オペラ座ダンサー・インタビュー:パブロ・レガサ

Pablo Legasa パブロ・レガサ(コリフェ)

2016〜17年期、経験豊かなダンサーたちに混じって、ウィリアム・フォーサイスの『Blake Works』、イリ・キリアンの『ベラ・フィギュラ』と『詩篇交響曲』の舞台にたつ幸運に恵まれたパブロ。11月に開催された昇級コンクールでは課題曲も自由曲も素晴らしい出来栄えだったが、スジェの空きは1席しかなく、二位の彼は昇級を果たせなかったのが、とても残念だ。

3月のオペラ座バレエ団ツアーで、パブロはコール・ド・バレエとして来日する。スペイン人ハーフらしく黒目がちの大きな瞳、そしてカーリーヘアという外見なので、大勢の中から彼を見出すのは難しくないだろう。それに何よりも切れ味の良い、エネルギッシュな踊りを見せる彼である。舞台上のコール・ド・バレエの中でも、見分けやすいだろう。2014年10月にガルニエ宮で開催されたブリジット・ルフェーヴル前々芸術監督のアデュー公演で、『オーニス』をポール・マルク、ジュリアン・ギユマールと共に彼は踊っている。これが彼が観客に強い印象を残した最初の舞台姿である。

Q:ダンスを始めたきっかけを話してください。

A:小さい時、ピアノを習っていました。というのも父も母もオペラ歌手で、姉はチェロ、そして僕はピアノという家庭だったのです。5歳か6歳の時に学校で年末学芸会があった時に先生がダンス作品を創って、それを生徒が踊りました。コンテンポラリーのダンサーでもあった彼女が、僕が踊るのがすごく好きで、かつ動きもよい ! ということをその時に発見したんですね。それで、僕の両親のところに先生自ら出向いてきて、「パブロにはダンスを習わせなければ ! 」って。両親はびっくりしたものの、すぐに、でも一体どこでダンスを習うの ?? と・・。僕はパリ隣接の郊外都市に暮らしていたのだけど、先生がバスチーユの近くに初心者のための教室をみつけてくれたんです。彼女のおかげでダンスを始めることになったわけです。もし、彼女がいなかったら、僕は今ダンスをしていなかったかもしれません・・・もっとも、両親に言われると僕はエネルギー溢れる子供で、音楽が聞こえるや否や、体を動かしていたとか。

photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

photo Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:クラシック音楽が小さい時から身近にあったのですね。

A:はい、いつもクラシックが流れている家で育ちました。古典大作を踊る時の音楽性という点で、このことはとても役立っています。僕はテクニックについて何かに特別秀でているということはなく、すべてにおいて正しく踊るようにしています。重要性を置いているのは的確さと音楽性です。両親は僕が音楽に進むことをとりわけ望んでいたわけではなく、僕が幸せであることが彼らには大切なこと。僕の幸福がダンスにあるのなら、彼らはそのためになんでもしてくれるのです。両親は僕のことをとても誇りに思っていてくれて、僕を後方からしっかりと支えてくれています。いつも公演も見に来てくれるし。

Q:オペラ座のバレエ学校にはいつ入学したのですか。

A:2007年です。6年在籍し、2013年にカンパニーに入団しました。同期入団はロクサーヌ・ストジャーノフ、イダ・ヴィキンコスキー、クレマンス・グロス、それからアントワーヌ・キルシェールです。

Q:DVD 「未来のエトワールたち パリ・オペラ座バレエ学校の1年間」の世代ですね。

A:はい。それには僕も出ていますよ。このDVDをつくった監督が、5年後の僕たちについての続編を出すことになって、撮影はもう始まっています。キリアンとのリハーサルも撮影があり、それからコンクールの準備期間の撮影もありました。また足にちょっとした問題があったときに、僕がキネジテラピーの先生にみてもらってるところなども・・・。

Q:11月のコンクールはスジェの空きが2席あればよかったのに、と思いませんでしたか。

A:確かに。でも、これはどうしようもできないことですね。急ぐ必要はありません。今、20歳です。まだまだ僕には時間がありますから。

Q:コンクールの自由曲に、『ドン・キホーテ』第一幕のバジリオのヴァリエーションを選んだのは、なぜですか。

A:これは音楽性、エネルギーという面で僕の個性にあっていると思ったからです。それにテクニックも僕向きだし・・・このヴァリエーションが僕はすごく好きなものです。コンクールというのは自分ができることを見せる場です。 これを踊って上がれたら、という期待をもって選びました。昇級できなかったことには、そうがっかりはしなかったけれど、自分のパフォーマンスにはちょっと・・・。僕は舞台から降りるときに、自分に失望しているという傾向があるんです(笑)。12月中は毎晩、キリアンの舞台が終わるたびに、ああ、こうするべきだった、ああ、ああするべきだった、って。こればっかりなんですよ(笑)。

Q:オペラ・ガルニエの「イリ・キリアン」ではどの作品を踊ったのですか。

A:『ベラ・フィギュラ』と『詩篇交響曲』でした。第一配役のダンサーが怪我をしたので、予定より早い時期に舞台で踊ることになりました。キリアンの作品は今回が初めて。すごく実り多い経験ができました。彼の振付の身体言語はとても特殊ですね。フォロワー・ワークで・・・これにとり組むのはとても興味深いことだった。でも、流動性とか上昇といった僕たちが基礎にもつテクニックとあまりに異なるので、少し混乱させられてしまって、クラシックがうまく踊れない ! って。朝のクラスレッスンでは、なんだかめちゃくちゃをやっていました(笑)。クラシック作品に配さることが僕は多いので、昨年末はバスチーユの『白鳥の湖』の方だろうなって思っていたんです。だから、これは嬉しい驚きでしたね。

『ベラ・フィギュラ』 photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

『ベラ・フィギュラ』 photo Ann Ray/ Opéra national de Paris

Q:2014年の『くるみ割り人形』では、ねずみと戦う兵士を指揮するくるみ割り人形の役でしたね。

A:ああ、あれ。すごく楽しめました。大役ではなかったけれど、コール・ド・バレエの1員ではなく配役表に名前が載る、という初めての機会でした。

Q:その後、ドゥミ・ソリストとして舞台で踊る機会が何度かあったのではないでしょうか。

A:はい。前回の『ジゼル』では、エレオノール・ゲリノーと収穫のパ・ド・ドゥを踊りました。テクニック的に、とてもとてもとても大変なものでした。それまでの経験の中で、難易度の高さではトップといえるでしょう。でも、一度これを踊ってしまうと、あとは大役を踊るのが怖くなくなる、というものだと思います。これができたら、あとはもう、何でも来い ! です(笑)。『ジゼル』の前には、『ロミオとジュリエット』でパリス役でした。ロミオがマチアスで、そしてジュリエットはミリアムという予定だったのだけど、彼女が怪我で降板してしまって。でも、その代わりにレオノール・ボーラックと踊ることになり・・・これまた、パートナーとしては悪くない !(笑)。こうした役についた一番最初の経験は、『ラ・バヤデール』のファキール役でした。そして、2回、ブロンズ・アイドルも踊りました。舞台上のダンサー全員が踊るのをやめ、そこに僕が登場 !! そして踊って、舞台から去る・・これはかなり強烈な体験でした。こういうのって、ダンスにおいて最も大変なものだと思います。というのも、例えば三幕もののバレエなら、ダンサーは会場の雰囲気を感じながら舞台を進めて行けるけど、ブロンズ・アイドルのような場合は、舞台に登場するやいきなりハードに踊るんですからね。1時間かけてメークをし、それから1時間のウォーミング・アップがあって、さあ舞台だ、という・・・。

『ジゼル』のパ・ド・ドゥ photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

『ジゼル』のパ・ド・ドゥ
photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

『ラ・バヤデール』 photo Little Shao/ Opéra national de Paris

『ラ・バヤデール』 photo Little Shao/ Opéra national de Paris

Q:コンテンポラリー作品では、フォーサイスの創作『Blake Works』に参加していますね。

A:はい。これは素晴らしい幸運でした。信じられないような体験ができました。クリエーションは、それ以前にピエール・リガルの『サリュ』で参加しています。フォーサイスのこの作品はワークショップと呼ばれるものからスタートし、彼に与えられたエレメントをもとに僕たちが即興を見せるのです。その結果、仲良しで大好きなキャロリーヌ・オスモンとマリオン・ゴチエ・ドゥ・シャルナセと一緒にトリオを踊るようにって、彼から選ばれたんですよ。フォーサイスという偉大なコレグラファーが、僕たちのために振付をする、これって最高なことですよね。とりわけ僕たちのように若いダンサーにとっては。未だに信じられない、という感じです。学校時代、僕はフォーサイスのビデオをyoutube でたくさん見て育ちました。例えば、シルヴィ・ギエムとローラン・イレールの『イン・ザ・ミドル・・』とか。ああ、これはすごい !信じられない ! とか思って見ていたんです。その彼が目の前にいて、僕と仲良し二人のためにリハーサル・スタジオでクリエートをする ! これって夢のようなことでした。7月に初演され、9月に再演があって・・・。2つの間に考え直す機会があったことも、よかったですね。快適、という以上の経験でした。

『Blake Works』 photos Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

『Blake Works』 photos Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

『Blake Works』 photos Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

『Blake Works』 photos Julien Benhamou/ Opéra national de Paris

Q:いつか踊ってみたいと夢見ている作品は何でしょうか。

A:あれもこれもといろいろあって・・・。例えば、この夢は決してかなうことがないとわかっているのだけど、モーリス・ベジャールの『ボレロ』です。彼が亡くなって以来、どうやらオペラ座ではこの作品を踊る権利がないように聞いています。だから踊れないチャンスの方が断然大きくって、とても悲しいです。それから『ドン・キホーテ』。これは僕にとって素晴らしいチャレンジとなる作品だろうから、いつか挑戦してみたいですね。実は僕、『白鳥の湖』のロットバルト役が好きなんですよ。プリンスじゃなくって。こうした悪役系のほうが興味をかきたてられるんです。バスチーユでこの公演が12月にあったとき、プレ・ゲネプロを見ました。ロットバルトはカール・パケット。彼はこの役にパーフェクトですよね。とにかく、優しい主人公よりもダークな役柄を踊りたいんです。演技面にとても興味があるので。『パキータ』のイニゴ役にも惹かれます。こうした役柄は人間的に深みがあるので、それを探る仕事がしてみたい、って思っています。

Q:模範としているダンサーはいますか。

A:はい。マチアス・エイマンの大ファンなんです。彼の仕事は素晴らしい。正確なテクニックの持ち主で、絶対に彼は舞台上で誤魔化しをしない。それはもうひたすら驚きです。そして、シルヴィ・ギエム。彼女のダンサーとしてのキャリアには興味を引かれます。芸術的、テクニック的、そして人間的に、とてもたくさんのことを彼女にインスパイアされています。ニコラ・ル・リッシュのアデュー公演のとき、『アパルトマン』を踊るので彼女がパリ・ガルニエに来ましたね。公演後のカクテルパーティで、若いダンサーたち何人かのグループで彼女と話す機会を得ることができたんですよ。

『ラ・バヤデール』 photo Little Shao/ Opéra national de Paris

『ラ・バヤデール』 photo Little Shao/ Opéra national de Paris

Q:プティ・ペールは誰ですか。

A:プルミエ・ダンスールのヴァンサン・シャイエです。学校に入学した2007年の年末に『くるみ割り人形』があって、僕、子供役で踊ったんです。その当時彼はまだコール・ド・バレエだったと思うけど、ダンスはとても素晴らしくって、それにとても優しそうな印象を受けたので、勇気をふるってプティ・ペールになってくださいってお願いしました。その後ぼくにいろいろと彼は気を配ってくれていて、オペラ座ですれ違うたびにいろいろとアドヴァイスをくれたり・・。

Q:コンクールの準備も彼としたのですか。

A:いえ、それはジル・イゾワールとです。彼は僕のことをよくわかっていてくれている指導者なんです。5年くらい前にフランスの文化省のためのダンスのビデオを彼が担当し、その中で僕は『ラ・シルフィード』のヴァリエーションを踊りました。これ、僕としてはあまり自慢のできる出来ではないのだけど、この時以来、とっ散らかりやすい僕に彼が目を光らせているというわけです。

Q:これまでオペラ座の舞台で最も記憶に残る作品は何ですか。

A:それは先に語ったフォーサイスのクリエーションです。このとき過ごした時間は、生涯忘れられないでしょうね。ポジティブなエネルギーが漲っていて、ダンサー間に素晴らしい雰囲気が流れていました。それ以前に、こんなこと、みたことなかったです。そして、初日の晩、成功ゆえにカーテンコールは終わりがないというように続きました。スタンディング・オヴェーションで迎えられて、これは信じられないことでしたね。カーテンコールでトリオの3人が手をつないで舞台の前方に進んだときに、会場で次々と観客が立ちあがって拍手をしてくれて・・。えええ !!という驚き。3人で互いに手をきつく握り合ってしまいました。この晩のことは忘れがたい思い出です。

Q:ディレクターの交代についてどう感じていますか。

A:僕が入団したのは2013年で、ブリジット・ルフェーブルの監督時代の終わりの時期です。そしてミルピエ監督が来て、彼はカンパニーの若いダンサーたちに興味を持ちましたね。僕のちょっと上の世代の22〜25歳のダンサーたちに。僕は代役だったので舞台では踊らず仕舞いとなったけれど、彼のクリエーション(注『クリア、ラウド、ブライト、フォーワード』)の仕事をするチャンスに恵まれました。もし辞任しなかったら、彼とはその後もうまくやって行けただろうと想像できます。彼のおかげで僕は『ラ・バヤデール』でブロンズ・アイドルも踊れ、『ロミオとジュリエット』でパリス役も、それに『ジゼル』の収穫のパ・ド・ドゥも踊れたのだから。

『ジゼル』のパ・ド・ドゥ photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

『ジゼル』のパ・ド・ドゥ photo Svetlana Loboff/ Opéra national de Paris

Q:オレリーは引退前のトークショーで、気になる若手ダンサーの一人としてあなたの名前を挙げていますね。

A:え、それは初耳です。でも、僕は彼女のおかげで、プレルジョカージュと仕事をする機会が得られたんですよ。プレルジョカージュ夫妻が監督する映画『ポーリーナ』で、主演男優のスタントマンを探しているときのことです。まだオレリーがダンサーの時代で、彼女が僕を推薦してくれたんです。スタントマンなので映画で見られるのは、遠景での僕、あるいは背中だけですけど、クレジットもされています。こうしてプレルジョカージュと仕事ができ、それに僕が知っている劇場の世界とはまったく異なる映画の世界も垣間見ることができました。そして主演女優のジュリエット・ビノシュと会うこともできました !! 彼女は僕がだ〜い好きな女優なんです。

Q:日本は来年が初来日ですか。

A:12歳の第五ディヴィジョンのときに、ジョゼ・マルチネズの『スカラムーシュ』で来日しました。2009年だったと思います。僕はプティ・プランスとアルルカンを踊りました。楽しかったですね。これが初めての日本滞在で、名所を訪問する機会も少しありました。あちこちで伝統文化が感じられる一方で、巨大なビルディングが立っていて、最先端のテクノロジーがあって・・・。パリでも食べるくらい和食も好きです。日本の文化に興味があるので、3月には美術館や庭園を可能な限り訪問したいですね。それからテクノロジー面での発展もいろいろ見てみたいです。こうした面にまったく弱いんです、僕。仕事のメールにすら反応するのが遅いくらいで・・。和食は大好き。パリで食べてるのは本当の和食ではないって知りつつも、よく食べるんですよ。

ワールドレポート/パリ

[ライター]
大村真理子(マダム・フィガロ・ジャポン パリ支局長)

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