[上海]人間は愛に許されて終わるのだ、と思ったベジャールのマーラーによる3作品

Béjart Ballet Lausanne ベジャール・バレエ・ローザンヌ 上海公演

Soirée Gustav Mahler 「マーラー・イーブニング」
"Ce que la mort me dit " "Le Chant du compagnon errant " "Ce que l'amour me dit " Choreography by Maurice Béjart
『死が私に語りかけるもの』『さすらう若者の歌』『愛が私に語りかけるもの』モーリス・ベジャール:振付

厚手のコートもまだ必要ない心地よくさえ思える冷たさの秋のはじめ、上海でベジャール・バレエ・ローザンヌの「マーラー・イーブニング」を観る機会に恵まれた。
劇場は、並木道や洒落た外観の昔の建物に白いモダンな建築が混じり、風情ある街並みの旧フランス租界にある上海文化広場。
モーリス・ベジャールがグスタフ・マーラーの音楽に振付けた3作品『死が私に語りかけるもの』『さすらう若者の歌』『愛が私に語りかけるもの』が上海国際アートフェスティバルのプログラムとして上演された。

幕開けは『死が私に語りかけるもの』。音楽はマーラーの「リュッケルトの歌曲集」「こどもの不思議な角笛」から使われている。
「私はこの世に忘れられて」のせつない旋律が響く。衣擦れの音が聞こえそうな美しい豪華な衣装を身にまとったダンサーたちが並び、中央にスーツ姿のジュリアン・ファブロー演ずる「彼」が立つ。その前に伏せていたエリザベット・ロスがゆっくりと立ち上がり、左右からイケル・ムリーリョ・バディオラ、ジャヨン・サンのふたりが歩み寄り踊り始める。ロスは紫、バディオラ、サンは白のレオタード姿。ファブローはその周りを巡っていて、パ・ド・トロワが繰り広げられていく。
そこはかとなくただよう「彼」の孤独感がひたひたと客席へしのびよってきて、一気に舞台にひきこまれていく。

「死が私に語りかけるもの」 (C)Béjart Ballet Lausanne/Jessica Hauf

「死が私に語りかけるもの」
(C)Béjart Ballet Lausanne/Jessica Hauf

夏の太陽のような、朱赤のコスチュームの男性ばかりの兵士の群舞は力強く、ひきしまった身体のダンサーたちが舞台を行き交う。「ドゥ・シェフ」のマルコ・メレンダ、ガブリエル・アレナス・ルイーズ、このふたりの掛け合いは青年たちがじゃれあっているかのようで、まぶしい青春時代を思わせる。
「他者」オスカー・シャコンは白いスーツ姿。あるときは「彼」の友でもあるが、実は「彼」自身のようなアイコン的な役柄だった。
マーシャ・ロドリゲスが「母」を踊り、続いて4人の娘たちが横たわる「母」の前に座る「彼」の周りで踊り、ついには「他者」が母をかかえ連れ去る。
「母」と役名がついていたが恋人のようにも思えて、去られた「彼」の喪失感は大きいのではないだろうか、と想像する。 「彼」が舞台前でまるで遺灰を撒くかのような仕草をした時、自分の中で死んでしまった何かを放そうと手から舞い落ちるものを感じた。こんな叙情的要素がそこかしこにちりばめられていた舞台だった。

「死が私に語りかけるもの」 (C)Béjart Ballet Lausanne/Jessica Hauf

「死が私に語りかけるもの」
(C)Béjart Ballet Lausanne/Jessica Hauf

「さすらう若者の歌」 (C)Béjart Ballet Lausanne/GMPress

「さすらう若者の歌」
(C)Béjart Ballet Lausanne/GMPress

「さすらう若者の歌」 (C)Béjart Ballet Lausanne/Lauren Pasche

「さすらう若者の歌」
(C)Béjart Ballet Lausanne/Lauren Pasche

休憩をはさまず、すぐ続けて『さすらう若者の歌』が始まった。オスカー・シャコンと、ベジャール・バレエの本拠地ローザンヌでも同じ演目でゲスト出演した、シュツットガルト・バレエのフリーデマン・フォーゲルのデュオ。
春の花が咲く頃、まさに蕾がいっせいに開いたときの香りがするような踊りで、フォーゲルは若者の愛の喜びをどこまでもまっすぐに表現した。一方ですがりつくように求めるさしだされた手足は、運命にひきさかれ愛を失うかもしれない恐怖や苦しみに満たされていて胸がつまった。

シャコンは若者を翻弄するマスターであり、時には若者が慕う恋人のようである。
後半、審判を告げにきた死神のごとく踊られるくだりは凄まじさすら感じられた。
去りゆく時に、一瞬、後ろを振り返った若者。しかし、また前を向いてふたり一緒に舞台奥へ消えていく。抑えた動きの最後の場面だが、その後の彼らの人生を想像する余地を観客に残した。
尚、この演目はシュツットガルト・バレエで今シーズンの上演が決まっている。
他のダンサーによる踊りはもちろんだが、またもう一度、このデュオの『さすらう若者の歌』を見たいと思う。

そして『愛が私に語りかけるもの』。
マーラーの『交響曲第3番』の4,5,6楽章の音楽が使われている。
「彼女」と「彼」のパ・ド・ドゥ、「彼」と「こども」たちの踊り、「彼」「彼女」「こども」の踊りを中心に構成されている。
「彼」をファブロー「彼女」をロスが、「こども」を15日は大貫真幹、16日はローレンス・リグが踊った。
『死が私に語りかけるもの』と対照的な「彼」と「彼女」のパ・ド・ドゥ。この世の淀みとは無縁の天上として描かれているかの印象を受けた。
そして最後の場面では、12人のダンサーたちがそれぞれの場所で異なったムーブメントを踊る。人それぞれに異なったいく通りもの愛のかたちが存在することを表しているように見えた。
ラストに背景として登場する赤々とした太陽は夜明けか落陽か。見る人の心情によりどちらでもイメージすることできる。
太陽の前で「彼女」が「彼」と「こども」を後ろから腕で包みこむ様は、「彼女」が愛そのものの象徴としなり、人間という生き物は愛に許されて終わるのだ、と感じた。

この3作品を通しで見ると、ひとつの全幕作品として作られたかのように自然に見ることができた。
卓越した才能を持つダンサーたちの身体を通じて、さまざまな感情が呼び起こされ感慨深い思いにふけった、すばらしい夜だった。

「愛が私に語りかけるもの」 (C)Béjart Ballet Lausanne/Anne Bichsel

「愛が私に語りかけるもの」
(C)Béjart Ballet Lausanne/Anne Bichsel

「愛が私に語りかけるもの」 (C)Béjart Ballet Lausanne/Anne Bichsel

「愛が私に語りかけるもの」
(C)Béjart Ballet Lausanne/Anne Bichsel

(2013年11月15日、16日 上海文化広場)

ワールドレポート/その他

[ライター]
原 桐子

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