岸 夕夏 text by Yuka Kishi 
[2017.08.10]
[ オーストラリア ]

英国ロイヤル・バレエ15年ぶり来豪公演、マクレガーの『ウルフ・ワークス』でアレッサンドラ・フェリは観客の心を掴んだ

英国ロイヤルバレエ:ROYAL BALLET
“WOOLF WORKS” choreographed by Wayne McGregor
『 ウルフ・ワークス』 ウェイン・マクレガー:振付

ウェイン・マクレガーが振付けた初めての全幕バレエ『ウルフ・ワークス』は2015年ロンドンでの世界初演以来、コベントガーデン以外で上演されるのは今回が初めてとなる。85人のダンサーを含めた総勢150人以上になるロイヤルバレエ団の全11日間ブリスベン公演では、前半に『ウルフ・ワークス』を5回上演。併せて招聘されたクリストファー・ウィールドンの『冬物語』が後半を飾る。ロイヤルバレエ団の15年ぶり来豪公演を観るために、オーストラリア第三の都市ブリスベンを訪れた。
『ウルフ・ワークス』は、イギリスの女性小説家、ヴァージニア・ウルフの代表作『ダロウェイ夫人』『オーランドー』『波』を基に創作されている。しかし、それぞれの小説のあらすじを追うというよりも、ウルフの世界観、文体の持つリズム、“意識の流れ”と呼ばれるウルフの小説のエッセンスをマクレガーの超次元的な審美眼が抽出した作品と言えるだろう。
公演ウエブサイトには3幕の簡単な内容が出ていたが、すべての観客に配られた初日上演のキャスティング表には同夜の出演ダンサーの名前のみで、どのダンサーがどの配役かという記載もなければ、全3幕バレエとしてのあらすじも書かれていなかった。 それでも 観客はウルフの小説が持つ煌めく叙情性、深遠な痛みを見失なうことなく堪能できる。

ab1708b_01.jpg Royal Ballet act 1 Alessandra Ferri photo by Darren Thomas

第1幕『ダロウェイ夫人―今、その時』
ブリスベン初日公演のダロウェイ夫人・ウルフ役を演じたのは世界初演と同じ、アレッサンドラ・フェリだった。バリシニコフやマクミランなど稀代のダンサーや巨匠振付家を魅了したフェリも54歳になった。彼女のひとつひとつの動きは、繊細かつ雄弁で、ピュアな美しさは独特な深みを持つ。技巧も含めて未だに素晴らしいアーティスト・ダンサーとして観る者の心を掴んで離さない。
ナレーションが流れ、舞台後方の壁一面に映し出された文字が次々に横線で消され、形が崩れ、そして泡のように消えてゆく。それはまるで、小説の主人公クラリッサ・ダロウェイと、コートに石を詰め込んで59歳で入水自殺をしたウルフを象徴したかのようで、物語は観客をウルフの世界へ導いてゆく。(冒頭に流れたナレーションは、1937年にBBCが録音したヴァージニア・ウルフの自身の声と公演プログラムに記されていた) 
小説『ダロウェイ夫人』では、6月のロンドンの晴れた1日の主人公クラリッサの意識の流れが、過去と交錯して描かれている。遠くを放心したように見ているフェリは、夫役のゲイリー・エイヴィスとのダンスでもふたりの視線が交わされることはなく、虚ろな表情は変わらない。重ねた年月と明確に対峙するように、若き日のダロウェイ夫人役のビートリズ・スティックス=ブルネルと、愛する女友だち、サリー役のフランチェスカ・ヘイワードとのデュエットが一変して生き生きと踊られる。舞台セットの大きな木の枠が過去と現在を隔てるように、クラリッサ・ダロウェイの追憶の旅は木枠の中から、まぶしいほどの生の喜びで輝く女2人のデュエットを見つめ、フェリの表情はサリーとのキスというしあわせな過去の中でだけ輝く。

ab1708b_02.jpg Royal Ballet act 1  Watson & Takada ab1708b_03.jpg Royal Ballet act 1  Ferri, Hayward & Stix-Brunell

一方、戦争に従事して精神を病んだセプティマス役のエドワード・ワトソンと妻役の高田茜のデュエットが踊られる。戦死した盟友エヴァンズ役のトリスタン・ダイアーとワトソンが踊る男2人のパ・ド・ドゥを、木の枠の中から見つめている高田の複雑な表情は印象的だ。全身から放たれるそれぞれの悲痛な心の叫びと複雑な感情が絡み合った演舞は、演劇の国イギリスのダンサーらしく、豊かな表現力を見せる。
意識の流れと時間の交錯は、マックス・リヒターの音楽と映像とともに、ビッグベンの鐘の音や人々のざわめき、流れる水の音などの効果音を使い、視覚化された小説の中に観客を巧みに迷いこませる。マクレガーはあらゆる手法で時の流れを表した。エイヴィスとワトソンがユニゾンで踊るとき、二人の間には時間の壁が立ちはだかっていた。

ab1708b_04.jpg Royal Ballet act 2  Natalia Oshipova photo by Darren Thomas.

第2幕『オーランドーより“Becomings”』

ab1708b_05.jpg Royal Ballet act 2  Steven McRae

原作は男性として生まれた主人公、オーランドーが歳をとらないまま3世紀の時の流れの中で、女性になるという物語だ。複雑な感情の機微が幾層にも織りなしていた1幕から一転して、2幕ではレーザー光線が多様に放たれ、マックス・リヒターのスピード感溢れる音楽と融合したスペース・ファンタジーが現れた。ラメで描かれた眉毛、ピタリと張り付いたオールバークの頭髪にエリザベス朝の金ラメのコスチュームをまとったダンサーたちが繰り広げる世界は、時代も場所も特定できない。

そこには一切の静寂も静止も存在せず、ダンサーたちはサイボーグのような無表情で、マクレガーの研ぎ澄まされた身体言語を使い、絶えず激しく踊り続けた。ドライアイスが立ち上る中で、レーザー光線の色や形、照射する方向が振付と音楽に合わせて刻々と変化していく。その中でプリンシパルのナタリア・オシポワのソロと、スティーブン・マックレーの跳躍はひときわ輝いていた。
最後に、すべてのダンサーたちは肌色レオタードに黒のシャンプーハットのようなものを首や腰につけただけとなり、舞台は、時空も男女の性差も超越してしてしまったマクレガーが描いた宇宙となって、地球人となった観客が陶然としてみているようだ。興奮気味の大きな喝采が舞台に送られた。

ab1708b_06.jpg Royal Ballet act 2. Artist of RB. (c) ROH ab1708b_07.jpg Royal Ballet act 3  Ferri & Bonelli photo by Darren Thomas.
ab1708b_09.jpg Royal Ballet act 3  Ferri & Bonelli (c) ROH

第3幕『波より“火曜日”』
荒れた海の大きなスクリーンの中から、夫にあてたウルフの遺書を読む声が聞こえてきた。あらゆる感情を置き捨て、すべてを諦観したフェリの姿が波立つモノクロの映像の下に佇む。1幕の『ダロウェイ夫人 』の中で若き日に愛したピーター役のボネッリとの長いデュエットが踊られる。フェリの身体は脱力して、波の中をたゆたうように揺れている。ボネッリ自身が波の一部となり、生を終結させていくフェリをリフトし、揺らし、支える中で、 うねりの中からコーラスが響き、コール・ド・バレエが引いては押し寄せる波となってパを刻む。ダンサーは異界に旅立つ主人公に波となって寄り添い、観客はその道程に胸を鷲掴みにされながら視認した。ボネッリがウルフの死を見届けるように、横たわったフェリの身体を離して幕は閉じた。
カーテンコールに現れたフェリは、ウルフの魂がまだ宿っているかのように放心したままだった。マクレガーも加わった度重なるカーテンコールと全観客のスタンディングオベーションに、ようやくフェリの顔が満面の笑みに変わった。客演として加わったフェリを含む、大半のプリンシパルダンサーが来豪した贅沢なブリスベン公演を観ることができた観客はとても幸運だ。
(2017年6月29日 クイーンズランド・パフォーミング・アーツセンター)

ab1708b_08.jpg Royal Ballet act 3  Ferri & artists of  RB

ROH 『ウルフ・ワークス』全3幕バレエ
振付:ウェイン・マクレガー (Wayne McGregor)
音楽:マックス・リヒター (Max Richter)
衣装:モーリッツ・ユング (Moritz Junge )
照明:ルーシー・カーター (Lucy Carter)
映像デザイナー:ラヴィ・ディープレス (Ravi Deepres)
音響デザイナー:クリス・エカーズ (Chris Ekers)
メークアップデザイナー:カブキ(Kabuki)
劇作家:ウズマ・ハミド (Uzma Hameed)
コーエン・ケッソルズ指揮 クイーンズランド交響楽団
(Koen Kessels conducting Queensland Symphony Orchestra )

ダンサー  (6月29日)
『ダロウェイ夫人より  “今、あの時” 』
アレッサンドラ・フェリ(Alessandra Ferri)
フェデリコ・ボネッリ (Federico Bonelli)
ゲイリー・エイヴィス(Gary Avis)
フランチェスカ・ヘイワード(Francesca Hayward)
ビートリズ・スティックス=ブルネル(Beatriz Stix-Brunell)
エドワード・ワトソン(Edward Watson)
高田 茜(Akane Takada)
トリスタン・ダイア―(Tristan Dyer)

『オーランドーより “Becomings” 』
ゲイリー・エイヴィス (Gary Avis )
マシュー・ボール (Matthew Ball)
トリスタン・ダイア― (Tristan Dyer )
フランチェスカ・ヘイワード(Francesca Hayward)
ポール・ケイ(Paul Kay)
スティーヴン・マックレー(Steven McRae)
イツィアール・メンディザバル( Itziar Mendizabal)
ナターリア・オシポワ(Natalia Osipova)
ビートリズ・スティックス=ブルネル(Beatriz Stix-Brunell)
高田 茜  (Akane Takada)
エリック・アンダーウッド (Eric Underwood)
エドワード・ワトソン(Edward Watson)

『波より“火曜日”』
アレッサンドラ・フェリ(Alessandra Ferri)
フェデリコ・ボネッリ (Federico Bonelli)
イツィアール・メンディザバル( Itziar Mendizabal)
アクリ瑠嘉 (Luca Acri )
ミカ・ブラッドブリー (Mica Brandbury)
デヴィッド・ドネリー (David Donnelly)
テオ・ディブロー(Teo Dubreuil)
ベンジャミン・エラ(Benjamin Ella)
ケヴィン・エマソン (Kevin Emerton)
イザベラ・ガスパリニ(Isabella Gasparini)
ハンナ・グレネル( Hannah Grennell)
ティエニー・ヒープ(Tierney Heap)
ミーガン・グレース・ヒンキス(Meaghan Grace Hinkis)
トーマス・モック (Tomas Mock)
アナ ローズ・オサリバン (Anna Rose O’Sullivan)
カルヴァン・リチャードソン(Calvin Richardson)
マルセリーノ・サンベ  (Marchelino Sambé)
レティシア・ストック(Leticia Stock)
ジーナ・ストーム=ジェンセン  (Gina Storm-Jensen)
デヴィッド・ユーズ (David Yudes)
エライザ・ヒッキー (Eliza Hickey
ミラナ・グード (Milana Gould)
ジェシカ・エドワーズ  (Jessica Edwards)
ジョシュ・フェイガン (Josh Fagan)
ジョセフ・モス (Joseph Moss)
タロン・ギレル   (Taron Geyl)

 

ab1708b_10.jpg Royal Ballet act 1  Watson, Takada & Dyer (c) ROH ab1708b_11.jpg Royal Ballet act 2  (c) ROH
ab1708b_12.jpg Royal Ballet act 1  Ferri & Watson  photo by Kenton. ab1708b_13.jpg Royal Ballet act 3  A.Ferri (c) ROH