました。マチアスの降板は最悪のシナリオでした。でも同時にこうした時って、いかにグループを管理するか、いついかに決定を下すか、といったことなど学ぶことはとても多いのです。オーレリーやクロチルドと頻繁に電話でやりとりして、方策を考えて・・・。僕はパブロにチャンスをあげたい、って思ったんです。彼がしたことは本当に素晴らしい。マチアスのパートを彼は2日間で稽古したのです。すごい才能の持ち主です。僕はフォーサイスのアシスタントをしていたときに彼の可能性を知っていたので、 少しだけ変更はしましたけど、マチアスのために作ったソロをそのままパブロに踊ってもらうことにしました。彼は、最悪の状況を48時間で救ってくれたんです。素晴らしいです。
そもそも『ルネッサンス』の配役には、才能あるダンサーたちと期待できる才能ある若いダンサーたちをミックスするというアイディアがありました。だから ナイス・デュボスク(注:入団決定)やジョゼフ・オメールなど、契約団員からも選んでいたんですよ。 それにしても、このときはあらゆる問題を解決しなければ、というのでさすがに眠れませんでした。24時間中、48時間仕事をしたという感じ・・・。

pari1708b_08.jpg 『Tree of codes』photo Little Shao/ Opéra national de Paris

Q:ダンサーとしての2016〜17年のシーズンでは、マクレガーの『Tree of codes』の仕事が印象に残っています。

A:この作品には創作から参加しているんですよ。僕が踊った初めてのマクレガー作品です。僕が踊った『パ・パーツ』の舞台をみた彼から、僕といろいろ一緒にやりたいと言ってきたんです。2〜3年前のことでしょうか。5か月間ロンドンに滞在して、彼のカンパニーのダンサーたちと一緒に創作に参加しました。マンチェスター、ニューヨーク、ロンドン・・・この作品は、世界各地で公演を行いました。

Q:踊り方がマクレガーのカンパニーの団員に思えるような瞬間もありました。

A:彼のカンパニーに黒髪のアジア系のダンサーがいて、僕と同じTシャツで踊るし、彼と僕が引き続きで踊るので、彼と混同されがちでした。まるで双子のようだといわれました。マクレガーに限らず振付家と仕事をするときは、ぼくは振付家の望むことに可能な限りこたえます。このときもマクレガーが望むことがよくわかり、同じ芸術的ファミリーであるということもわかり・・・でも、彼の動き方を実行するのは大変でした。幸いぼくはキャリアの早い時期で、ピナ・バウシュとも仕事をしています。マクレガーもそうですが、身を入れ込まない限り、踊れないスタイルなんですね。スタイルに専心するというやり方を、数週間、数ヶ月かけて僕はいつも実践します。自分ができることを忘れ、するべきことを正しくレスペクトして・・・。 ダンサーはコレグファラーに支えるのが仕事、こう思っています。

Q:ダンサーとして来シーズンのプログラムで踊りたい作品は何ですか。

A:それはディレクションが決めることですから、答えたくないですね。僕はダンスに情熱があるので、全部踊りたいですよ。サッシャ・ワルツの『ロミオとジュリエット』、これは創作に参加しています。ピナの『春の祭典』も『オルフェとユリディーチェ』も踊りたいですね。『オルフェ・・』に初めて配役されたとき、僕が最年少でした。それが創作時のウィルフレッド・ロモリもヴァンサン・コルディエももういなくなってしまい、今や残っているのは僕だけ。一種“歴史上の”存在となっています(笑)。創作に参加しているのでピナによる修正も知っています。新しく参加するダンサーが知らないことを知っていますから、彼らを助けるためにも配役されてリハーサルを共にしたいと願っています。

pari1708b_09.jpg 『Tree of codes』
photo Little Shao/ Opéra national de Paris
pari1708b_10.jpg 『Tree of codes』
photo Little Shao/ Opéra national de Paris